フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

カテゴリーの説明

カテゴリーは居住地によって分けています

美しい妹、母親とともにやってきた!!

2013年11月20日 | リール・アミアン

このヴァンサンが三週間ど度滞在し、途中直島に行ったとき、その合間?にやってきた家族がいる。

 

以前三人組でやってきたリールに住むセリア、そう、友人たちともやってきて、我が家に泊まったこともある。

そして、こんどは家族とやってきた。お母さんと妹と一緒だった。

彼女は京都のアパートに滞在しているので、うちには泊まらず、昼食に招待し、その後案内をすることになった。

 

この妹さんが、本当に美人だった。

 

家では三人に着物を着てもらったが、セリアは見栄えのする着物を妹に譲った形だ。

 

そして、奈良を歩いていても、この妹さん、やたら日本人の若い男性から声をかけられる。

それくらい目立って美しかった。

 

真夏でとても暑く、彼女たちは皆、ムームーというようなワンピースを着ていた。

もちろんお母さんもだ。肩や胸を大きくだし、ワンピースもごく薄い生地で、下着が透けそうで、こちらが少し恥ずかしくなるようなくらいだ。

お母さんは言った。

なぜ、日本人はこんなに暑いのに、長そでを着ていたり、手袋をはめていたり、ジーンズをはいているの?暑くないの?」

長そでや手袋は日焼けから守るためだが、ジーンズや長いズボンはどうしてか?答えられなかった。

確かに素朴な疑問だ。

 

そう最近の暑さは異常なので、さすがに減ったように見えるが、夏でもきちんとストッキングをはいている人もまだ結構いる。

 

このお母さんは、陶芸をしていて、自作の花瓶をお土産にいただいた。

お母さんとこれ以来メールのやり取りが始まった。

どうやら、セリアと妹は異父姉妹であることもわかった。

お母さんが住んでいるところは、リールのアミアンの間くらいのところだが、またいつか訪ねることがあるかもしれない。

 

このセリア、三人組の一人である、シリルと一緒に昨年の9月から一年間京都滞在し、帰ったところである。その三人組のうちのジュリアは日本人と結婚してしまった!!

私も「あなたはほんとにフランスが好きね」と言われるが、「かれらもまた日本がとても好き」なようだ。

 

 

ブログランキングに参加しています。このボタンを押していただけると嬉しいです。

 

にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

 

 


山中湖の宿は、外国人お断り?

2013年11月07日 | リール・アミアン

直島の次は、富士山に行きたいとのことだった。

三島文学館のある山中湖に滞在希望だったので、民宿を探したが、観光案内所の紹介のところへ電話したら「外国人は断わります」と言われ、がっかりした。

大の日本びいきの彼が、「なぜ?今日本は観光客が減っているこの時期に外国人だからという理由で?」とショックを隠せない。

「言葉が通じないとコミュニケーションがとれない、また外国人の中でもドタキャンするような人がいるからだと思う」と説明したものの、宿の主人は説明もなく「NO」でした。

世界のどこに「言葉が通じないから」と断る宿があるだろうか?

このような対応に情けなく、恥ずかしい思いだった。

 

こういう宿は日本人にとってもいいはずはないのでは?。

宿、特に小さな民宿の信条であるはずのホスピタリティって何だろうと考えさせられました。

直島の民宿とえらい違いです。言葉ができないと伝えても「何とかなるでしょう」。彼のことも「実に感じのいい子で、育ちの良さを感じ、こちらが勉強になります。田舎料理だけど、食べ物も何でも食べてくれて」

正直、直島のアートには興味がない私でもこのおばちゃんに会いにいつか行きたいと思っている。

 

ここからが、本題。

山中湖の別の民宿も最初は「困る」でしたが、一件だけ、再度電話がありました。

一転して「電話を切ってから申し訳なく思い、夕食は出来ないけど泊まるだけなら」と言う申し出があった。

もちろん、それで十分だ、と彼は言った。

 

そして、到着時間などを知らせ、彼を送り出したのだった。

 

しかし、到着したころ、奥さんから電話があった。

「彼をバス停に迎えに行って、三島記念館に送りに行ったのよ。そうしたら、外国人を案内している高齢のご婦人たちがいらしたので、慣れているだろうと思って彼のことを頼んだのよ」ということだった。!!!!!!!

 

これは、いったいどうなっているのか、まず彼に電話を代わってもらえないか、とお願いした。

「大丈夫?断ろうか?」と私は言ったが、彼は心細そうな声で、「わからないけど、こんなことになったが、とりあえず、言うようにしてみる」とのことであった。

 

帰ってきてからの話だが、奥さんが文学館で見つけた外国人を連れた三人の日本人マダムに温泉に連れて行ってくれるよう彼を託したそうだ。(一つ間違えば怖いことで、彼も初めは不安だったとか)

そして何と、その後マダムの別荘で夕食をいただいたんだそうだ。ちょっとしたパーティーだったそうだ。

個人の家では、私の狭いマンションしか知らない彼は、東京在住で、休暇を過ごしに別荘にやってくるマダム達と優雅なひと時を過ごし、別の日本人の生活スタイルを発見する貴重な機会になったのだ。

お礼の代わりにと「お皿洗い」をしてきたそうで、こういうこともなかなか私たちには思いつかないことかも知れない。

 

何度か電話でやりとりして、体育会系の?奥さんは初めて迎える外国人を前に緊張と嬉しさがあったようだが、「引き受けてよかった」と言ってくれました。

五合目に行くバス停まで送ってくれたり、おにぎりを持たせてくれたり、人形やたばこケースで作った傘なんかもお土産にと下さったそうで、どちらにとってもいい経験になったようで、ほっとした。

 

 

ブログランキングに参加しています。このボタンを押していただけると嬉しいです。

 

にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

 

 

 

 


金沢の人は「人がいい。」といったフランス人

2013年05月14日 | リール・アミアン

ヴァンサン滞在中に、別の二組の家族に会ったからと言って、彼をほったらかしにしていたわけではない。 

彼はJRパスを持っていたので、近郊だけではもったいないとのことで、金沢への日帰り小旅行を提案し切符や旅程を手伝った。本来なら一泊したいと考えるが、若い彼は宿泊費をあまりかけたくないのだった。前回来た時も広島・宮島への旅は奈良からの日帰りだった。 

正直言うと、旅程はすべてこちらにお任せなので、手がかかると言えばかかる。でも彼は私に信頼を置いてくれ、帰ってくると必ず感謝してくれいろいろエピソードを聞かせてくれるのが、彼のいいところである。 

金沢では、兼六園や武家屋敷、保存地区なども堪能したそうだが、一番心に残ったのは「人がいい。」と言ったことだ。つまり地元の年輩の方と接し、フランス語はもとより、英語も話せる人は少ないけれど人の温かさや親切な気持ちというのは、そういうことを超えるということだ。フランスの若者に、改めて日本の地方の温かさを教えてもらうことになった。 

一週間以上滞在してくれた彼を、彼のネット友達の日本人が京都から奈良に訪ねてこられる事になり、その人と一緒に奈良を案内もした。前回主だったところは案内済みなので、今回は旧奈良町を中心に歩いた。 

そして帰国前日には、浄瑠璃寺・岩船寺にハイキングにも行った。お昼を取った浄瑠璃時近くの蕎麦屋はなかなかおいしいお蕎麦屋さんで、ニシンの甘露煮も彼は「トレ・ボン」と平らげた。天ぷらそばは、外国人には人気だが、ニシンそばが好きだというフランス人も少なくないので一緒にそばを食べるときは、紹介することにしているが、皆気に入ってくれる。 

彼の帰国後、一か月もしないうちに東日本の大震災が起こるとは、この時は想像もできなかった。

そして、三月・四月に来日予定の人からのキャンセルが相次ぐことになる。

お読みいただきありがとうございました。ブログランキングに参加しています。このボタンを押していただくと嬉しいです。☞ にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ


二度目の来日は元気一杯だった。

2013年04月03日 | リール・アミアン

彼の二度目の来日は、初来日の半年後だった。

初来日時は、心細げで最初は声も小さかったのを覚えている。

 

しかし今回は「家も覚えているし、駅までの迎えは必要ない。自分で行ける」と自信に満ちているようにうかがえた。

案の定、彼が扉を開けて入ってきたときの顔は、半年前とはまるで違い、笑みがいっぱいだった。

 

どうやら時期的なものもあるらしい。9月が新学期のフランスでは、6月が年度おさめになり、その頃の教師の苦労は大変だそうだ。

2月だと年度の途中、スキー休みということで、肩の荷も軽く、バカンスを楽しめるということだ。

 

ただ今回の休暇は夏休みのように2か月半もなく、2週間なので9泊の予定である。

着いた日は彼の得意分野の歴史の話をひとしきりしてくれて、日本食はぶりの照り焼きから粕汁なども完食した。

 

翌日から精力的に観光に出かけて行った。

東寺の骨董市や、宇治の観光は特に気に入ったようだった。

大阪城へも行き、京都在住の友人との再会し、また鞍馬温泉にも出かけた。

 

実はこの時、彼の滞在中に私は別のフランス人との約束も果たすことになっており、超過密スケジュールだった。

 

お読みいただきありがとうございます。ブログランキングに参加していますのでこのボタンを押していただければありがたいです。 ☞にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ


今は大学都市としてのリール

2012年12月05日 | リール・アミアン

ドゥーエ近郊のヴィルジニのお母さんの家に泊めてもらった。

翌日目が覚めると昨夜見た水たばこの道具が置いてあった。私には日本では見たことが無い珍しいものだった。

またこの家にあった絵画が印象深かかった。と言うのはその絵は、第二次世界大戦前からこの家にあったのだが、戦争中にドイツ軍が没収してしまった。

戦後一部返ってきたのだが、絵の裏にドイツ軍が整理する際に付けた番号が残っていた。 

ヴィルジニの手作りの朝食をいただいた後、帰り支度をして荷物を持ってリールの街の見学に出かけた。 

リールの街に着くとヴィルジニの良く知っているカフェで休憩し、荷物をそこに預けて出かけた。彼はイスラムの礼拝に行くとかで、どこかに行ってしまい、ヴィルジニが案内してくれた。ほとんど徒歩で廻れるのだが、地下鉄も経験にと一駅だけ乗った。 

町はかなり大きく、立派な役所の建物、大きな教会、大きな広場、一流ホテルなどがあり、ルイ・ヴィトン等の高級店も並ぶ都会だった。そして少し静かなところで日本人が経営しているらしい「YAMATO」と言う小さなレストランも見つけた。 

しかしそれ以外に「TOYOTOMI」

HOKKAIDO」「くしろドットコム」

等いかにも中国人の経営するらしい日本食のレストランがたくさんあるのにびっくりした。 

カラオケの店は「KARAOKE」とネオンが輝いていて、建物自体いかにも中国風だった。ちょっと入る気にはなれない。

 この町は都会と言っても高層ビルが並ぶわけではなく、昔からの町並みの落ち着いた雰囲気の街だった。 

シャルル・ドゥ・ゴールの出身地と言うことであるが、学校で「リール工業地帯」と言うことを確か習ったが、今はかなり時代とともに変わっているようだ。 

知り合いの若い人のいく人かはここの大学で学んであり、大学都市であるとも聞く。 

最後にリールの駅まで送ってくれた。

国境に近いこのリールの駅は警戒が厳しく、普通の駅は日本と違って自由にプラットホームに入れるのに、ここでは柵のようなものがあり、切符のチェックがあった。

ヴィルジニは切符を持っていなかった(この国には入場券は無い)けれど、プラットホームに入れた。

「日本人と一緒だから、私も入れたのよ」とヴィルジニが言った。

つまり日本人は悪いことをしないからというわけだ。 

フランスは入国審査でも何時も思うが、日本人には優しい。親日的なものを感じる。 

かくしてヴィルジニの見送りを受け、その日の内にパリのエリックの家にもどったのだった

お読みいただきありがとうございました。このボタンをぽちっとお願いします☞にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

 


ランキング

人気ブログランキングへ 人気ブログランキングへ ランキングに参加しています。 よろしければ、クリックお願いします

レシピ