フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

カテゴリーの説明

カテゴリーは居住地によって分けています

僕は「モナ・リザ」より「虎」が好き。

2012年10月15日 | パリ17区

エトルタのヴィルジニに送られてル・アーヴルを出発し、TGVでパリに帰った。 

パリが凱旋門近くのカトリーヌたちのアパルトマンに荷物を置いて、ルーヴルに出かけた。

美術品を見るのが目的ではなく、バカンスで今回は会えないマリーエメの代わりに?留守番の息子のルイ君がそこでアルバイトをしていると言うので、彼に会うことが目的で、次に彼の案内でルーヴルを見学すると言うことになっていたからだ。

待ち合わせの時間に彼は待っていてくれて、彼の案内であちこち見学した。数年前にも来たことがあり大事なものは見ていたが、実は「逆さピラミッド」を見落としていたので、先にそれを見に行った。

あとは説明より写真の方がいいだろう。

この美術館のすごさは、フラッシュさえ焚かなければ、いくら写真を撮ってもいいことだ。

すぐ横で本物そっくりに、模写している人もいる。

 

この天井が地上に見えるピラミッド

あのエトルタの怪盗ルパンの家で見たモナ・リザの本物(どっちが?)が厳重に守られていた。

でもルイ君は近くに有る「虎」の絵を指して「僕はこっちの絵の方がいいと思います」と日本語で、フランス人らしい皮肉を言って笑わせた。 

そして、日本人が必ず見る、「ミロのヴィーナス」についても、「これを綺麗だと言う人が沢山いますが、僕は綺麗だとは思いません」と言い、別の彫刻を指して「こっちの方がずっといいと思います」と日本語で言っていたことも記憶に残っている。 

自分の目で見て評価する彼と、教科書に載っていたし、皆がいいと言うから良いに違いない程度の私とはずいぶん違う。 

彼は日本語の勉強をして、かなりしゃべれるようになっていた。何でも学校で日本語を教えることになるかもしれないとのことだった。(現在は少し日本語を教えているようだ) 

また博物館の説明員なので、お客さんに声を掛けられ、英語での質問に、流暢な英語でも答えていた。 

館内のカフェで休憩したが、終りに支払おうとすると何やらカフェの人と話していた。勘定をするとちゃんと、「従業員割引」にしてくれていた。 

ルーヴルはオルセー美術館とは異なり、外国から持ち込んだ美術品が多い。武力を背景にした収集品もあるがその点は別にして、今や国境を越えた世界的な宝物であるから、良く第二次大戦で失われなかったものだ。 

ルイ君も「本当にそうです。」と言っていた。

ルイ君は一度我が家に泊まったことがある。私も彼の家に泊まったことがある。その時彼はベルギー人の彼女がいて、夢中だった。 

聞くと、もうそれはとっくの昔に「セ・フィニ(終わった)」そうな。新しい彼女は詳しくは聞いていないが、どうやらいるらしい。

お父さんはエールフランス関係のお医者さん(ジェネラリスト)だが、彼は法律の道を進んでいる

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「間に合ってます。」と言ったそうな

2012年08月18日 | パリ17区

シャンパーニュから帰った後、お腹に優しい簡単な夕食を済ませ、シャンゼリゼでお茶を飲むことになった。

軽い夕食

翌日私はノルマンディーのエトルタに行くことになっていたし、カトリーヌたちもボルドーのカトリーヌの長女の所へ行くと言うので明日は別れになるからだった。 

ずいぶんお世話になったので、少しでもお返しのつもりで私が招待することにさせてもらった。本来は夕食のはずだったが、私のお腹の調子が不良のため、軽くお茶をということになった。

カトリーヌ と リシャール(二人は小柄で日本人並み)

アパルトマンから凱旋門迄はすぐそこだし、シャンゼリゼのカフェは凱旋門から5分くらいの所で、「ル・ドーヴィル」というカフェだった。

「フーケ」や「ラデュレ」ほどのクラスでないけれど、ご主人のリシャールが近くの銀行に勤めていた時、良く来てランチを食べたそうだ。

「ル・ドーヴィル」の店内の様子

歩道に突き出た部分

歩道の車道側にも店がある。

 

またリシャールは「カトリーヌの前の勤めも、前妻の勤めもこの近くだったので、最初は迎えに行くのによく間違えたんだよ。」と笑っていた。もちろんカトリーヌもいる前でこんなことを平気で言うのだ。

リシャールが勤めていた銀行

近くにあるルイヴィトンの店

私が「ラデュレ」に行ったことがあると言うと、ご主人のリシャールは驚いていた。日本人の旅行者なら、折角パリに来たのだからと行ってみて不思議はないところだけれど、元銀行マンとして別荘まで持っている中流以上の生活水準の彼にしても、行ったことが無いらしい。

フランスは階級社会だと言うけれど、こうまではっきり生活スタイルを区分しているとは驚きだった。

そして、フーケとなると、「サルコジのカフェだね。」と言い、つまり「私の行く所じゃない。」と言うわけだ。サルコジが大統領に当選したとき、ここで記者会見をしたのは聞いているが、サルコジのお気に入りの店らしい。

そのあとの帰りにシャンゼリゼを横断する時、私とリシャールは信号が赤だから青くなるのを待っていたけれど、カトリーヌは車が途切れた間を縫ってさっさと渡り始め、中央分離帯でも反対車線の車の途切れるのを少し待ってから、渡りきってしまった。

赤信号のシャンゼリゼを渡ったカトリーヌ

「自分の身は自分で守る。信号があるのも自分を守るためにあるのだから、車が来なくて安全なら、信号が赤でも渡ったって構わない。」とまぁおよそこういう考えによるものだろう。イタリヤ人もそうだと聞いたことがあるから、ラテン的な考え方のようである。 

ドイツ人は「信号が赤なら例え車が来なくても、規則なのだから信号が赤くなるまで待たないといけない。」と言うわけだ。

ついでに、信号に関して日本人はどちらかと言うとドイツ的だ。

余談ながら「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」と言う言葉があるとおり、日本人は何事にも「みんな」に合わす傾向が強いと言われるが、かなり当たっている。 

そのあと、ばらばらに歩いていると物陰に女性が立っていた。私はピンと来てさっさと通り過ぎたが、リシャールが何か話しかけられているのが見えた。

あとで「何だった?」と聞いたらやはりプロの女性だったそうで、勿論「間に合ってます。」と言うことで済ませたそうな。 

こうしてカトリーヌ、リシャール夫妻の温かい歓迎の日々は過ぎ、翌日カトリーヌの車でサンラザール駅まで送ってもらい、ノルマンディーへ出発したのだった。

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つい買ってしまった骨董市

2012年07月29日 | パリ17区

さてシャンパーニュの3泊4日の休暇も最終日となった。 

この日近くの村で骨董市があると言うので、カトリーヌに連れて行ってもらった。

カトリーヌはこういうものが好きのようだった。

骨董市で買ったらしい別荘で使っている陶磁器で割れたのも、接着剤で繋ぎ大事にしていた。

 

カトリーヌは、出かける前に段ボールの切れ端に「どうぞご自由にお持ち帰りください」と書き、不要になったものを別荘の門の前においていた。

骨董市に行き帰りの人が門の前を通り、自由に持って行けるようにしたのだった。

 

こんな田舎でも相当の店が出ており、近隣の村から沢山の人が車で来ていた。

私とカトリーヌは別々に好きなものを探すことになった。 

本当に畑の真ん中の村で、骨董の店のすぐ後ろはひまわり畑と言うような具合だった。

パリの骨董市とさほど内容は変わらない。 

見て回るとやはり欲しいものが目に付き、帰国時の荷物のことを強引に頭の片隅に追いやり、ピッチャーや花瓶を買った。

さらにリモージュの紅茶器セットが目に付いた。惜しいことにカップが一つ割れている。どうやらこの市に来て割れたらしい。店主は売れないとみて、台の下の方に押し込んでいた。 

カトリーヌを探して一緒に来てもらい、一つ割れているからということで交渉してもらったら安くなり、また嵩張るのに目を瞑って買ってしまった。

(この割れたカップも大事に日本へ持って帰り、下手な自己流に金継ぎして持っている。これもカトリーヌの影響だろう。)

 

昼にカモ料理を頂き、

午後シャンパーニュの別荘を出発しパリに帰ることになった。ご主人のリシャールは高速をどんどん飛ばし、メーターは時速136キロを示していた。

 

 

パリに入ると、凱旋門近くの現在のアパルトマンに移る前に住んでいた、イタリー広場の近くのアパルトマンを見ながら帰ってきた。やはり彼等も懐かしいらしい。

特にご主人はこの地区を気に入っていて、子育てをしながら長く住んでいたこともあり、馴染みのカフェやパン屋さんなどもあったようで、離れたくなかったそうだ。

だが、カトリーヌが凱旋門の近くに引っ越しをすると言ったら、従うしか選択肢はなかったようなのである。

 

しかし実は、この時お昼に食べたカモが私のお腹を暴れまわり、そんな回り道しないで早くアパルトマンに帰りたい一心だった。

アパルトマンに帰るやいなや真っ先にこの問題の解決を図り、ほっとしたのだった。

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この人は書道の先生です!!

2012年07月22日 | パリ17区

シャンパンカーブの帰る途中、綺麗なお城を見学した話の続きだが、お城は綺麗な外観をしていて遠くから見ると姿がとても素晴らしい。

内部の見学もしたが、お城の保管物の中に中国製とみられる筆置きがあった。

案内人が「これは何でしょうか?」と見学者一同に聞いたが、誰も知らなかった。「櫛?」と言う人もいた。そこで私は「これは筆置きです」と答えた。もちろん正解だがカトリーヌが横から「この人は書道の先生ですから。」と付け加えたのには驚いた。 

カトリーヌが我が家に来て「書道ごっこ」をした時、漢字を横向きに器用に書いた時も腰を抜かしたが、このときもびっくりした。

慌てて否定したが「何言ってんのよ。あなたは先生よ」と駄目押しを押されてしまった。 

この城にはもう一つ第二次世界大戦時のレジスタンスの小さい博物館もあった。

ナチスドイツ軍の当時のピストルとか、レジスタンスの旗とかが展示してあった。この地方は開戦後あっという間にドイツ軍に占領された歴史を、重く持っているのが解った。

 

お城からの帰りの途中の村で、変わったにぎやかな一団に出くわした。カメラに収めたが、聞いてみるとダンケルクと言う街からやってきたケルトの人達であった。 

勿論フランス人だが、先祖はバイキングだったかもしれない。何故海に近い彼らが、フランスのあちこちこんなパレードをしているのかは判らなかったが、女装をした男性もいて、とにかく面白い集団だった。

 

 

帰ったあと花を生けてみようと思いカトリーヌに相談したが、カトリーヌは「花は切ると死んでしまう」と言う。

これは「活け花」の根本問題である。 

だが日本の華道の理論で彼女を説得するのは不可能に近いし、彼女の言うことも真実であり、ここで花を切ることはしてはならない。 

そこで、リシャールが昼に剪定したリンゴの木の枝の切れ端や、草花を取ってきて活けてみた。これは喜んでくれたが、彼女の花をそのままに観賞する姿勢も心に残った。 

今夜の夕食は牛肉のステーキとなった。いつもの通りの屋外の炉でリシャールが焼いてくれた。

 

夕食後一段落してから、暖炉の前でルーレットの遊びをした。初めての体験だったが、教えられるままにやってみた。 

最初私は少し運が良く、お金の代わりのプラスチックのコインが増えたりした。するとカトリーヌのご機嫌が優れない。リシャールもその辺は百も承知で、全然勝とうなどと言う気は無いらしい。

やがて私は負け出して、リシャールも負け出した。カトリーヌの一人勝ちである。そうするとご機嫌が良い。ここに来たその日に、庭のブランコに乗った時の彼女と同じで、子供心がそのままである。

 

こうしてこの別荘の最後の楽しい夕べは過ぎて言ったのだった。

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電卓を取り出して引き算した彼

2012年07月03日 | パリ17区

ランスから帰ると、例のバーベキューによる夕食となった。今夜は鶏である。

その鶏肉の焼ける間、カトリーヌはダンス曲のレコードを掛けた。

彼等はパリでタンゴを習っているのである。

ご主人のリシャール相手にダンスをするというのだ。

庭の樹木の伐採で疲れているリシャールは、私の前で披露するという恥ずかしさもあって「オーノー、カトリーヌ、オーノー」と言ったが、カトリーヌは意に介さない。

強引にご主人の手を取って、ステップを踏み出した。

なかなか上手である。リシャールもついて行かないわけにはいかず、ひとしきり素晴らしいダンスを披露してくれた。

 

やがて焼きあがった鶏肉は、とても美味しかった。

 

翌日は、やはりカトリーヌがシャンパン・カーブへ連れて行ってくれた。

途中お城に立ち寄ったが、見学時間が午後に指定されていたので、帰りに寄ることにした。

見学は二時半からと四時半からと書いてあった。

 

シャンパンで豊かなこの地方は、道が素晴らしくよく整備されていて、気持ちがいい。

村々は花で飾り立て、美しい村のコンテストに参加している。村の入り口のサインに花のマークが3個などと言う表示があり、花の数が多いほど美しい村として認定されているそうだ。

途中ナポレオンの戦跡があった。この地方で1814年2月10日に5日間ほど外国軍との戦いがあり、ナポレオンは勝利したが、その後戦局は良くならず、この年に失脚している。

 

 

エペルネーで訪ねたシャンパン・カーブは、地下へエレベーターで行き、そこからトロッコ列車のような車両に乗り地下道をあちこち回った。

地下を走る観覧車

広い蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下にシャンパーンが沢山積まれ、静かに保管されていた。相当の量になると思う。

 

シャンパンの試飲

このカーブの創業者のレッテル

1本10.50ユーロ

カーブ裏のブドウ畑

見学を終えて町のビストロでランチとなり、毎日の重い夕食のことを考えてサラダを注文したが、これがまたかなりのボリュームで、食べきれないくらいだった。

周りを見ると、近隣の人たちだろうが、どの人もそれなりの身なりや、表情をしており、やはりこの地方の人達が余裕のある暮らしをしているように思えた。

 

帰りに朝寄ったお城に立ち寄った。

ここでちょっと面白いことにぶつかった。

入場料を大きなお金で払ったのでお釣りをもらうのだけれど、受付の男の子が引き算が苦手なのであった。フランス人は計算に弱いと言った人もいたようだが、そういうことを感じたことは今まで一度もなかった。もちろんそれは数の表し方がフランス語特有なのでそんな誤解もあったのだ.今回は昔聞いたことがある欧米の人達が引き算ではなく足してお釣りを払うということを思い出した。

日本人ならどうということのない計算なのだが、彼はあれこれお金をいじっていたものの、やがて最終的には恥ずかしそうに電卓を取り出し計算をした。

おやおやと思っているうちに、無事正確にお釣りは帰って来たのであった

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