フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

カテゴリーの説明

カテゴリーは居住地によって分けています

仏のフォスターペアレンツ協会の会長さんは日本酒がお好き

2014年03月27日 | パリ郊外

そうそう、この来日は、当時彼らの13歳の孫、マテオも一緒だった。

彼らは三度目の日本だが、マテオはもちろん初めてだった。

一年前に不慮の事故で長男、つまり孫の父親を亡くし、今は母親と住んでいるということだが、その孫の寂しさを慰めるための旅行でもあった。

カトリーヌはさまざまな問題を抱える子供の教育をしていて、今は退職、Jフランソワは会社員だが、フランスのフォスターペアレンツ(養子縁組)の協会の会長をしていることもあり、長男については聞いたことがないが、二男のソフィアンは養子縁組で引き取られ、彼らの深い愛情で育てられていることがよく解る。

今回、東京で5種類くらいのアルバイトをして、生計を立てているという話や、「お父さんが本を読みなさい。」というので、最近読み始めたという村上春樹の本を持っていた。見た目はいまどき風の若者であるが、両親を尊敬していて、素直にその言葉に従っているようだ。

もちろん「思春期は難しいこともあった。」と、母親のカトリーヌが言っていたこともある。

彼らと奈良を一緒に歩き、冬季に興味を持っているJフランソワは、とりわけ備前焼がお気に入りだという。

記念に奈良の小さな店で見つけた備前の徳利を持って帰って行った。

彼は日本酒それも熱燗が好みだそうで、家にはたくさんの日本酒の空き瓶もあり、瓶の形がいいので捨てられず、それに水を入れて冷蔵庫に保存されているとつい先日一人でやってきたソフィアンが言っていた。

Jフランソワがおそらく日本が好きで、その影響をソフィアンが受けたのではないかと想像される。

Jフランソワは日本語の勉強もしていたが、最近のメールによると何とカトリーヌも勉強を始めたという。

今はフランクフルトの日本企業で働くソフィアンは、初来日の2008年から先日の再会でも成長の跡が感じられ、両親もまた喜んでいることであろう。

まだパリの郊外に住む彼らの家を訪ねたことはないが、近々実現しそうで、楽しみにしている。 

 


年末年始にやってきた親子の宿探し

2014年03月25日 | パリ郊外

2011年の年末・年始にやってきたのは、この親子だった。 

手狭な我が家ということで、息子だけうちで泊まり、両親はすでに奈良の宿を予約しているとの連絡があった。

「この宿はどうだ?」と、もう予約の済んだ後に連絡があった。

確かに良さそうな宿ではあったが、かなり不便なところなのでそう言ったが、、「静かなところがいいので問題ない」ということだった。 

息子は東京在住だったので、一緒に奈良に来るのかと思いきや、両親は新幹線、息子はリーズナブルなバスで別々にやってくるという。 

両親が到着、そしてすぐにSOSの電話があった。

「ここはあまりにも離れすぎている。宿を変えたいのだが、宿のオーナーと話をしてもらえないか?そしていい宿を知っていたら教えてほしい。」だった!!!

だから言ったではないか。とは言わなかったが、「そうでしょ。わかった。電話を代わって」と、彼らの代わりに話を聞くことになった。

オーナーはいい方で、「キャンセルは受けます。」と言ってくれた。

料金の支払いはどうなっているのか、再び彼らに聞いてみたところ、パリの旅行社にすでに支払い済みだが、それは彼らが帰国後交渉するということだった。 

別の宿探しをすることになったが、年末ということもあり、彼らの希望する日本らしい宿でかつリーズナブルなところで、しかも便利がいいところは、満室。

JR奈良駅前のビジネスホテルで辛抱してもらうしかなかったが、これはやむを得なかった。

私も彼らを迎えに行くには、遠すぎたので、とにかく奈良駅で会おうということにした。 

普通なら当日のキャンセルは違約金が発生する。

帰国後うまく交渉できたか、聞いてみたがそれについては返事がなかったので、どうなったかはわからない。

自分の目で確かめてもらうしかないほど、今の私にはフランス人を説得する語学力のまだないことが、今回のことでもわかった。

それらがやっと落ち着いた頃、息子が奈良に到着。一緒に夕食になったのであった。

 

 

 


フランス人の顔をした、ドイツ人

2014年01月24日 | パリ郊外

11月になって、食いしん坊のクリスチャンの奥さん(ジョエル)の友人が、世界を旅するということで、紹介されやってきた。セリーヌと言う女性だ。 

彼女は、「コーチ・サーフィン」という制度を利用して、各国を旅していた。基本的にそういう登録者のところでは、無料で宿泊が提供されるそうだ。

日本ではあまり知られていないので、登録者は少ないと言っていたが、私も初めて聞くシステムだった。 

彼女が京都から奈良にやってきたとき、その「コーチサーフィン」で知り合ったドイツ人も一緒に泊めてもらえるか?という。北海道にいたとき、彼がカードでお金を引き出せないので貸すことにしたのが、JRパスを持っているから、それを乗り継いで来るから、ここへの到着が夜中になるという。

こういう時、フランスではなんというのだろう。「Quelle aventure!!」(なんという冒険)とでもいうのだろうか、来る方も、またそれを受け入れようとする私も?

ジェエルの友人なので、彼女を信頼してOKした。

私が眠っているうちにやってきた客人は、朝遅く起きてきた。顔を見ると、安心できた。

彼らは英仏チャンポンで、会話をする。どうやら、ドイツ人はフランスの悪口を言っているらしい。

私は黙って聞いていたが、最後に言ってやった。「でもあなたの顔はフランス人みたいね」と。(笑)すると彼は「そうなんだ。それが僕の欠点だ」と、大笑い。 

このドイツ人は、どうやら、国連に勤めていたらしいのだが、どういうわけか、今は世界をさすらっているようだった。

彼は、原発事故やその食べ物への影響などにも関心があり、私に質問をしてきた。分かる範囲で答えたが、彼はそのことで、「なんて、正直なんだ。今までそういう答えを日本人から聞いたことがなかった。」と言った。 

そういう彼は、菜食主義者で、食べるものも制限される。

セりーヌをJR奈良駅に初めて迎えに行ったとき、「サブウェイはないか?」と聞かれたのが始めは分からなくて、「奈良には地下鉄はない。」と答えていたのだった。

良く聞くと、「サブウェイ」というファーストフードのお店のことだった。そこではヴェジタリアンの人も食べられるマヨネーズぬき、野菜だけというアレンジができるのだそうだ。 

その彼のために夕食は野菜だけのお鍋を用意したことで、彼はたいそう喜んでくれたのだった。

その後、アジアを旅して彼だけ日本に戻ってきたとき、「また泊めてほしい」と言われたのだが、あいにく先客があり、それは断ることになった。 

しかし昨年春、セリーヌが叔父さんを連れて日本にやってきて、我が家に滞在した。その叔父さんとは、また楽しいエピソードがあるのだが、それはまた別の機会にしたい。

 


日本好きが高じて日本企業へ転職したフランス人

2013年05月12日 | パリ郊外

さて、またヴァンサン滞在中に京都まで出かけた話である。この月は二月で、梅花祭でもあり、上七軒の舞妓さんや芸妓さんも来られ、華やかだ。 

パトリックは都ホテルから直接来たので、先に着いてもう目ぼしいものを何点か買っていた。私はそれをチェックするだけだ。

ガラクタのようなものでも、彼の目に留まれば、「ビューティ・フル」と訛った英語で言う。

彼は私に「日本語で『高すぎる』」という言葉を教えてくれと言った。たしかに交渉の際に不可欠な言葉だ。 

近くで食事をした後、梅花祭の茶席にも参加することにした。

間近で舞妓さんを見られるとあって、彼らはとても喜んだ。そして気のせいか舞妓さんも彼らにお茶を運んでくるとき嬉しそうだった。

この時の写真もなくなってしまい、残念な限りだ。 

写真を撮るのが大好きな奥さんだが、息子のアルチュール(英語ではアーサーと読むので、綴りが同じでも発音はずいぶん違うなといつも思う。)は、奥さん譲りのカメラ好きのようだ。彼は一杯撮っていた。 

パトリックはこの後、何と日本企業に転職を決めてしまうのである。

アルザスのヴォージュと言うところの山育ちで、子供のような心を持ち続け、誰からも好かれる彼は、地元のレストランで食事をしていた時、日本人の駐在員と話が弾み、トントンと話が進んだようだ。

彼にとっては仕事という大義名分ができて、奥さんの了解のもとに堂々と日本に来れるのは願ってもないことだ。 

ともあれ、ヴァンサンの十日間の滞在の間に、このパトリック親子に二日、もう一組のピエールとミッシェルに一日と大忙しだったはずなのだが、今思えばどうやって切り抜けたのか、思い出せないくらいである。

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骨董の嗅覚がよく働くムッシュ

2013年05月04日 | パリ郊外

ヴァンサンの滞在中の合間を縫って会ったフランス人は、もう一組あった。

しかも二回会う約束があった。(奈良と京都で) 

それは骨董好きのムッシュとその息子の二人だった。

いつもは奥さんと三人でやってくるのだが、奥さんは夏に来日した時暑さでダウンしてしまった苦い思い出がある。

今回奥さんは仕事の都合で来られないということだったが、もうこりごりと思っているかもしれない。

それから半年後の今回以降、ムッシュ一人で来ることはあっても、彼女が来ることはないからだ。 

一回目は奈良で迎えた。

ヴァンサンが大阪へ出かけた日、昼食にまずこの親子を我が家に招待した。

そして、その後、奈良公園や奈良町を散策し、東大寺から戒壇院前を通るとすぐに小さな骨董店があった。

と言っても本当に小さなお店で通り過ぎてしまいそうなところだった。

しかも中の商品を見るには靴を脱いで上がるようなところだった。 

しかしムッシュは骨董にかけては嗅覚というか、長年の素晴らしい勘が働くようだ。

ここで何を見つけたかというと、戦前の日本の外国航路の客船での夕食のメニューのカードだ。

彼は違う船のこのようなメニューカードをすでに持っているらしいが、ここではとても安いと、掘り出し物に満足げだった。 

散策しているとき、彼はさりげなくこういった。「前に結婚していた時の子供はドイツにいる。 だから(今の奥さんのシルヴィとの)子供はまだ13才なんだ。」

つまり、彼の年にしては小さな子供だという説明だった。

いつもは奥さんが一緒なので、この時初めて知ったのだが、あまりにさりげなく言われたので、それ以上は何も尋ねないままだ。

そして次はヴァンサンが金沢へ行ったときに、ムッシュの好きな北野天満宮の骨董市に行くことにして、この日は駅で見送った。 

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