フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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水道橋?おっとこれは鉄道橋!

2011年11月30日 | ブルターニュ

ジェラールの車で、ブルターニュの西の方の街モルレーに向け出発した。2時間くらい走っただろうかやがてそのモルレーに着いた。

 

モルレーに着くとまず最初に目に入ったのは、まるで世界遺産のポンデュガールと同じような水道橋のようなものだった。実はこれは鉄道橋だそうで、一番上は汽車が走り、真ん中は人が歩くようになっているらしい。

 

 

 

 

それから街を散策したが、木組みの古い家がちらほらとみられる。2階が少しせり出し3階2階よりまた少しせり出していると言った形の建物だった。

 

 

 

 

ひと通り散策も終わるといよいよジェラールとお別れだ。次の訪問予定のモルレーから少し離れた海沿いの村「ケレンマ」に住むマルゴとパトリックの家なのだが、待ち合わせの場所にパトリックが来ていてくれる手はずだった。

 

やはりパトリックは待っていてくれた。こういう時、迎えに来てくれたパトリックに久しぶりに会う喜びと、ジェラールと別れる寂しさが交差する。

 

ジェラールの気持ちを思うとパトリックに会った喜びは抑えなければならない。

ことにジェラールは傷心の時なのだ。帰るともうカトリーヌのいない、愛犬の「ベップ」のみの家が待っているだけだ。

 

そしてジェラールは車で走り去った。大変な時期だったのに、歓迎し、よく面倒を見てくれたと改めて感謝した。

 

今度はパトリックの車で小一時間走り、ケレンマに着いた。その敷地の広いことに驚いた。送ってくれた写真の通り建物は長く、庭もとても広い。奥さんのマルゴが昼御飯を用意して待っていてくれた。

 

 

庭で昼食をとった。ここにもまだ生後5歳くらいの「カネル(シナモンと言う意味)」と言う犬がいた。若いので元気に走り回っている。3歳くらいの時はもっとすばしっこく、ウサギを追いかけて捕まえていたそうだが、最近大きくなり、ちょっとウサギに追いつかなくなったそうだ。

 

 

 

昼食を終えると海岸の方へ散歩に出かけた。

 

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蛙の子は蛙・ガンツジュニア

2011年11月29日 | ブルターニュ

JR奈良駅で待ち合わせ時間に行ってみると、もう二人は来ていた。

 

もちろん会うのは初めてだが、写真を送ってきてくれていたので、すぐにわかった。

思ったより、二人とも小柄である。そして特に新妻・ローランスは、日本人にも見えるような感じである。

事実、九州でも日本人と間違われ、日本語で何度か話しかけられることがあったらしい。

 

この彼女が、「屋久島行きたい!!」と言ったのか?しかし全然わがままそうにも見えないし、むしろ気だての良さそうな可愛い子だった。

押しの強さに負けたと言うよりは、この可愛い彼女の願いを聞いてあげたくなったと思うのが自然であった。

 

彼らは自然派で、Tシャツにスラックスで軽装であったが、彼女は首に真珠のネックレスをしていた。

そこで「日本で買ってもらったの?」と尋ねると、「おばあちゃんのものなんです。」と嬉しそうに答えた。

そう、フランス人は本当にこうして物を大事にし、受け継いでいくのである

もうこれだけでも、好感度大だ。

 

まずは食事と、釜めしやに行くことにした。

食事も日本食を何でも食べると言う。九州の民宿で出されたお魚は特においしかったと、写真を見せてくれた。

もちろん、この日の昼食も、煮ものを含めて、完食だった。

 

「九州では、英語も通じなくて困ったのでは?」と聞くと、「そうなんだ。まず空港についてレンタカーを借りるため、英語で話が出来る人を探すところから大変だった」そうだ。

しかし、それでもちゃんと心が通じ、人々はほんとに親切で温かったと、大層喜んでいる。

 

不思議と、二人とも初めて会ったような気がしないくらい、一緒にいても気を遣わないで済むとても楽な子たちであった。

アルザスの友人の息子ティエリは、その両親を彷彿させる心優しい子であるが、さすがにその彼の選んだ彼女もまた然りであった。

そういえば、プロヴァンスのB&Bでお別れの日、おばあちゃんが「孫が結婚するのよ」と、早口で私に話しかけてきたっけ!!この二人のことだったのだ!!

 

さて、お腹もいっぱいになったので、奈良公園を抜けながら、東大寺へ向かうことにした

 


これぞ本場のガレット!!!

2011年11月26日 | ブルターニュ

今度は右の方へ出かけた。そこも高台になっていて、別荘が沢山並んでいるところであった。

 

 

 

 

 

 

 

どの家も住んでみたいような楽しそうな綺麗な家ばかりだった。

中に一軒売りに出ているところがあり、そこは中を見学させてもらった。 

一番上の屋根裏部屋に当たるところまで見せてもらった。天井が屋根にそって斜めになっていた。

こう言うのは最上階にはよくあるが、いかにもヨーロッパ的だなと思う。

 

         

 

 

実際は相当高額で、おいそれと買えるものではないけれど、見て回るだけでも楽しかった。

 

そしてアパルトマンに帰ると、ジェラールが夕食にガレットを焼いてくれた。美味しいから三枚くらいは食べたと思う。ハムとチーズと卵が入ったもの二枚と甘い物はデザート用に一枚だった。

フライパンでなく専用の焼く道具があった。関西で言うと、家庭にタコ焼き機があるような感覚でなのだろうか。ブルトン人・ジェラールが得意の郷土料理だ。

 

 

 

 

夕食が終るとジャクリーヌとフィリップはレンヌへ帰って行った。

 

 

明日は当地ともお別れし、ブルターニュの中でもさらに西の「モルレー」に行くことになる。ジェラールが車で送ってくれる予定だ。

 

傷心の彼は、耐えて良く面倒を見てくれた。大変な時に来たのだけれど、彼等の別れは数ヶ月前から始まっていた。だから、私が行ったことが最後の踏切をする契機になったかもしれないが、何時かやって来ることだった。

そして私に関わることで、彼は少し気を紛らわせることもできたに違いない。

 

夕方愛犬の「ベップ(別府温泉由来)」もベッドに入り寝支度をした。心なしか「ベップ」もさびしそうに見えた。

 

 

しかし翌朝、朝食時このベップは「おこぼれ頂だい!」に懸命で、テーブル脇ですごいジャンプを見せてくれた。

 

 

 

 

 

色々あったけれど「サンケイよ。カトリーヌとともにさようなら!」切ない気持で後にしたのだった

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旅行途中で、ヘルプ・ミー!!

2011年11月25日 | ブルターニュ

プロヴァンスのシャンブル・ドット(B&B)で知り合ったアルザス三人組、その息子夫妻が結婚した秋から半年後の五月、新婚旅行として日本にやって来るにあたって、メールが来た。

 

まず、プランニングについてだ。

九州でレンタカーを借りたいとのことで、相談を受けた。ちょうど四月に来日したフランス人カップルが、レンタカーサイトをうまく見つけ、利用していたので

彼らにそのサイトを教えてもらい、このカップルに提案した。

しかし、値段は安かったのだが、そのシステムについて、時間単位の利用方法の説明が解りにくかったこともあり、「これはどういう意味?」といくつか聞かれ、フランス語に訳し、説明した。

また民宿やユースの予約についても、こちらが代わりに引き受けた。もちろん彼らが宿を提示してくれたので、電話をするだけだ。これは気が楽だ。

 

ちょうど私がフランス旅行から帰国した翌日、成田着の旅程だった。

 

奈良に来るのは、成田から九州に入り、一週間の滞在を終え、広島、京都の滞在の後である。

 

アルザスでこの二年前、とてもお世話になった両親のことを思うと、彼らを精いっぱい迎えたい気持ちである。

とても楽しみである。

 

そして、成田に到着して間もなく、メールがきた。「緊急事態!!ヘルプ・ミー」である。

実は九州プランニングの段階で一旦は保留にした、屋久島。新妻のローランスが「やっぱり行きたい」と言いだしたのであった。

「急遽、宿の変更と新たに予約をお願いしたい。」

「よっしゃ!!まかしとき」と言いたいところだが、すんなり変更、キャンセル、予約が可能であれば問題ないのだが、新たに予約を入れて、「あいにく満室」と断られた場合、空いているところを当たって、彼らの返事を待たずに予約しておかないといけないところも出てきたのだ。

 

それでも考えている猶予はなくすぐに連絡をとる手段もなく、とりあえず、キャンセル予約と次々手配するしかなかった。

 

後のメールで「ありがとう!!何とお礼を言っていいかわからない」と喜んでくれて、ほっとした。

 

メールで、心の温度みたいなものが解るときがあるが、彼らのもそうだった。何とかしてあげたくなる、そんな温かさを感じる文章であった。

 

 

こうして、いよいよ奈良で、会う日がやってくる。

 

 

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ブルターニュのバグパイプ

2011年11月25日 | ブルターニュ

カトリーヌは去った。

 

残った私達はその寂しさを振り切るように海岸沿いの散歩に出かけた。

まず最初に、アパルトマンを出て左の方へ出かけて行った。

 

そちらの方は海岸に突き出ている崖の上へ行く散歩道で、上から見る海岸はなかなか見晴らしが良かった。

 

 

 

 

 

 

高台から戻って来ると大きなステージが有って、そこでブルターニュの民族衣装を着た若い男女がダンスをしていた。

どおりで人が多いはずだ。またアパルトマンの下をバグパイプの一団が行進していたのもこれだったのだ。

 

バグパイプはスコットランドだけのものと思っていたのだが、それはここで誤りだとはっきり解かった。

そしてブルターニュにはブルトン人と言うフランスでも固有の文化を持つ人たちがいるといことを知ってはいたが、このダンスや演奏や民族衣装を見て実感した。

 

 

ダンスは若い人たちが踊っており、年寄りが辛うじて守っているという状態でないことが解る。しっかり引き継がれている文化なのだ。

 

そのショーを少し見てから、近くのジェラールのヨットを見に行った。

沢山のヨットが係留されているところで彼のヨット「カツラ(桂離宮の桂から取った名)」があった。

今回はそれで海に出かけることは出来なかったが、何時か乗せてもらえる日が来る気がした。

 

 

   

ここにもカトリーヌの思い出が染みついている。数日前にカトリーヌが出て行ったばかりなので無理もない。

日本に送られてきたヨットの上の二人の写真を、思い出してしまった。

 

一度アパルトマンの前まで帰り、海岸で休息した、海岸の砂浜で無心な子供たちが走っていた。

 

 

海に足を浸した。しかし冷やさなければならないのはジェラールの心であった。

 

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