フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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これぞアルザスの街並みコルマール

2011年08月31日 | アルザス

この年の春のフランスは、好天続きで、しかもこのアルザスで4月末だと言うのに、連日30度であった。 

アルザスは寒い地方なので、保存食も充実している。特に果物の保存としてジャムや果実酒は一般的でこの家庭にも地下にはたくさんの瓶が並んでいた。 

 

さて、名残惜しいこの家とお別れの時間が来た。 

 

コルマールに向けて出発だ。 

山なのでカーブも多く、途中で少し車に酔ってしまった。しかし悟られないようにと辛抱していたが、奥さんは言葉が少なくなった私に気付きさりげなく「大丈夫か?」と何度か聞いてくれた。 

口数が少なく、話しかたも静かで落ち着いている。細やかな心配り、的確な発言は本当にありがたかった。 

彼女といると安心感のようなものを覚えるのだ。 

 

街に下りると真っすぐな道になるので、もう大丈夫。 

あちこちの煙突の上に巣のようなものが見える。

 

                                             

                             

ここがコウノトリの巣で有名なマンステールである。フランス人ならその名を聞くとチーズを思い浮かべる。

そのチーズがよく知られているのは味ではなく、匂いだ。それも強烈な匂いで有名なのだ。

これは試してみなくては。確かに匂いはひどいが、味はチーズの苦手な私が食べてみてもまずまずだ。

フランス人も「匂いは悪いが味はいい。」と言う。

(他のフランス人とチーズの話やアルザスの話になった時、このチーズの話題はいつもすることにしているが、皆同じ意見だ。)

 

コウノトリの巣の町を抜けると、いよいよコルマールだ。「ここが私の通った小学校、ここが私の住んでいたところ」とムッシュの説明を聞いているうちに、観光の場所に着いた。

 

                               

 

                                 

 

                               

 

                                

小さな川が流れ、おとぎの国のように可愛い街だ。店の看板もとても可愛らしい。

コロンバージュという木組みの家が特徴である。

ここに来たら、お昼はもちろん「シュークルート」だ。ジョルジュもフーケであったとき、勧めてくれていた。

                               

 

                              

 

ムッシュがアルザスと言えば白だということで白ワインもお任せした。

                              

一人ずつ大きな陶器の器(コウノトリなどアルザスゆかりのものが描かれている)で供される。

フランス人は屋外で食べるのが好きである。私は強い日差しなので屋内の方が本当は有難いが、郷にいれば郷に従えだ。

食べても食べても減らないので、完食は出来なかったが、ソーセージのおいしさはさすがにドイツと隣接していることを感じさせた。

 

こう言う街は美術館もあるのだが、歩いているだけで満足だ。

クグロフと言うお菓子も有名なのだが、お腹がいっぱいなので、次回の訪問の時に残しておこう。

 

コルマールの駅に送ってもらい、ホームで見送ってくれた彼ら、決して長い滞在ではなかったが、最初の出会った時の印象と少しも変わることのない温かいおもてなしに、いっそう近い友人となったことは確実だった。

 

                                

来日の希望も持っており、奥さんは日本語を少し教えると、日本語を学びたいと言ってくれた。

テキストを送ろうと約束したのに、いいテキストが見つからず、気になったままだ。

 

メールも手紙もそんなに頻繁ではない。しかし心のこもったメールが忘れたころに届くのだ。

もちろん今回の震災に当たってもすぐにメールが届いた。そしてその後、私たちが出会ったプロヴァンスを訪問したからと言って、プロヴァンスの特産のはちみつやお菓子が航空便で届き、私の心をいやしたことは言うまでもない。プロヴァンスに行って私のことを思い出してくれたその彼らの心はいつまでも私の胸に残るだろう。

 

この訪問から二年後、この夫婦より先に、長男夫婦が新婚旅行先として日本を選んでくれるのだった。

そのうれしい出来事は、別の項に記したい。

 

 


竜安寺の石庭 15個目の石は心の目で見る

2011年08月29日 | プロヴァンス

アヴィニョン夫妻の京都二日目の案内(一日目はこちら)である。 

 

先ず初めは金閣寺だった。

金閣寺にいつも良く案内するがこの寺は、金閣舎利殿を見られる最初の地点でこの寺への感激の大半が費やされるように思う。

 

緑を背景に、池の向こうに燦然と輝く均整のとれた建物を最初に見た時、多くの人が驚く。そのインパクトは大きい。

 

                  

しかしそのあとはこれに勝る見るべきものは無く、そのまま回遊して出てしまうことになる。

 

次に大徳寺の鉄鉢料理へ案内した。 

     

                

奮発したつもりだし、食器を重ねられる面白さも見せたかった。

しかし、マダムは料理を前にため息をついた。

日本食になじめないのだ。残念ながら、空振りの昼食であった。

 

その前に大徳寺の境内の一角で、腰を落として座っている他のフランス人を見掛けた。

マダムが何やらそのムッシュと喋っていた。

後で聞くと、そのフランス人は日本に来たがどうも日本が好きになれないらしく、もう二度と来ないとか言っていたそうだ。

詳しいことは判らなかったが、そういう人もいるのも残念な事実としか言いようがない。蒸し暑い京都の夏に閉口したのだろうか。 

 

 

午後は竜安寺に行った。しかしながら大勢の人が来ていて、せっかくの石庭も落ち着いて見られない状況だった。

 

フランス人は大体そうだが、人の多いところは好まない。

マダムさっさと方丈の裏側にある知足石の所に行き、どっかと座り込んだ。

             

 

知足石の石鉢の説明をしたが、こういう哲学的な話はフランス人の好きなところである。これでどうにかこの寺に案内したことの面目を保ったようだ。

 

本来、「石庭の石の数は15個ある。けれど一度に全部は見えない。最大でも14個だ。後の一つは心の目で見るんだよ。」と言うような話がフランス人向きなのだ。

          

         

 

しかしある時、タクシーの運転手がガイドしていて、15個見えるただ1か所のポイントを客に教えていた。それをそばで聞いてしまった。

確かにそこに立って見ると、15個全部見えた。

それが良かったかどうか、そんなポイントは無かった方が良いのではないか、あっても知らない方が良かったのではないかと、そのあと考え込んでしまった。

 

さて脱線してしまったが、京都案内の二日目の後半は次回に続けます。

 


ちょっとずつ違うお好み焼き「もどき」

2011年08月28日 | アルザス

おばあちゃんの町を出た後は、ヴォージュの山をドライブしながら戻ってきた。

このあたりでは観光地になる湖(lac de Gerardmer)にも立ち寄る。日本人でここまで来る人はあまりいないかもしれない。湖の周りを散歩した。

 

                             

 

今夜は何か日本食をと言うことで、簡単に出来そうなお好み焼きをつくるためスーパーに寄った。

キャベツの種類が日本のものとは少し違うので、同じようにはならないけれど。

要するにこのキャベツ、日本のものよりちょっと固いのである。

豚肉も、日本のような薄くスライスしたものは売っていない。

包丁で薄く切るしかない。日本のお好み焼き用のうまく脂がついた肉もないがこれも仕方がない。

 

おまけにソースもここでは見つからない。

それやこれやで、少しずつ違うが「お好み焼きもどき」と言うことで何とか作ってみた。

それでも彼等は美味しいと言ってくれた。

 

そのときご主人が言った。「日本食がとても好きで本を持っているんだよ。作ったことがあるのはこれとこれと・・」と言うではないか。

お恥ずかしい限りであった。

一度も日本に来たことがないのに日本料理のレシピ本を持っていて作っていたとは恐れ入る。

しかも、メールではそんなこと何にも言ってなかった。

 

夜のお散歩にも出かけた。

                             

「氷室」のようなものがあってびっくり。昔の人の考えたことは、東西共通のものだったのだ。

もちろん形はまるで違うが。

                             

 

さあ最後の日はどうなるか二泊の滞在はあっという間だ。

明日はいよいよムッシュの生れた街、コルマールの観光だ。

 


お地蔵さんのよだれかけ

2011年08月21日 | プロヴァンス

アヴィニョンで「こんにちは」と日本語で声をかけてくれ、家に招いてくれたフレンドリーなムッシュとそのマダムの来京都の2日目の話である。

 

まず、清水寺に案内した。

8月1日の盛夏のことであった。

 

                   

舞台からずっと周り、三重塔を見終え、音羽の滝に向かうところで、小さな女の子とお母さんの二人連れが立っていた。

女の子がアンケートをしているのだった。多分夏休みの宿題か自由課題だと思われた。

                                   

                                                                                            

お母さんは英語をかなりきれいに話される様子だったが、要するに女の子に国際感覚を育てると言った教育効果を狙われているようだった。

 

マダムはフランスの中学の国語の先生だから、このような教育的なことには極めて協力的で、アンケートに記入している横顔は先生の顔そのものだと思った。

 

                        

 

アンケートに応え終わると、その子から何か忘れたが、手作りの小さい心のこもった日本らしいお礼の品物がプレゼントされたのも覚えている。

 

もう一つそのあたりには、お地蔵さんがたくさんある。

「あの赤い布は何?」ときた。

この質問は、これ以後沢山のフランス人から受けることになる。

今から思えば、その一番初めの質問だった。

 

普段当たり前のように思い、疑問を持たない事柄を、いきなり質問され、戸惑うことがこれからたびたび起こった。

そのたびに、改めて調べ直すことになるが、やがて一応の説明ができるようになって来るが、しかし、よだれかけも赤いものや、白いものもある。狐さんまで掛けているし、「びんずるさん」も掛けている。こうなると全ての説明は無理である。

 

そのほかにも、

鳥居ってなに?

神社はなぜ赤く塗ってあるの?

大仏の手のポーズの意味は?

キツネがなぜ神様なの?

などなどであり、最後は「判らない」と言うことになってしまう。

 

その後、この日は日本茶の店で、煎茶や抹茶の入れ方などを勉強してから、夕食は昨夜一緒にしたので、この日はせずに別れて奈良に帰ってきた。  

                              

                                      

                              

 

かくして清水の観音さんに、温かく迎えていただき無事一日が終了した。

 

次回は数日開けての京都二日目の案内となる。

 

 

 


政治議論だってするアルザスのおばあちゃん

2011年08月20日 | アルザス

今日はおばあちゃんの家に行く日だ。

Sarrebourgと言う街に住んでいる。

                                               

                               

行く途中にバカラ村があり、休憩も兼ねて立派なお店の前まで行ってみた。

日本で売られているものより安いのだろうが、それでもゼロの数が相当付いている。店の中に入る勇気はなく、ウィンドーを彼らと一緒に眺めた。  

                                 

おばあちゃんの町に到着した。

駐車場に停めたら、おばあちゃんがバルコニーから手を振っている。                 

                                 

2年ぶりの再会である。ムッシュともちろんごあいさつのビズ(キス)だ。

息子としては90歳前の母親を自分の家に呼び寄せたいのであるが、おばあちゃんは、夫との思い出がいっぱい詰まったこのアパルトマンを離れたくないそうだ。

息子の訪問はどれだけ嬉しいことであろう。

それにしても至る所に亡くなったおじいさんの写真が飾られていた。

どのような歴史を刻まれたのか。この年齢のご夫婦にはいろいろな思いがあるのではと想像される。

 

おばあちゃんの名前は「Germaine」(ジュルメーヌ)だが、ゲルマンに由来しているのか?

 フランス語が使えない時期もあったそうだ。

ご存知のようにアルザスは歴史の中で、いくたびもドイツになったところでもあるからだ。

アルザスと言えば、ドーデの「最後の授業」を思い出すほどであるが、このアルザス生まれのムッシュはこの話は、知らないと言う。

日本では小学校の国語の教科書にも出ていたのだが、不思議なことであった。

 

 さて、一緒にお昼を食べることになった。

そこはおばあちゃんの行きつけのレストランだった。

             

店の人は勿論、たくさんの知り合いがおばあちゃんに挨拶をする。こういう光景はいいものだ。お年寄りを大切にしているようだ。

一人暮らしの高齢のおばあちゃんにとって、知り合いや隣人が大切なのは言うまでもない。

 

おりしも大統領選挙が目前だった。おばあちゃんが政治の話は好きであることは出会った時と同じだ。

どうやら反サルコジであるらしい。二年前、シャンブルドットのムッシュと政治議論をしていたおばあちゃんを思い出させた。

 

食事を終えて私たちはまたVosgesの山の彼らの家に戻るため、おばあちゃんに別れを告げた。

またバルコニーから見送ってくれた。

             

おばあちゃんは別の町で住んでいるが、私の中ではやはり「アルザス三人組」だ。

健康が気がかりだが、思い出とともに暮らすその姿にフランス人の深い愛を感じるのである。 

 

 

 

 

 

 


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