フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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「(ご飯を)お代り!」「ごめんなさい。空っぽです!」

2011年09月26日 | パリ11区

彼らについて、印象に残ることは、控え目で自然体のいいカップルで、日本食に関してはほぼ完ぺきというくらい、何でも食べられることである。

 

特にご主人は、朝ごはんも日本食のリクエストだった。

甘い朝ごはん(甘いパンとコーヒー、ヨーグルト、ジュースが基本である)彼らには、日本食の朝ごはんだけが苦手と言う人も多い。現に奥さんは我が家では、「朝はパンでお願いしたい」ということだった。

民宿や宿坊で出されたらもちろん食べるが、選べるなら朝はパンがいいということであったので、もちろんそうした

 

そんななか、このご主人は、魚の干物やみりん干しはもちろん、らっきょもお漬物も美味しそうに食べる貴重なフランス人の一人である。 

おとなしめのご主人だが、二度目とあって、前回よりは口数も多い。

 

自然の好きな彼らと、今回は山の辺の道に行くことにした。

奈良からJRで天理駅に出て、そこから天理教本部を経て石上神宮へ。

ここからが山の辺の道の始まりである。

                                  

                                           

 

手作りのおにぎりを食べたり、行きかう人と挨拶を交わしながら、楽しい道のりは続く。

 

彼らがびっくりしたのが、無人の野菜販売所である。

彼らは「フランスではありえない」と、口をそろえる。

こういうとき、やはり日本の田舎の良さを強く感じる。

 

                                            

健脚の彼らは、7kmあまりの道のりも問題にしない。途中田畑や、古墳、お寺、古い集落を見ながらあっという間に三輪神社に到着だ。

 

日本の田舎の風景を堪能し、帰路へと向かう。

 

前夜は、日本食は何でも大丈夫な彼らに手巻きずしを食べてもらった。ひじきの和え物も好きらしい。

彼らは、鰻や紫蘇が大好きだと言いながら、ほとんど残さず食べてくれた。

 

お魚好きな彼らであるが、今日はすき焼きを食べてもらう。

もちろん生卵もOKだ。これも好評でしっかり食べてくれた。

 

しかし実は今、思い出しても恥ずかしいことがある。

フランス人は日本食が好きな人でも、白いご飯をお代わりする人はめったにいない。

そういうこともあって、いくぶん少なめにご飯を用意していた。

 

そんなとき、奥さんが言った。「(ご飯を)お代わり!」と。だけど、お釜の中は空っぽであった。本当に申し訳ないことであった。

 

次に来てくれるときは、たくさんのご飯を用意しようと思っているが、

昨年ふたごの赤ちゃんが生まれたので、しばらく来日は無理かもしれない。

 

この夫婦が帰国して数日後、私はフランスに向けて旅立ち、旅の前半に彼らの両親宅に泊ったが、終盤に彼らの家でお茶をご馳走になり、すぐにパリで、日本の旅の続きを聞けることになる。

 

 

 


「これが軽めですって!?でも美味!!!」

2011年09月24日 | パリ15区

久しぶりにこのカップルについて書く時がやってきた。

 

山登りが好きな二人とは奈良で出会った。そうして翌年私が彼等の家に1泊させてもらった。

 

この15区の家にはミッシェルさんが車で送ってくれた。今思えばよく辿り着いたものだ。

少し迷ったが、目指すアパルトマンは車を止めた道の反対側にあるのが判った。

この時まだミッシェルさんの方向音痴について、全く気が付いていない時だった。

 

訊ねるカップルの奥さんは休暇が取れず、ご主人が休暇を取って迎えてくれた。着いて一休みしてからアパルトマンの前の道路のトラムに乗って、シトロエン公園へ連れて行ってくれた。

 

                 

 

                  

この時初めてパリのトラムに乗った。(後に知ったが、同じものが富山市内を走っている。)もともとシトロエンの自動車工場があったところで、栄枯盛衰の跡地であるが、今は広い公園になっていた。

 

                           

 

                           

寝転んだりして、ゆっくりしてから帰途は散歩がてら歩いて帰った。途中に高級住宅街があり、こういうところのアパルトマンに何時か住みたいと彼は言った。

 

                           

また日本料理の店を見かけたが、松花堂弁当が28ユーロとあった。当時のレートで言えば4000円を軽く超えていたのではないだろうか?とかくフランスの本物の日本料理店の価格帯には目をむく私である。(安いところは中国人やべトナム人が経営するニセ日本料理店であり、こちらは味に目をむくことになる。)

                                      

                                       

                   

                                                    

散策を終り帰宅すると間もなく奥さんも返ってきた。食傷気味の私に二人は「軽い物にします。」と言ったが、実際は大変な御馳走の準備をしてくれた。

子羊のアバラの肉が手に入ったと言って、焼いてくれたのだ。

 

                 

 

                 

 

                  

             

                  

 

                  

 

                  

 

食傷なんてどこかに吹き飛んだほど、これは本当においしかった。それにしても夫婦とも仕事があるので、ご主人が家でも実によく働くことに感心した。

 

その夜、以前に書いたように一番いい部屋を私のために明けてくれたのだった。

あくる日この家のすぐ近くで骨董市が開かれると言うので、それを楽しみにしてその日は、満腹のおなかをさすりながら眠りに着いた。

 


身元引き受けます。そうですか、それならば

2011年09月22日 | パリ11区
初めて両親一緒に来日したこのカップルが、大いに日本が好きになって、二度目の来日を一年後に果たすとは驚いた。
 
文化や歴史もだが、このカップルは日本食と自然の美しさに魅了されたようである。
高野山の精進料理も気に入り、鰻が大好きなのだ。
 
今回の旅程は、自然を満喫するべく、JRとレンタカーも利用するという。
上手にお得なレンタカーのサイトを探し、紀伊半島の和歌山を中心に、また丹後半島へ足を伸ばすときにもレンタカーの利用だ。
 
宿泊に当たって、依頼が来た。
地方では民宿に泊まりたいと言う。しかし英語での予約が出来ないところも多いので、予約代行の依頼だった。
彼らが予め決めた宿に私が電話で予約するのは簡単なことなので、もちろん引き受けた。日本の場合、ほとんど現地決済なので、クレジットナンバーを言う必要もないところがほとんどである。
 
この時は、確か城崎、天橋立、紀伊半島では湯の峰温泉、また関西ではないが、富士山を見ると言うことで、確か河口湖の民宿を電話で予約した。
こういう場合、私は連絡先として、我が家の電話番号を伝えておく。
 
しかし湯の峰温泉は、最初こう言われた。「うちは今は外国人はお断りしているのです。」と。
「どうしてですか?」と尋ねたところ、「以前連絡なしのキャンセルが続いたことがあって」とのことだった。
 
それは理解できた。しかし「私が彼らの宿泊の保証をしますが、それでもだめでしょうか?」と、もうひと押しした。
そうすると「そうですか。それならば」と、引き受けてくれた。
 
このことを彼らにも伝えると、「(湯の峰温泉は素晴らしいところらしいから)キャンセルなんて何で私たちがするでしょう?あり得ないわ」と言うことだった。
 
事前に宿の方から確認の電話があることもあるけれど、この宿には安心させるため前日に「明日宿泊しますからお願いします」と伝えておいたので、全く問題なく料理も温泉も自然にも満足してくれたようで、こちらも嬉しかった。
 
前回は京都泊で奈良には日帰りだったが、今回は二泊してくれることになった。
市内観光は済んでいるので、山の辺の道を歩くと言う目的である。
 
 
 
 
 

「What a beautiful girl!!!」

2011年09月20日 | リール・アミアン

この3人とは、奈良の猿沢の池の近くで偶然出会った。

 

最初はフランス人とは思わなかった。近づくとフランス語をしゃべっている。

男の子1人と、女の子2人である。

 

3人とも大きなキャリーを、JR奈良駅から三条通りをずっと引っ張ってきたようだ。

JR奈良駅からそこまで道は真っ直ぐだけど、緩やかな登りだから相当疲れたろう。

 

聞けば宿屋はもうすぐそこだ。じゃ案内しようと言うことで宿屋まで送って行った。

夕食に我が家に来るかと聞いたら喜んだ。

 

荷物を置いて、一息ついてそれから我が家に連れてきた。

警戒心は全くない。聞けば、大学で日本語を専攻して、先生の紹介で二カ月近く日本に来てあちこちでアルバイトをし、そのあと、そのお小遣いで旅行をしているらしい。

だから、日本人に対するある程度の鑑識眼が出来ていたのかも知れない。

 

中でも背が高い方の女の子は、色が白く(白人だから当たり前だが)目がぱっちりしている。というのは睫毛がかなり長い。それが日本人のような付け

睫毛でなく、「本物」なのだ。

 

                                               

我が家に連れてくる時、すれ違った年配の日本人男性が、その子を見て思わ

ず「What a beautiful girl!!!」と言ったのを覚えている。

 

最初フランス人に見えなかったのは、この子のためかもしれない。聞けばお

父さんはルーマニア人でフランス人とのハーフとのことだった。

 

私から見ると彼女のスカートは短いように思うのだが、彼女らが言うには,

肩や背中や胸を有る程度露出するのは許されるし、正式のパーティなどで

も、そういったドレスほど公式らしい。

しかしスカートの短いのは「娼婦」がすることで、下品でいけないらしい。

 

私は秘かに彼女に「ケバちゃん」というニックネームを贈呈した。持って生

まれたものとは言え日本人の私から見れば、それくらい目立つ彼女だった

 

それにしてもあの睫毛は特別だった。

 

                  

彼女はその後日本に再びきて、弟さんと二人で我が家にやってきた。

もう一人の女の子は、その後また日本語の勉強でやってきて、京都で働いて

いた。

         

そこにも訊ねて行ったこともあるし、別の友達3人で我が家に泊まりに来たり

した。

その後もお母さんと、妹さんとで我が家に来た。この子は「ケバちゃん」ほ

どは目立たないが、綺麗で気立てのいい子だ。

           

男の子とはその後別の男の子の友達と夕食にやってきた。それらはまた別の

機会に紹介したい。

 

 


オランジュリー美術館ってあっちじゃないの?

2011年09月19日 | パリ19区

ミッシェルさん夫妻とは、今回は一緒に行動する時間がたくさんとれた。

  

シャルトル以外には、パリ近郊にある複合商業施設、大きなスーパー(巨大なスーパー・Hypermarcheという)と流行りの?アウトレットモールがあるところへ連れて行ってもらったり、マルチーヌも含めてパリの東の方にある中世の町・プロヴァンへも車で行った。もちろんこちらも世界遺産である。 

 

この二か所に関しては、迷うことはなく辿り着いた。 

「まっすぐな道だね」と何度も言うくらいわかりやすいプロヴァンへの道のりではあったが。 

 

お分かりのように二年前と違って送り迎えをされないからと言って、決して不親切になったわけではない。 

むしろ前回よりより遠出であちこちに一緒に連れて行ってもらえ、より親交を深めることになったこの旅である。 

 

しかし彼の方向音痴?のエピソードは終わらない。 

 

パリでの最終日、20時発のフライトまでの時間をパリ散策に充てることになった。

「どこか希望はある?」と聞かれ、「オランジュリー美術館に行きたい」と言った。

何やらネットで検索され、「大丈夫、今日は開館している」とにっこり。

そしてメトロに乗り、コンコルドで降りた。

 

地上に上がり美術館らしき建物を目にした。

しかし、閉まっていた。

 

ミッシェルさんは「おかしいな。ネットで確かめたのに、こんなことがあるなんて。これがパリさ!!」

さしずめ「C‘est la vie(セ・ラ・ヴィ)」と言ったところか。

 

フランス人はよくこの言葉を、さほど深刻でない不可抗力の事態に陥った時、「仕方ないね」と言う意味を込めて、「ケ・セラ・セラ」(なるようになる)のように使う。

なかなかあきらめきれない私を見て、少し離れたところにいたおじさんに尋ねに行ってくれた。

 

「午後から開くと言っているが、そんなに悠長に待つ時間はないね」と。

諦めるしかないのか?と思った私の目に、向かって右側にほとんど同じような建物がもうひとつあるのが確認された。

 

「ミッシェルさん、あっちにも何か」と言うと(確信していても面目をつぶさないように言うのはちょっと難しいこともある)、「えー?ほんとだ。あっちなのかもしれないね」。

 

ガイドブックによると、初めの建物は「ジュ・ド・ポーム美術館」であった。それにしても建物はそっくりなので間違えるのも無理はないが、もちろん建物に記されているからすぐわかるはずではある。普通なら。

 

奥さんは無言だった。

パリ生まれミッシェルさんの面目丸つぶれで、ご機嫌斜めであった。

それはオランジュリー美術館の中までも続き、彼女は一人で見ていた。

 

彼女とはぐれてしまい、慌てたミッシェルさんは「Jクロードはどこに行っちゃたんだろう?困った。困った」

ミッシェルさんが迷子になるともっと困るので、「探してくるからじっとしていて」と言って探しに行ったのはもちろん私である。

 

          

   

          

 

美術館を出たところでマルチーヌが待っていて、やれやれであった。

 

             

 

奥さんのご機嫌はなおり、チュイルリー公園やルーブルを抜けながら、マルチーヌの家でランチをご馳走になって、また空港まで皆で見送ってくれた。         

  

 

          

         

           

 

                           

 

 

             

 

方向音痴の話だけ取り上げると申し訳ないので、最後にミッシェルさんの名誉のために付け加えたい。

 

方向音痴と矛盾するのは、彼が脳の働きなんかを研究している学者であるらしいことだ。

よくわからないが、医学系の学者でもないらしい。

 

ネットで見ると彼の何やら難しい論文などが、たくさん出てくるし、友人のマルチーヌ宅でミッシェルさんが著した立派な本を見せてもらったりした。

 

私にとってはプライベート運転手でなくなっても、やっぱり一番信頼のおけるパリジャン・ミッシェルさん。

 奥さんとのカップルとしても大人で上品な素晴らしい夫婦であり私の自慢の友人である。

 

 

 


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