フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

カテゴリーの説明

カテゴリーは居住地によって分けています

震災直後にもかかわらず来てくれた二人

2013年05月19日 | パリ13区

たくさんのフランス人を迎え交流し、新たな友達も増えつつあったが、最近は来日が少し減ってきた。

それはやはり2011年の東日本大震災の影響もある。震災後にキャンセルがあったのは、初来日の三組だった。① スイス在住女性二組、② フランス人の若い女性)と ③マリーアンジュの両親だった。すべて航空便・宿の手配なども済んでいてのキャンセルだったが、致し方なかっただろう。この中でその後やってきたのは、スイス在住女性一人だけだ。(2012年) 

そんな中で、予定を変えずやってきたのは、ジュリアンJ・ルイさんだ。

J・ルイさんは大変な親日家なので、事情もよくわかっての来日だ。しかし彼はこの時本来ならフランスから10名ほどのフランス人を引率してくるはずだった。もちろんすべて宿も予約済みで、私にもその旅程を頂いていたが全てキャンセルするのも大変だったろうと思う。そこで彼は単身で関西滞在のみに変更して、やってきたのだ。 

この二人の4月の来日が、どれほど私を嬉しくさせ、また日本が励まされるような気分になったか、想像していただきたい。関西ではほとんど変わらず生活ができたというものの、福島の事故もあり、どうなってしまうのだろうと不安な気持でいたところだったからだ 

ジュリアンは東京からその滞在をスタートした。そしてちょうど彼の滞在希望日に私の都合で山口・広島へ行く予定があったので、彼に「一緒にどうか?」と勧めたところ「喜んで」ということになった。 

その旅行も忙しかった。私は昼前にJ・ルイさんと京都で昼食を一緒にした。駅前にあるホテルでリーズナブルなバイキングだった。大食家の彼は、非常に喜び、「京都滞在の時、ここに何度も来るかもしれない。でも私が毎日来たら、つぶれてしまうかも?」と笑った。 

それから新大阪でジュリアンと待ち合わせをした。彼は東京から来るのだが、JRパスは「のぞみ」と「みずほ」は乗れないので、その「ひかり」で待ち合わせした。

しかし新大阪のホームに彼はいない。

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コーヒー事件

2012年04月09日 | パリ13区

ベルニたちも他のお客さんと同様に、お抹茶を点てたり、折り紙や、習字も楽しんだ。ベルニは日本滞在中に日本文化の教室にも通っていて、特に生け花が気に入っているようだった。 

しかしハードスケジュールの観光から帰ってきた後では、疲れてもいた。

それでも最終日に着物の着付けはどう?と尋ねると、友人のドミニックは「疲れているので今回は遠慮したい」と言ったが、ベルニは「もちろん着るわ」と、疲れた表情が一転した。 

 

実はこのベルニは、感情をそのまま出す人であることがわかった。一度朝のコーヒーをいれたとき、フィルターに急いでお湯を注いだためうまく出ないことがあった。

そのコーヒーを出した時だった。彼女はいきなりコーヒーカップからそばの器にジャーッと捨てたのだった。

紅茶のような色をしていたから仕方ないのかもしれないが、あの行動はとてもショッキングだったあまりフランス人の言動で嫌な思いをすることはない私だが、これはいまだに苦い想い出でとして残っている 

また豚のしゃぶしゃぶをしたときのことだ。ドミニックにこう囁いた。「ほんとは牛肉のしゃぶしゃぶがおいしいのよ」 

フランス語が分からないと思ったのか、私がそのくらいのフランス語が分かることを忘れていたのかはわからない。 

しかし最終日にすき焼きをした時は、「ああ、これが大好きなのよ。夫もいたら喜んだのに」といった。まあ素直に思ったことを言う人だ。

抹茶のババロワなど、気に入ったものはレシピを尋ねるくらいだったが、コーヒーを捨てた事件は、その後もずーっと気になることであった。 

彼女らが我が家を後にし、奈良から、まず姫路城に行き、その日のうちに高野山へ向かうということで、近鉄やJRや南海高野線等の経路を調べてあげた。

左がベルニ 右がドミニク

 

そして大阪駅に着いたころ電話を入れ乗り換えのプラットホームの番号を連絡してあげた。そのあと姫路についたころ、また電話を入れると「あなたのおかげで、うまくいったわ!!」と声が弾んでいた。 

そして午後ベルニから連絡があったのでかけなおすと、「姫路から大阪駅に帰ってきたのだが高野山へ行くには何番線?」と言うことだった。その時外出先だったので調べることができないと伝えると、気の毒なくらいしょんぼりした声が返ってきた。

こういうタイプのフランス人は初めてで、彼女が帰ってからも、「もう友人を紹介してくれることはないかも」と思っていたのだが、その後、彼女が帰国する直前まで二組の友人を紹介してくれたり、帰国後も「パリに来たら連絡して」と言うメールをいただいた。

どうやらあのコーヒー事件は、彼女にとってはごく些細なことだったらしい。

珍しいといえば、大概外国人は年齢より老けて見える人が多いのだが、このベルニは60歳とあっけらかんと言って、びっくりした。彼女はどう見ても50代半ばくらいにしか見えなかった。

そういう意味でも彼女はちょっと例外的な人かもしれない。

 

 

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いよいよやってきたこの人!!

2012年04月05日 | パリ13区

この人がいよいよやってくることになった。帰国を前にパリからやってきた友人と御主人と三人と言うことだった。 

三人となると部屋はふすまを隔てて二人と一人ということになるのだが、それでもいいということで了承してくれた。そして到着日は御主人の誕生日なので、何かサプライズをとのリクエストがあった。

そこで誕生日のケーキを用意しちょっとした演出もした。(電気を消して、違う部屋から持ってきた)また日本らしく鯛の塩釜を出したら、大変好評で三人とも箸が進んでいたようでほっとした。

イチゴのデコレーションケーキは日本では誕生日やクリスマスのケーキとしてお馴染だが、フランスにはない。フルーツのタルトやチョコレートのケーキなんかが多い。何よりハウスのイチゴ栽培がないせいか、季節外れのフルーツのケーキはありえないらしく、クリスマスに「イチゴのショートケーキ」のポスターを見たフランス人が「日本ではこの季節にイチゴがあるの?」と驚いていたことがあった

それで初めて、ハウスもので当たり前のように季節外れのフルーツを食べていることに気がついた私だった。

 

たくさんの友人(若い二人カトリーヌ夫妻カナダ人カップル図書館マダム)を送りこんでくれた彼女、来る前には「皆あなたのところへ行くと満足したととても喜んでいる。ぜひとも会いたい」とのことだった。 

そして、カトリーヌからのお土産を言付かったと持ってきてくれた。わざわざカトリーヌは奈良に行くと聞いてベルニ宅に私を驚かせるプレゼントを送って届けてもらい、喜ばそうと考えたようだ。 

聞けば一緒に来た彼女の友人はロストバゲッジに遭い、着替えがなくベルニに借りているということだった。そのせいかちょっと元気がない。 

 

でもフランス人にしては大柄なベルニ、友人も大柄でサイズはジーンズも含めてぴったりだったのは、不幸中の幸いであったと話していた。 

初めて会ったベルニの印象はさばさばとして、大変男性的?な感じのする女性で、かたや友人は大柄だが、話し方などは独身のせいか?非常に色っぽく女らしく、遠慮がちにものをいう。 

御主人はいかにもビジネスマンと言った感じのする人で、今回も広島などは三人一緒だったが、我が家で三泊したのち、仕事で先に東京に戻るとのこと。女性二人はうちでもう一泊、さらにそのあとは高野山へ行ってから戻る予定だった。

ベルニ夫妻は一通り日本を旅行しているので、行動に無駄がない。奈良では東大寺や春日大社に加えて、阿修羅像を見ることは外せないとのこと。

しかしながら奈良より京都に見どころが多いこともよく知っているので、確か午前中は嵐山、午後は奈良という強行?スケジュールを組んでいた。

 もちろん後の三日間は定番の金閣寺、竜安寺、大徳寺、別の日は銀閣寺、哲学の道、南禅寺に清水寺、三十三間堂、宇治もお気に入りで観光コースに入れていた。 

初めての来日では奈良から京都への往復にも時間を取られるので、うまく日程をこなせない人いるが、例えば嵐山への移動なども御主人がうまくガイドしてくれて難なく乗り場も分かり、時間のロスがなくスムーズにこなせていたようだ。

友人が外国に滞在している間にその国を訪れるというのは、限られた滞在時間をうまく使えることもあり、この夫妻が日本滞在中にたくさんの友人が訪れたのだった。

 

 

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ミッテラン図書館のマダム

2012年03月09日 | パリ13区

この二人も東京在住のベルニからの紹介でやってきた。一か月の間にカトリーヌ、カナダに続き、三組のカップルが紹介されて来たことになる。 

私も大変というか嬉しい日程調整であったが、ベルニが東京滞在中に来ておかなくっちゃとやってくるので、さぞ東京のベルニも宿の手配やアドバイスはもちろん、東京滞在中はベルニ宅に滞在するので、大変忙しいことであったろう。

とは言ってもこの時点で私とベルニには面識はなく、イザベルの友達と言うことでメールのやり取りだけのつながりであった。

 しかし総じてこのベルニの紹介でやってきたカップルは、どことなくインテリジェンスを感じるカップルが多かった。

後楽園を観光して夕刻奈良駅に着いたこのカップルを迎えに行き、初めて見つけた時は、どちらかというと御主人もアジア人にも見え、奥さんはフランス人にしては丸ぽちゃで失礼だが田舎のおばちゃんみたいな雰囲気であった。

多分ペアルックのように二人とも赤い服を着ていたせいもあるかもしれない。 

奥さんはフランス人にしては、控えめでおとなしい感じのする人であった。にこにこして、ご主人の言うことに相槌を打っているといった具合だ。 

食事に関して言うと、奥さんは箸が使えなかった。中国料理などアジアのレストランも人気があるフランスでは、結構みな上手に箸を使うので、ちょっと意外だった。

そして小松菜などしゃきっとした茎が苦手でお鍋でも残していた。翌日のお好み焼きはナイフフォークを出したら、食べやすそうで、喜んでいた。最終日の手巻きずしのウナギは気に入ってくれて、とても好評だった。 

四泊したのだが、カトリーヌ同様に、奈良からJRパスで京都観光にも出かけた。金閣寺は二時間見惚れていたそうだ。 

着物は恥ずかしいのか遠慮され、習字のとき、「何か書いてほしい言葉がある?」と聞いたら御主人はすぐに言ったが、奥さんは長く考えて、詩の一節を書いてほしいという注文であった。 

彼女はあのミッテラン大統領が建てた「国立図書館」に勤務していて、本が好きなのであろう。

お土産に持ってきてくれたのは、そこで売っている絵本のミニストーリーが書かれたマウスパッドと、昔のヨーロッパから見た世界地図のマウスパッドで、今も大事に使わせてもらっている。 

パリに行った時は連絡できなくて会えなかったが、フランス人女性ではにかみやさんで、謙虚な女性と言うことで奥さんが印象に残っている。

 

 

 

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道を教えてくれたのは小学生の女の子

2012年02月14日 | パリ13区

ゴブラン織りの博物館から北の方に向けて歩き、ムフタール通りと言う商店街を歩いた。

 

 

やや細い道の両側にお店があり、楽しい通りでワインなども店先にたくさん売っていて、安いようだ。

 

 

 

出口あたりの道の真ん中に、白い犬がどさっと寝転んでおり、のんびりした感じであった。

 

 

以前泊まったことのある名前が「グランゼコール」と言うホテルの前にも行き、中の庭を覗き懐かしかった。

 

 

 

 

そこからパンテオンの方へ向かったつもりが、いくら歩いても予想した方に出てこない。途方に暮れた。

 

丁度その時可愛い女の子とお母さんの二人が差し掛かったので、この人たちなら聞いても問題ないだろうと、今私はどこにいるのかと地図を差し出し聞いた。

 

お母さんより小学生の3年か4年くらいの女の子が仕切りに熱心に地図を見て、

ここですと教えてくれた。しっかりした賢い子だった。

想像していた地点とはかなり違っていた。

 

丁寧にお礼を述べて別れたが、後でなぜ折り紙を上げるくらいのことに気がつかなかったのか後悔した。

 

ようやく方向が解りパリ第3大学などを経て、リュクサンブール公園に着き、そこを経由し昨日訪れたサンシュルピス教会へ行った。

 

 

 

昨日ムッシュに見たかと聞かれ、写真を撮らなかったドラクロアの絵を撮りに行ったのだが、暗くてその時のカメラの能力ではうまく行かなかった。

大切な絵なので、フラッシュは焚かなかったが、焚いても同じだと思う。

目でしっかり見て置くことにした。

 

    

 

あるムッシュに「日本人はしっかり自分の目で見ないで、写真をパチパチ撮り、さっさと行ってしまう。」と冷やかされたことがある。

写真を撮って安心し、肝心の自分の目でしっかり見ない過ちは私もよく繰り返す。

 

このムッシュが奈良の大仏殿を見ての帰り、中門の所で大仏殿を振り返り、「もう一度よく見ておこう」と言ったのは今も鮮明に覚えている。

あれ以来彼は来日していない。

もう高齢(80歳過ぎ)だから、来れないと言っている。

それだけにあの時の彼の言葉が忘れられない。

 

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