フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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贅沢な悩み

2012年01月30日 | パリ6区

カトリーヌたちと別れた翌日は、ミッシェル&J・クロードさん夫妻がマルチーヌと一緒にパリ郊外の古城プロヴァンへ連れて行ってくれた。

 

 

 

中世の街を大切に保存していた。

そこでミッシェル&J・クロードさん夫妻・の「お膝の上事件」があったが、これは先に書いたので省略する。

 

その翌日は、シャンソニエのピアニストからランチを招待されており、モンマルトルの近くまで出かけた。

彼はインド料理へ連れて行ってくれた。

 

 

 

 

前はアルジェリア料理、今度はインド料理と言うわけで、彼とはフランス料理にはありつけない。

モンマルトルを訪れないパリ滞在はあり得ないので、この後少し

モンマルトルに上り、今まで訪問していなかったアトリエ洗濯船跡や「壁抜け男」を見に行った。

 

シャンソニエ  

 

 

昔の有名芸術家たちの共同アトリエ跡

 

 

午後一旦ミッシェルさん宅に戻り、服装を整えて出かけた。

まず、マリーアンジュの若夫婦の家にお茶を呼ばれに行ったのだ。

 

 

 

この同じアパルトマンの同じ階の向かいのドアには、入ったことがある。

そこは高野山で会った、ネッスルに努めている夫妻が住んでいて、2年前に来たことがあるからだ

 

今回彼等はスイスに赴任し留守なのだが、前回ここに来た時その向かいの家にまた来るとは想像もしていなかった。

 

彼等はマカロンやお茶で歓待してくれた。奈良の山の辺の道を案内してから1カ月もたたないうちの再会だった。

 

この前ネッスルに勤めている夫妻に会いに来た時は、ミッシェルさんの送り迎え付きで、気がつかなかったのだが、今回歩いて来て判ったことがある。それは意外と近くに刑務所があったことだ。

 

この付近は特に治安が悪いこともないのだが、刑務所があるとはちょっとびっくりした。

 

マリーアンジュの両親夫妻とは既に会って、ヴォー・ル・ヴィコントへ連れてもらった後だが、二世代同時に会えなかったのは、それぞれの日程がこうさせたのだった。

マリーアンジュ達の家を辞して、サンジェルマン・デ・プレへ向かった。ここに住むお医者さんのご主人、会社社長の夫人のカップルに招かれていたからだ。

 

このカップルとの縁は、先の述べたネスカフェに勤めるカップルと会社社長の夫人とが知り合いで、日本へ来た時京都で夕食を一緒にしたのだった

 

その時のディナーの話は次にするとして、この一日だけで三組の友人とランチ、お茶、ディナーと別々に過ごすことになる。

 

パリ滞在の限られた日程の中で、出来るだけ友人の招待に応えようとするとこうなってしまう。

これでも渡仏自体内緒にしている友人が少なからずいるのである。これが贅沢ではあるが、悩みの種だ。

 

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昼も夜もお好み焼きだった!!

2012年01月25日 | リール・アミアン

ケバちゃん姉弟が帰った数日後、今度は三人組のシリルが友人・ステファンと一緒にやってきた。

 

彼もまたアルバイトをした後、旅行にやってきた友人と合流し、富士山頂も踏破し、関西にやってきたのだった。

彼らは奈良で宿を予約していたので、夕食にやってきた。

 

若い男の子にお好み焼きを用意した。

しかし・・・・・。

何と!!昼もお好み焼きを食べていたそうだ。

「好きだからいいよ」と言ってくれ、たくさん食べてくれたので、ちょっとほっとした。

 

シリルは日本語が話せるのだが、ステファンのことを「こいつ」だとか「お前」だとか言うのを聞いて、ちょっと違和感を覚えた。

外国人は丁寧な日本語を話す人が多いので、そんなことを感じたのかもしれない。

 

ステファンは乗馬が趣味(と言っても日本でセレブな趣味ではなさそう)で、田舎で育った純朴な青年と言う印象を受けた。

折り紙や習字、お抹茶などもシリルより上手で、前年来た時、そう言えばシリルはあまり器用ではなかったことを思い出した。

そう、結構不器用なフランス人も多いのだ。

 

 

この友人も「リールに来たら是非また連絡して」と喜んで帰って行った。

リールも段々知り合いが増え、リールに初めて行った時には連絡できなくて残念だったが、若い彼らにはまだまだ会う機会はたくさんあるだろうと

楽しみにしている。

 

とりわけ、タヌキのようなまん丸い目をした人のよさそうなステファンは特に印象に残った。

 

 

 

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パリの大蔵省は長ーい

2012年01月22日 | プロヴァンス

イスラム教寺院を見てから、クリスチーヌの両親の家に行くことになった。

 

地下鉄の駅で、クリスチーヌの友人のマダムとお別れした。

 

ジュシーの駅でクリスチーヌの友人とお別れ

 

クリスチーヌは自分の両親の家の少し手前で、花屋さんに寄ってお母さんのために花束を買った。

ご両親の家でパトリスがおとなしかった話は、以前にしたとおりである。

 

お母さんの手作りのマカロンやケーキ、クッキーと紅茶を御馳走になった。

抹茶のクッキーも手作り、しかも甘さを抑えた上品な味で家で作ったとは思えないほどだった。

   

 

 

 

 

 

 

 

お母さんは絵も描かれるそうだ。

 

ただこのアパルトマン、エレベーターがない。

5階の自宅から出入りするのも全て階段だから、その分足腰は鍛えられるがちょっと大変だ。

お母さんは「スポーツよ」と笑っていた。

重いスーツケースがあるときはどうするのだろう?フランスの男性は力持ちであるはずだ。

 

クリスチーヌの御両親

 

屋根裏部屋があり、そこでレイラは寝ているようだった。

休憩してから、ご両親にお別れし、クリスチーヌ達と近くのベルシー地区へ散歩に出かけた。

 

大きな競技場や体育館もあるし、以前ルーブル宮に入っていた大蔵省が、新しい建物に入っていた。

 

長さが数百メートルある細長い建物で、一部はセーヌ川に張り出している。

大蔵省の建物

 

 

壁に芝生を張ったような大きな体育館

 

 

 

セーヌ川にかかる長い木の橋

 

 

シラクがパリ市長時代にこの辺を改造したらしい。もともとセーヌ川から荷揚げをしたとこらしいが、トロッコのレールなどもそのまま残してある。

 

広い公園もあり、市民の憩いの場になっているようだ。

 

ベルシー公園を抜けると、クール・サンテ・ミリオンだ。

ワイン倉庫だった建物がレストランや、ショップに衣替えしている。

 

昔のワイン倉庫を生かしたレストランなど

 

 

昔のワイン倉庫の写真

 

 

これらをゆっくり一通り見て、リヨン駅でカトリーヌたちとお別れした。

 

左からパトリス、カトリーヌ、レイラ

 

里帰りを兼ねたとはいえ、私のパリ滞在に併せてアヴィニョンから来てくれたのだ。

お別れはさびしかったが、実は翌年アヴィニョンで再会する。

 

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真面目な弟は、脳外科医の卵

2012年01月21日 | リール・アミアン

秋の初めのやってきたのは、前年三人組で食事に来たうちの一人、ケバちゃんだ。 

 

今回も前年同様に二か月日本でアルバイトをして、その後旅行をするというスタイルだ。違うのは今回は弟さんが来日し、合流して旅行をしているということだ。そして今回は二人で我が家に二泊することになった。 

 

聞けば彼女たちは六人姉弟で、まだ小さな弟妹が四人いるそうだ。

 

弟さんは医学生で、脳外科のスペシャリストと言われる医師になる予定だ。(医師はジェネラリストと呼ばれる総合医と、専門医のスペシャリストに分かれる。このムッシュとこちらのムッシュはジェネラリストである。このムッシュはスペシャリストである。) 

 

ケバちゃんはとても頭のいい子だが、この弟もまた優秀であった。

 

ケバちゃんの友達の男の子がこの後やってくるが、弟さんのことを「とても真面目でしょ?」と言っていたように、フランスの若者にしては内気に思える青年だった。

  

一緒に奈良を観光もし、折り紙や習字をした時もおとなしく真面目な態度で、取り組む姿勢に好感をもった。

 

 

 

 

リールでは二人は一緒にアパートを借りているということで、ここでも決して贅沢をしないフランスの若者の生活が伺える。

  

翌日は仕事があったため、彼らは二人でレンタサイクルで、平城旧跡や古墳なども見に行ったようだ。

 

朝の洗いものをする時間がなく、そのまま出かけた私だが、帰宅したらきちんと洗ってくれていて、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、さりげないことに彼らの実直さ、しつけの良さを感じた。 

 

ケバちゃんはこの後一旦帰国し、10月から1年の予定で名古屋の大学に留学すると言っていた。

 

三人組の他の二人によれば、大学から成績優秀で選ばれてのことらしく、「彼女はほんとうによく出来る」のだそうだ。

  

一時帰国した折に、ケバちゃんと弟さんからリールのお菓子やベルギーチョコレートなど、他にもたくさんのリールの名産が入った小包が送られてきた。

 

両親に負担をかけないよう、つつましやかに生活をしながらも、このようなこころづかいをしてくれた二人の気持ちに心が熱くなった。 

名古屋で一年留学した後、帰国してまた今はアメリカで勉強しているそうだ。

優秀な姉弟は、楽しみながらも勤勉で、夢をかなえるべく今日も頑張っていることであろう。 

若い人をささやかながら応援できたことが嬉しくもある。

 

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パリ セーヌ川 遊覧

2012年01月18日 | プロヴァンス

アヴィニョンからクリスチーヌとパトリス夫妻それに娘のレイラがパリにやってきた。

 

パリにクリスチーヌの両親が住んでいるので、里帰りと私に合うのと両方の目的があったからだ。

 

エッフェル塔の近くで待ち合わせをして会ったが、2年ぶりである。クリスチーヌは公立中学の国語(つまりフランス語)の先生だが、日本と同じで仕事は大変なようだ。

 

ストレス解消に私に会うことで日本へ旅行したことを思い出すよう、この里帰り旅行を企画したようだ。日本にもう一度旅行したいと思うが、なかなか難しいからということであった。

 

私は今回南仏には行かないと言ったので、それなら私達がパリに行くわと言うことでもあった。

 

2年ぶりに会ったレイラはまた大きくなり、高校生だがかなり大人になった。

 

もう一人パリ在住のクリスチーヌの友人(この人も中学の理系の先生)も、このセーヌ川遊覧に加わった。

 

エッフェル塔の近くの乗り場から、遊覧船に乗ってシテ島のノートルダム寺院を超えて東に行き、Uターンして元の乗り場まで往復するコースであった。

 

左右の岸の建物は全て歴史的な建造物だし、セーヌにかかる橋も古い物ばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

これらを舟から見上げ、圧倒された。

これまで多少ともフランスのあちこちへ行って(このときはブルゴーニュとブルターニュの後であった)、それぞれそれなりに素晴らしい景観も見てきたが、やっぱり流石パリだなと思わずにはおれなかった。

 

バスチーユからのサンマルタン運河上りは早くに経験済みだが、セーヌ遊覧はいかにも「お上りさん」に思えて、なかなか機会がなかった。

 

しかし川から見上げることでその建物の迫力が増し、遊覧することで両岸に次々に現れる歴史的建造物、パリの美しさ、素晴らしさを改めて感じたのである。

 

セーヌ川遊覧を終るとバスで6区に移動し、サンジェルマン・デプレ近くのカフェで軽くサンドイッチなどでランチした。

 

 

そこから植物園へ行こうとしたが、雨が降ってきたので予定を急きょ変更し、5区にあるイスラム教のモスクへ行った。

建物の中はモザイクの装飾で飾られており、綺麗で自由に見ることは出来たが、メッカの方を向いてお祈りをする所だけは、私達異教徒は入れなかった。

 

 

 

 

 

イスラムのサロン・ド・テ(カフェ)があり、そこでモロッコのお菓子ととても甘いミントティーを頂いた。

 

 

このカトリックの国フランスで、イスラム教のモスクは異世界と言う感じがした。

 

 

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