フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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着物姿のエブリンにうっとり!!

2012年05月04日 | ブルターニュ

この日、東洋陶磁美術館を見た後、中之島公会堂でオムライスを食べ、建物を見学したら、ちょうどホールでダンスをしていて見せてもらった。タンゴだった。二人は日本人が社交ダンスをするのを見て驚いていた。

ジェラールはダンスも大好きでカトリーヌともよく踊ると言っていたが、最近エブリンとタンゴを習い始めたとメールがあって、「中之島公会堂のタンゴを覚えているでしょ?」と書いてあった。この時みたタンゴに触発されたようだ。

さて、二日目の夜は、着物の着付けである。エブリンはおしゃれなので、着物にも大変興味があった。

特別に二枚の着物を着てもらったが、髪もさっとアップにし「この方が着物には合うでしょ?」と言う。そしてシックな色留め袖を着た時「この色は大好きな色なのよ」とにこにこ。

正直に言うと、大きな彼女が色留め袖を着ると、柄が下の方に偏り、上の方に柄がないのでバランスが悪いのだが、そんなことは気にならないようだ。

ジェラールにたくさん写真を撮ってもらい、何回も鏡を見に行き、最後着物を脱ぐ前にも「もう一度見てくるわ」と言った。

これだけ喜んでくれると着てもらう甲斐があり、私も嬉しかった。

 

カトリーヌの明るくたくましい人柄が頭に残っているので、エブリンについて頭を白紙にして会うのは難しいなと思っていた。

けれど、エブリンに接していると自然に彼女は彼女なりのすっきりした性格が感じられ、この人もなかなかいい人だなと感じたのであった。

 

つい数ヶ月前、失意のどん底にいたジェラールは、驚くほど短期間でいい人を見つけたものだ。 

 

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エブリンは私の宝物、チュッ!!

2012年04月17日 | ブルターニュ

カトリーヌがとてもいい人だったので、複雑な思いで迎えたエブリンは、タイプは全く違い、背が高くスマートでおしゃれにも気を使う人だった。

カトリーヌはとにかく食通で太っちょだったのとは正反対である。 

何となく、名前もカトリーヌと言うと、少しロマンティックだが、エブリンと言うとセクシーな響きがある。

エブリンお気に入りのシャネルの香水をぷんぷんさせていた。洋服もいっぱい持ってきていて

ジェラールは「スーツケースの中身はほとんどエブリンのもの」と、笑っていた。

年はカトリーヌは40代なのでずいぶん年下だが、どちらかと言うとあねご肌でサバサバしていたカトリーヌとはこうも違うのだ。

ジェラールが好きな桂離宮へも、カトリーヌのときと同様にやっぱりエブリンを連れていくと言うので、その予約も頼まれた。 

カトリーヌとの時と違って今回は、奈良も案内し、我が家で二泊した。

ジェラールが日本食好きなのは分かっていたが、エブリンも食べてくれた。箸が上手に使えなくても一生懸命努力して使っていた。

むしろジェラールが苦手とするものも「おいしい」と進んで食べていたくらいだ。この二人は特にあさりの澄まし汁が気に入ってくれたようだった。 

奈良の案内で、能楽堂ホールのある新公会堂に行った時、ジェラールは「以前会議で来たことがある」と言ったので少し驚いた。

私の知り合いでは、ここに私の案内以外で来たことがある人は初めてだった

二月堂へ向かう階段のエブリンとジェラール 

難波のブルターニュの旗が目印のクレープリーでティータイム

 

ところで、この二人、新婚さんなので無理はないとはいえ、ところかまわずとにかくいちゃいちゃするのだ。

二日目に大阪へ向かう電車の中でも「チュッ」とするのだから、一緒にいるこちらまで恥ずかしくなった。

若い二人なら気にならなかったと思うが、何しろジェラールは60代、エブリンは50代である。「エブリンは僕の宝物」と真顔で言うのだ。

もうこれを逃してはという思いも解らないではないが、ムッシュのあまりのお熱ぶりに、エブリンに返って飽きられないかなと心配になるくらいだった。

 

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泣いたムッシュが三ヶ月後見つけた新しい恋人

2012年04月14日 | ブルターニュ

四月はパック(復活祭=春分後の最初の満月の後の最初の日曜日)の休暇もあるので、続々とフランス人がやってくる。 

ベルニに続いてやってきたのは、この人だ 

前年4月から5月にかけてフランスを訪れたとき、奥さんのカトリーヌが「今朝出て行った」と、ずっと泣いていたムッシュである。 

帰国後も励ましのメールを送ったりした。

四国旅行へ行った時、四国の友人の女性が写っている写真を送ると、「お遍路さんにいつか行きたい。ところで、彼女は独身?」なんてことを言ってもいた。 

それがわずか三カ月後の夏、彼から送られてきた写真を見て、仰天した。 

何と「素敵な彼女が見つかった。彼女は中学校の教師をしていてアンジェに住んでいる。遠距離になるので週末行ったり来たりなんだけど」と、仲むつまじい写真である。

おそろいの浴衣を着た写真や、何とカトリーヌの故郷の別荘で二人が過ごしている写真まで添えられていた。

日本が好きと言う自分の趣味を相手に押しつける?ことや、前妻と過ごした別荘に連れていく神経は理解に苦しむけれど、まあ、それも「セ・ラ・ヴィ」と言うことか。 

そして、その彼女エブリンと一緒に来日したのだった。

前妻を知っている私としては複雑で、しかもカトリーヌはあれから単身チュニジアに渡ったと聞いている。彼女は見知らぬ地で苦労をしていることだろう。

ェラールはもう前しか向いていない。エブリンとすでに一緒にエジプト旅行もしたらしい。そんな思いを留めながら、彼の新しい門出を祝福しなければならない。彼にとっては三度目だが、結婚式までちゃんと挙げた。いわば今回は新婚旅行だ。

奈良で彼らを迎え、一緒に昼食を取った。カトリーヌとは全くタイプは違うが、エブリンはエブリンでとても感じのいい人だった。すんなり私も彼らを祝福する気分になれたのだった。

 

奈良、大阪への観光に同行することは、次の項に記したい。

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私はブルトン人だよ!

2011年12月28日 | ブルターニュ

いよいよブルターニュともお別れである。

 

家でパトリックと愛犬・カネル(シナモンという意味)にお別れをした。

来た時はパトリックが迎えに来てくれたが、帰りはマルゴが自動車で駅まで送ってくれた。

この二人、こうして交替で三日間の滞在の面倒を本当によく見てくれたのだ。

 

 

駅で列車を待っていると、駅員さんがやってきて「日本人か?」と聞いてきた。

「そうだ。」と言うと彼は、「日本に行ったことがある。」とのこと。

だから彼は懐かしかったのだ。

青い制服を着た、太っちょさんだが、いかにも人がよさそうだった。

 

 

プラットホームのマルゴに送られて、列車は出発した。

 

 

                  モルレイの街

    

 

席は窓際だったけれど通路側にムッシュとマダムが座っている。

観察するとどうやらムッシュは私に声をかけたいのを、躊躇しているようだ。

 

 

 

 

そこで「こんにちは」と声をかけた。

そして聞いてみた。「私は何人に思う?」「中国人?朝鮮人?ベトナム?日本?タイ?インドネシア?マレーシア?カンボジア?・・・・???」

 

彼曰く「中国人!」

でも彼は最初から日本人と判っていたのだ。

何故なら話してみると彼等の身内に日本人と結婚している人がいるようだし、向かいに座るマダムが「SUDOKU(数独)」をしているではないか。

何のことはない日本通なのだ。

 

そこで私はあえてお返しに聞いてみた。「ムッシュはフランス人かい?」

彼は即座に答えた。「私はブルトン人だ!」

この返事に彼等のブルトン人としての誇りを感じた。

彼は大学教授にでも見える風貌だが、元銀員だったそうだ。

さすがフランス、堅い仕事をしていたにしてはユーモアのセンスがある。

折しもリーマンショックの後だったから、「いい時に辞めたよ。ラッキーだった。」と言った。 

 

彼等はブルターニュの西の端の街「ブレスト」から乗ってきたとのこと。これからパリの息子の家に行き孫に会うのだと、嬉しそうにマダムは言った。 

 

 

 

彼らは初めてデートで映画を見に行ったそうだ。

それは何と「裸の島」という日本の映画で、映画も素晴らしく、思い出にいつまでも残っているそうだ。新藤兼人のほとんど台詞の無い映画で、その村の人々の生活が見て取れたと話してくれた。

 

おしゃべりなマダムは、モンパルナス駅についてもタクシー乗り場まで、ご主人をほっといて私と話し続けたのだった。

 

この上品なマダムからは、帰国後もメールがくる。

文章を書くのが好きとかで、いつもメールには詩が付けられている。

解読が難しく、閉口する。

そして、お孫さんの名前は、ブルトン語で太陽を意味する名前だと説明があった。

こうしてブルトン文化も継承されて行くのだろう。

 

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ノン!!それは君の仕事じゃない!!

2011年12月24日 | ブルターニュ

ロスコフから帰り一休みすると、留守中にマルゴが作っておいてくれたディナーになった。

 

昨夜は長兄夫婦を招いての夕食で、御馳走を食べ過ぎたから今夜は軽めにしてくれたらしく、胃袋に優しい献立だった。 

 

鶏とあんずとひよこ豆(もしかしたらこれはフランス料理ではないのかもしれない)、デザートはイチゴのタルトだった。ワインは赤だった。                      

 

メインもデザートも本当においしかった。  

 

                    鶏とあんずとひよこ豆

 

 

                     チーズ

 

 

                        イチゴのタルト

 

 

            マルゴ                     パトリック

 

 

それはさておき、昨夜の長兄夫婦を招いての夕食の出来事で、一つ書き忘れていたことがあった。

 

夕食が終った時だった。しばらくしてから、私は自分の食べた食器を炊事場の流しまで持って行こうとした。この前日もそうしたし、いつでもどこでもお世話になった家ではできるだけお手伝いする意味でそう心掛けているからだ。

 

その時だ。例のスペシャルなお兄さんはすかさずこう言った。「ノン!!それは女の仕事だ!!」

 

これにはびっくりした。そしてお言葉に甘え、運ぶのをやめた。

この言葉をそのまま受け止めれば、男尊女卑の封建的な考えに基づくものとなる。

 

しかし、実のところ彼は「あなたはお客さんだから、そんなことしなくていいよ」と言いたかったのに違いない。それを彼は彼流にジョークを交えて表現したのが本当のところだろう。

 

しかし一昔前、このスペシャルな兄さんが育ったころは日本で言う「男子厨房に入らず。」と言う世界だったのであろう。その残滓がまだこのスペシャルな兄さんの頭のどこかに残っているのに違いない。だからああいう表現がひょいと出てきたのだ。

 

フランスでは、日本より封建的な部分が残っているように感じる。目に見えない階級社会も感じるし、必ずしもレディファーストでもない場面に出くわすことがある。

 

まだ女性は女性らしく、男性は男性らしくあれと言う感覚も感じる時がある。

世界に先駆けて革新的なところもあり、一方で相当保守的な人もいて、幅の広さと言う面でも不思議な国である。

 

翌日はこのケレンマとお別れし、パリへ帰るのだが、その帰りにまた別の話がある。

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