妹の付添いをしていた時、傍に置いて時々ページを開いていた、白洲正子の『私の百人一首』
著者が六十の手習いと称して手がけた小倉百人一首の解釈は、選者の定家を含め百人百様の人間模様を見るようでとても興味深く読みました。
母がかるた好きで、お正月には家族でかるた取りをしていたことから、何となく百人一首は知っていたのですが
子どもなので、一首ずつきちんと読んで鑑賞したりはせず、一字きまりやゴロ合わせで覚えて、少しでも早くたくさん取るという超合理的な方法で覚えた百人一首でした(^_^;)
一字きまりというのは、例えば
「村雨の露もまだひぬ真木の葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮」という寂蓮法師の歌がありますが、
「む」で始まる歌は、この寂蓮法師の歌しかありませんから、読み手が「む」と言ったら後の続きは聞きもせず、取り札のはじめに「霧」と書いてあるものを目をギラギラさせて探すわけです。
歌の内容にはお構いなしです(笑)
「す」と言ったら「夢」、「め」と言ったら「雲」などの一字きまりの札は何枚かあって、誰よりも早く取れると誇らしい気持ちになる、スポーツみたいなかるた取りでした。
今思うとなんとも味気ないですよね~(^_^;)
著者が京都の骨董屋で見つけたというかるたの美しい読み札が
一番歌から順に載っていて、眺めているだけでも楽しいです♪
高校1年の時の古文の先生が、バツイチ子持ちのなかなかチャーミングな先生で
「個人的には、お高い紫式部より、ゴシップに事欠かなかった和泉式部の方が好みだった」とか
和歌に解説を加えるとき、
「うっとりするような一首だけど、恥ずかし過ぎる~」などと顔を赤らめて、個人的な感想も入れながら楽しい授業をしてくだったのを覚えています。
その頃から、古典作品を読むのが好きになったような気がします。
和泉式部の読札
『あらざらむこの世のほかの思ひでに 今ひとたびの逢ふこともがな』
恋多き女と言われた和泉式部は、夫がありながら二人の親王と恋に落ち、親王は二人とも早世しその後再婚もしているという経歴の持ち主ですが、
晩年「私はもうすぐ死んでしまうかもしれない、あの世へ行く思い出に、せめてもう一度あなたにお会いしたいものです。」
と、切々と詠んだこの歌が、最初の夫の道貞へ送った歌と言われています。
であるとすれば、悲しすぎるな~と思ってしまいますね。
白洲正子は、数ある和泉式部の歌の中から定家はなぜこの一首を選んだのか、とか、和泉式部を評した紫式部の文や、和泉式部集、後拾遺集などからも和歌を引いて、和泉式部の人となりに触れ、歌を鑑賞しています。
それは、他の作者においても同様で、歌の訳よりも詠み手の人間関係や置かれた立場などに思いを馳せながら百人一首を紐解き、この本を書いたようです。
たった31文字の和歌から広がる、王朝時代の人々のおおらかな恋愛模様や恨み辛みの情の深さ。
読めば読むほど、新鮮な気持ちで味わうことができます。
ozさん作
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音読の宿題で毎日聞いてます
意味を教えてとか言われ、ネットで調べたりとかしてますけど、小一には何だかわからないようで(笑)
意味もわからず、暗記しちゃってますが私よりずっと詳しくなりそうです
いつも、かなの書は字形にいっぱいいっぱいで書いてしまってます。反省
じっくり歌を楽しみながら書いたらまた違う作品になるかもですね。
mintさんのブログにはいつも触発されるものがあります、感謝
百人一首も、試験に出そうなものしか、勉強しませんでした。
美人の生涯は、恋多いものです。
言いよって来る男が悪いのか、言い寄らせる女が悪いのか、昔も今も、同じですね。
私は暗記科目が弱いので、手抜きで語呂合わせで覚えてました。
意味は説明しても分からないですよね~。
半分は恋の歌だし(^_^;)
追々わかっていくのでしょう。
お年ごろになって
「君がため惜しからざりし命さえ・・・」なんて恋歌を詠んだりして・・・ね。
マダムのブログだったのですね。
審美眼があり、行動力があるところなんかマダムに重なるところを感じます。
東慶寺の陶芸展、マダムの作品は即完売だったのですね~。
私も近くなら行きたかったです♥
今のうちに買っておかないと、手が届かなくなってしまうのでは・・・
コツコツ暗記するのは苦手で、試験に出ると分かっていても勉強しないズボラなmintでした。
悪女と言われてもいいから、少しぐらい言い寄られてみたかったです~(笑)
我が家も百人一首はお正月の恒例行事でした。
親戚一同会し、父が節をつけ朗々と読み上げるのですよ。
「久方の~光のどけき春の日に~
しず心無く花の散るらん~」でしたっけ?
もう必死で覚えました、意味などさっぱりわからずにです。
でも結構強かった記憶が・・・・・。
主人と結婚して今の我が家には百人一首をする習慣はありませんが、
今でもいくつかは覚えていますよ。子供の頃覚えた歌は忘れないものですね。
そうですか~白洲正子さんがそのような本を書いていらっしゃるとは知りませんでした。
この歳になってその一種一種の意味を知るのも面白いかもしれませんね。
機会があれば読んでみたいと思います。
男も、女もロマンチックだったと思います。
恋に胸を焦がして、嫉妬して
妖怪にもかわるくらい…
百人一首は、小学生の時に、少しやったくらいで
ほとんど知りません。
あのころは、そんな女心もわからず、カードゲームとして楽しんでいたなんて
勿体なかったですね。
最近は、源氏物語も、再ブームのようで
また読んでみようかな…って思っています。
聡明な夢路さんは、お強そうですね~。
母が入ると母の独断場になるので、我が家では母が読み手でした。
義母も和歌が得意で、家計簿に和歌を書きつけていたくらいですが、婚家のお正月は何故か大人はマージャン、子どもたちは将棋大会でした。
義父がいつも賞品を用意していたので、それはそれはみんな一生懸命でした(笑)
たった31文字の中に感じられるドラマ・・・
日本語ってすごいな~と思います♥
きっと暇だったんだろうな~と思うこともありますけど(笑)
私も小学生の時は、意味も分からずでした(^_^;)
源氏物語、どなたの訳がいいのでしょうね。
誰かの巻に絞って読み比べてみるのもいいかもしれませんね。