「新日本風土記 本郷辺」
今日のテレビで、少しばかり見ました。
それによりますと、あの時の東大抗争のそもそもの発端についてですが、医学部の学生が卒業後に、1年間の無給での仕事に就くことへの反発から起こったということでした。学業を終えてやっと仕事につけると思っていたところ、1年間もタダ働きをさせられることは、あまりにもひどいと思いました。
そして、その後この運動への参加者が増えて、組織も大きくなり、その中に入り込ん来た、あるいは送られた人達がいたのしょう。(これは私の考えですが)日本では、このようにして、内部に必ずスパイを送り、内部を破壊させる、あるいは別の要素が入り込み、メディアはそれを大きく取り上げて、国民が東大抗争に反発をするように見せてきました。
本当の抗争はどこかに追いやられて、共産党組織が加わっていることなどをあげ、国民へのコントロールは成功したのです。
その後、あさま山荘事件、よど号事件、赤軍派の事件などへと発展していきました。
そして国民は蜂起したり、デモには無関心を装う事になるのでした。
国民へのコントロールは、このようにして簡単にされてきたのでした。
何処までが裏と関わってきたのかは、わかりませんが、これから明らかにされることでしょう。
そして、東大抗争が国民に理解されないままに終わることのないように、私達は知る事が大切だと思います。
最近の東京女子医大の卒業後についても、同じ事が言えますね。