♬ この本の日本でのタイトルは、「さとりをひらくと、人生はシンプルで楽になる」です。
エックハルト・トール「さとりをひらくと、人生はシンプルで
楽になる」より
第2節「感情の痛み」=「ペインボディ」を溶かそう・・・・・・・・P56
「いま、この瞬間を味方にしないと、感情的な痛みは増え続け、痛みを背負って人生を歩むことになります。新たにこしらえる感情的な痛みは、心と体にすみついている、過去の経験による痛みにくっつき、雪だるま式にどんどん大きくなっていくのです。
からだに積もった痛みは、ネガティブエネルギーになって、心とからだにくっついています。これが感情の痛み、私が「ペインボディ」と呼ぶものです。ペインボディには、ふたつの状態があります。眠っているものと、活動しているものです。休火山と活火山をイメージすると、わかりやすいかもしれません。ペインボディが90%近い時間、眠ったままの人もいるでしょう。「私はとても不幸だ」と感じている人の場合には、ペインボディは休まずせっせと活動しているのです。
ペインボディが、フルに目覚めた状態で、人生を歩んでいる人もいれば、親密な人間関係や、過去の悲しい経験(見捨てられる、失う、肉体的・感情的に傷つくなど)と重なる状況でのみ、ペインボディが目覚める人もいます。どんなささいな出来事も、ペインボディを活動させる引き金になり得ますが、過去の痛みと共鳴する場合は、なおさらです。ペインボディが目覚める準備ができているなら、ちょっとしたネガティブな考えや、誰かの悪気のない一言でさえ、それを活動させるスイッチになってしまいます。(略)
気心を知り尽くしたつもりでいた人が、突然それまで見せた事のない、悪意に満ちた性格を露呈するのを目の当たりにし、大きなショックを受けた事がありませんか? あなたは、ペインボディが牙をむく瞬間を目撃したのです。しかしながら、ひとのペインボディを観察するよりも、自分自身のペインボディを観察することの方が、ずっと大切なことです。ほんのわずかでも、惨めな気持ちが湧き上がってきたら、注意しましょう。それがペインボディの目覚めのサインかもしれないからです。「いらだち」「怒り」「落ち込み」「誰かを傷つけたいという欲求」「人間関係で”ドラマ”を作らずにはいられない」などがそのパターンです。ペインボディが目覚めるその瞬間に、しっかりとつかまえましょう。
ペインボディが存続できる道は、ただひとつ。私達が、無意識の内にペインボディとひとつになってしまうことです。ペインボディも、人間と同じように生きるための「栄養」を必要としています。栄養はペインボディのエネルギーと共鳴するものなら、どんな経験でもいいのです。さらなる痛みをこしらえる物なら、何でも栄養にしてしまいます。ペインボディは、栄養を摂取するために、同じ種類のエネルギーを帯びた状況を、私達の人生につくりだします。痛みの栄養は、痛み以外にはありません。痛みは、喜びを食べて生きられません。痛みは、喜びを消化することができないのです。
ペインボディと一つになると、わたしたちは、もっと痛みが欲しくなります。そこで「被害者」か「加害者」になることを選びます。「痛みをもたらす人」か「痛みに苦しむ人」もしくはその両方になってしまうのです。「痛みをもたらす人」も「痛みに苦しむ人」もあまり違いはありません。「自分から好き好んで痛みを欲しがる人なんて、いるわけがありませんよ!」 ほとんどの方は反論するでしょう。でもその気持ちを押さえて、よーく観察してみましょう。あなたの思考や言動は、自分自身や他の人に痛みをこしらえていませんか? ペインボディの存在をちゃんと自覚できていれば、ネガティブ性は消えてしまいます。進んで痛みを望む人など、どこにもいないからです。
「エゴが映しだした暗い影」であるペインボディは、あなたの意識という光に照らされることを何よりも、恐れています。どうか気づかれませんように、とおびえているのです。その存続は、わたしたちがペインボディを「ほんとうの自分」と思い込んでしまうかどうかに、かかっているからです。また自分の痛みを直視することを、怖がってしまう事も、ペインボディを存在させる原因です。
ペインボディを、しっかりと見据えて、意識という光で照らさなければ、永遠に痛みを繰り返して、行く事になります。ペインボディは直視することに堪えない危険なものに思えますが、あなたの実存というパワーの前には、尻尾をまいて退散するしかない、幻でしかありません。精神世界の教義の中には、「すべての痛みは、究極的には、幻である」と説くものがありますが、これはまさに真理です。さあ勇気を出してペインボディを見つめましょう。
ペインボディは、私達に直視されて、幻というその実体をあばかれたくありません。ペインボディを観察すると、ペインボディを「ほんとうの自分」だと思い込んでしまう、という罠から、抜け出せるのです。すると、意識が新しいレベルに進みます。私はこれを「在ること」と呼んでいます。「在ること」によって、自分の核とも言える、内側に秘められた強さに気づきます。「在ること」によって、「今のパワー」を手にしたのです。
問い ペインボディを「ほんとうの自分」ではない、と認識できるようになったら、ペインボディはいったいどうなるんですか?
答え ペインボディは「無意識に生きている」ことによる産物です。ペインボディを自覚すると、ペインボディは意識に姿をかえます。パウロはこの普遍的原則を美しくつぎのように表現しました。
「光に照らされると、すべては姿をあらわす。光に照らされたものは、全て光となる。」
闇と闘うことができないのと同じように、ペインボディと闘って、それを退治することはできません。退治しようとすると、心に葛藤が生じ、結局さらに痛みをこしらえてしまいます。観察するだけで、事は足ります、観察することは、対象をあるがままに受け入れることだからです。ペインボディは、思考の誤った認識というプロセスによって、その人の生命エネルギーから切り離され、一時的に独立してしまったエネルギーなのです。
ペインボディを観察し、「ほんとうの自分」ではないと認識できたあとでも、ペインボディは活動をつづけ、わたしたちに、もう一度わなを仕掛けることがあります。ちょうど、スイッチを止めたあとも、扇風機が惰性ですこしの間回り続けるのに似て、ペインボディも余力で活動をつづけるのです。この段階にくると、ペインボディは、身体のあちこちに肉体的な痛みを与えるかもしれませんが、「悪あがき」も長くはもちません。しっかりと意識を保って、「いま」にありましょう。自分の内面を、片時も逃さず見張る、「ガードマン」になるのです。
ペインボディを見張れるようになるには、十分に「いまに在る」ことが条件です。そうすれば、ペインボディは、思考をコントロールできません。自分の思考がペインボディのエネルギーと同じ種類のものだと、ペインボディとひとつになり、ペインボディに栄養を与えることになります。
ちょっと例を挙げて説明して見ましょう。たとえば、あなたのペインボディの、主なエネルギーが怒りだと仮定します。そのうえで、誰かの言動やさらに、どんな仕返しをしてやろうかという怒りに満ちた思考に明け暮れるとします。するとあなたは「無意識状態」になってしまい、ペインボディが、あなたに成り代わってしまうのです。怒りの感情の裏には、必ず痛みが隠されている物です。みじめなムードにおそわれ、「なぜ人生は、こんなにもむごたらしいのか」などというネガティブな考えに浸っていると、自分自身もペインボディと同じ色に染まり、「無意識状態」におちいります。すると、ペインボディの攻撃に対してもろくなってしまうのです。私がここで言う「無意識状態」とは、ある思考や感情と一つになってしまう事を意味します。「見張り人不在」の状態といってもいいでしょう。
ペインボディをいつも観察していると、ペインボディと思考のつながりを断つことができます。思考との繋がりを断たれてしまったペインボディは意識へと変わります。痛みが意識の炎を燃やす為の燃料にかわり、結果的に意識の炎がいっそうあかるくなるのです。これが、一般に知られていない、古代錬金術の解釈です。つまり、卑金属(=苦しみ)を黄金(=意識)に変える技術のことを意味しているのです。苦しみと意識の間を走る亀裂は癒され、私達は満たされます。そのレベルに到達できたなら、もう新たな痛みをこしらえないことが、わたしたちに課せられた使命なのです。
では、ここでプロセスをおさらいしてみましょう。まず、自分の感情的な痛みに、意識を集中させます。それをペインボディだと認識します。「私の内面にペインボディがある。」という事実を受け入れます。ペインボディについて、解釈してはなりません。
判断をくだしたり、分析したり、自分の都合のために「ペインボディはOOが原因だ」などと、決めつけないことです。「いま」に在り、自分の内側を観察しつづけるのです。ペインボディを観察する人になりましょう。これが「いまのパワー」につながる方法です。「いまに在る」ことから得られるパワーです。そうしてから、自分にどんな変化が起こるか様子をみましょう。
女性の場合は、とりわけ月経の周期に先立って、ペンボディが目を覚ますことが多いようです。この理由や詳しいことについては、後ほど、お話しますが、いまの段階ではこれだけ述べておきます。私達が「いまに在り」自分の感情がたとえどんなものであろうと、それに支配されずに、それを観察できると、過去の痛みがすべて、迅速に氷解してしまうことがあります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P62
(次回は、エゴは「ペインボディ」とひとつになりたがる、です。)