トランプ陣営からは、私に会いたいという話はありませんでした
でも9月の訪米が近づくにつれて、「もしかしたら何か起きるかもしれないから、
念のためトランプにも一応会っておいた方がいいんじゃないか」と思い始めたのです
官邸内では、トランプとの会談は不要だという意見もあったのですが、
万が一に備えたかったのです
でも、当選した
トランプには、まず当選のお祝いの電話をし、
「私はアジア太平洋経済協力(APEC)の首脳会議のためにペルーに行く。
途中に米国に寄って会いたい。
あなたがどこにいようとも、会いに行く。どこにいますか」と聞いたら、
ニューヨークにいるというので、ペルーに行く前に会う約束を取り付けました
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実業家だったトランプは、政治や行政に全く無縁だったわけです
だから、発想の仕方が従来の政治家とは異なる
トランプは、ビジネス界での成功体験の手法を、国際政治に持ち込もうとした
それがアメリカ・ファースト、米国第一主義です
ただ、政治とビジネスは違います
企業は利益を追求しますが、国が利潤だけを考えていては、民主主義社会は成り立ちません
様々な利害を調整し、問題を処理するのが政治家の仕事です
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トランプ氏の第一印象はどうでしたか
どのような考えで会談に臨んだのですか
トランプは、予想していたよりも謙虚でした
私の話をずっと真剣な表情で聞いていました
彼は、経済も軍事も世界最大の国のリーダーになるわけですが、
国の指導者としては私の方が先輩に当たるということで、
敬意を表してくれていたという側面もあったでしょう
ケミストリー(相性)も合った
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トランプ氏とは頻繁に首脳会談や電話会談を行いましたが、
定期的な会談を約束していたのですか
約束事はありません
ただ、トランプとは、お互いが同じ場所に行ったら、とにかく会おう、
という話をよくしていました
それは非常に重要なことです
中曽根康弘首相は、レーガン米大統領と会談を重ね、
日米関係は万全だとアピールすることに努めました
それが中曽根政権を支える原動力になったと思います
私の親父(安倍晋太郎外相)も、レーガン政権のジョージ・シュルツ米国務長官とは、
国際会議で同じ場所に行ったら必ず会って外相会談をやるように心がけていました
親父の秘書官だった私は、その姿を見て、会談の大切さを感じていました
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トランプはアメリカ・ファーストを貫きつつも、
時々、「この政策で大丈夫だろうか」と不安になることがあったのだと思います
そういう時、私の意見を聞こうとして電話をしてきました
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私が辞意を表明した後の電話会談(20年8月31日)で、
「安倍さんには、貿易交渉で譲りすぎたかもしれない」と話していました
総じて日米でいい関係を築けたと思います
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彼はメディアにさんざん批判されましたが、
大統領選で公約したことをほとんど実現してしまった
温暖化対策の国際的な枠組みのパリ協定から離脱、TPPからも離脱、
イランとの核合意を破棄し、メキシコ国境には壁を建設してしまった
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私は、エリート層にも相当のトランプ支持者がいたのではないかと思います
そうでなければ、あれほど強く公約を推し進められなかったはずですよ
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「特定の企業の名前を挙げて非難するのはやめてくれないか。
これは企業にものすごいダメージを与えるし、そうした批判をやめれば、
日本企業も米国に投資しようと考えるでしょう」と言いました
その後、彼は4年間、企業の固有名詞を出して批判することも、
為替を持ち出すこともなかった
信頼関係を守ってくれました
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米紙ニューヨーク・タイムズには、「安倍はトランプにおべっかを使ってばかりで情けない」とさんさん叩かれました
大上段に構えて「米国の政策は間違っている」と文句を言い、日米関係が厳しくなっても、日本にとって何の利益にもならないでしょう
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米国の投資家のジョージ・ソロスがこの年の1月、来日し、会談した時に、
「そんなにトランプと仲良くしたら、いろんな批判を受けることになりますよ」
と私に忠告してきたのです
私は「トランプを選んだのは、あなたたちでしょう。私たちではない。
米国は日本にとって最大の同盟国だ。
同盟国のリーダーと日本の首相が親しくするのは、当然の義務です」と反論したのです
国と国の関係を考えて、政治家は割り切って付き合う必要があるのです
その点は、好き勝手なことが言える評論家とは違います