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架空業績の意味する物

2012年03月02日 18時51分56秒 | 日記
例えば、四百字詰め三枚程度の原稿用紙に書かれた文章でさえ、

それが印刷されれば、

一本の論文として計算されます。

ですから、同じ『陔餘叢考(がいよそうこう)』に関する記述でも40項目以上あったとすれば、

40項目、四十本の業績として加算されたはずです。

更に『陔餘叢考』が架空の業績であったとすれば、

他の業績も、当然、疑問が浮かび上がりますので、

詳しい人物には、

学会にすら、残っていて欲しくはなかったはずです。


拝啓

突然この様なお手紙をお出ししまして、まことに失礼致します。

私は、大東文化大学の中国文学科を卒業した者で山と申します。

さて、私は今回、

「日本中国学会」の運営上の問題、

特に名簿の編集についてお尋ねしたい事がございまして筆を執りました。

たいへん申し上げにくいのですが、単刀直入に申しますと、

会費を納入し所定の手続きを終えているのにも関わらず、

日本中国学会の名簿から私の住所が勝手に削除されてしまいました。

現在は、名前も削除されているかもしれません。


日本中国学会から送られてくる名簿や振り込みに関しては、

これまでにも、私の知らない間に私の住所が変更されていたり、

覚えのない振込用紙が送られて来たりと、

不思議な事が続いて参りましたが、

住所が削除されるなどという事は今までには無かった事です。


さて、今回、名簿の削除が発覚した経緯については、以下の通りです。

私は、平成17年8月に引っ越しをし、

日本中国学会宛に、平成18年1月12日、

池袋西武簡易郵便局から会費の振り込み、及び、

振り込み用紙上で住所の変更手続きを致しました。

その後、日本中国学会からは学会便りが届き、

宛先には新しい住所が記載されていましたので、

手続きは無事完了した物と思っておりました。

ところが、その後、年末まで何も刊行物が届かず、

さすがに学会報が送られて来ないのはおかしいと思い、

日本中国学会の本部である斯文会館に、

18年(2006年)12月14日に電話をしました。

すると、この日は、担当者が不在であるという事でしたので、

担当者が会館に来たときに電話を下さるようお願いしました。


12月19日に、

菊野(電話で聞いただけですので漢字が違っているかも知れません)

という担当者から電話を受け、

斯文会と日本中国学会と同時に手続きをしたにも関わらず、

日本中国学会の会報が届かなくなった、

と苦情を訴えた所、

21日に日本中国学会報第五十八集、及び、会員名簿が送られてきました。

また、年が明けて平成19年1月15日頃に、

「学会便り」(平成十八年十二月二十日号が何故か二冊)及び会費の振込用紙が届きました。


菊野という事務員の話しでは、

郵便物が戻ってきたので、

住所不明者にしたという事でした。

そこで、送られてきた名簿を調べた所、

果たして私の住所は削除されていました。

また、ご丁寧にも二冊届いた「学会便り」の「住所不明会員五十四名」の中にも、

私の名前が書かれていました。


事務員の話しによれば、

「郵便物が戻ってきたので、住所不明者にしました。」と言うことでした。

しかし、私の住んでいるところは南海の孤島ではなく、

東京都の練馬区です。

日本には電話もありFAXもあり(引っ越しの前後で番号に変化はありません)、

また、斯文会館内にあるはずの振込用紙のコピーで、

住所も入金も確認が出来るはずであるのにもかかわらず確かめもせず、

その一方で、たった一回、

郵便物が戻ってきただけでさっさと削除をし、

その報告を「学会便り」に掲載する手際の良さ。

不思議な事だと言わざるを得ません。


そもそも、当の「住所不明会員」は見ることの出来ない「学会便り」に、

「住所不明会員」を載せる事にどれ程の意味があるのでしょう?

目的は?何かの見せしめでしょうか?

それとも、学会会則第二条の「会員相互の親睦」を願って、

他の会員から「住所不明会員」の情報提供を募るためでしょうか?

とすれば、現在、

「日本中国学会」で役員をしている池田知久・三浦国雄・林克・門脇広文の諸先生方は、

全員私の新しい住所をご存知のはずですが、

なぜ何も言って頂けないのでしょうか?

別に、この先生方と「親睦」がなくてもいいのですが、

会則を作った御本人達からして無関心なのであれば、

ますます、「住所不明会員」を「学会便り」に載せる意味が分かりません。

ひょっとして、誰かが勝手に名簿を削除しないための、

一種の安全策でしょうか?

すると、会則を作った人物は、初めから、

名簿の削除を計算に入れているという事でしょうか?


学会の規約によれば、

名簿の責任編集は出版委員会にあり、と明記されています。

事務員が学会の名簿に加筆する事は、

それは仕事ですから仕方のない事です。

しかし、きちんと委員会が存在する以上、

委員が全員の名簿を確認する事はないにしても、

新会員及び新たに削除される会員の是非は、

確認しているのではないでしょうか。

どう考えても、

事務員がいきなり自分勝手に会員の住所を削除するとは考え難く、

誰かの指示を受けているか、

或いは、事務員が削除した物について、

出版委員会が確認をしているはずだと思われます。


さて、話しはそれてしまいましたが、

私は上記のやりとりで名簿の問題はすっかり解決した物と思っていました。

しかし、これで不愉快な問題が解決したわけではありませんでした。

昨年4月に、日本中国学会から、

2006年10月9日に大東文化会館ホールで行われたらしい、

第五十八回日本中国学会講演録「中国学への提言」という小冊子が

「クロネコメール便」で送られてきたのが最後で、

それ以後、現在に至るまで何も送られてきてはおりません。


このクロネコメール便の表に貼られたシールに印刷されていたのは、

間違った住所でした。

この前に、「学会便り」を送付するときに用いられた封筒には、

きちんとした住所が印刷されていたのに、

何故、わざわざ間違った住所になっているのかわかりません。

更に分からないのは、間違った住所でも郵便物は届くという事です。

菊野という事務員の話しには疑問が残ります。


ついでに、

18年までは普通に送られてきていた斯文会の会報も来なくなりました。

斯文会の会報は、

電話で苦情を訴える前までは通常通り送られてきていました。

しかし、事務局の事務員に、斯文会の会報は滞り無く送られてくるのに、

日本中国学会の会報だけが送られてこないのはおかしい、

というような話しをした直後から送られてこなくなりました。

これは偶然でしょうか?


こちらから苦情の電話を掛け、

折り返し日本中国学会の事務局の菊野という女性が、

我が家に電話を掛け、

私本人であると確認をとり、

住所の確認をし、

その後送られてきた中国学会報の入った封筒には手書きで正確な住所が書かれ、

次に送られてきた「学会便り」及び振込用紙の入った封筒には、

正確な住所が印刷されたシールが貼ってありました。

これは、事務局のコンピューターへの情報入力は、

既に完了していたという事だと思われます。


…普通、どんな金融機関でも、

事務員が電話を掛けて人物確認及び住所の確認をした後、

郵便物が送られてくるというような、

上記の様な手続きをふめば登録は完了します。

しかし、この後、19年4月に送られてきた「クロネコメール便」には、

再び、誤った住所が入力されていました。

現在、日本中国学会の会員が何千名にのぼるのかは知りませんが、

わざわざ、私の住所をしつこくしつこく間違った住所に書きかえる目的はなんなのでしょう?

事務局にはひょっとして狢でもいるのでしょうか?

2006年には母校大東文化大学で日本中国学会大会が開かれました。

私の名前が名簿から削除された事と学会大会とは何か関係でもあるのでしょうか?


さて、本年20年4月に二度斯文会館に連絡しましたが、

日本中国学会の担当である菊野という事務員からは、

現在に至るまで連絡はありません。

疚しいところが無ければ堂々と連絡をしてくれればよいのに。

名簿の記述がどうなっているのかはわかりませんが、

もし、私の名前が名簿からすっかり削除されているとすれば、

18年1月に池袋から会費を振り込んだ所を起点にすれば僅か一年、

19年4月、中国学会からの最後の郵便物が到着したのを起点にすれば、

僅か半年で私に何の確認もなく、

私の名前は削除されたことになります。

これは、誰が決めた会則かは知りませんが、

「会費納入に関する内規(3) 2年を超えて会費の納入がない場合は,当該会員に連絡の上,除籍とする。」

という条項にも背く行為だと思われます。


さて、「学会便り」に

「住所不明会員」として載せられているのは私だけではありません。

しかも、平成14年の住所不明委員会は18名、

平成15年は33名に比べて、

平成18年の54名というのは異常に多いように思われます。


現在はどうなっているのかは分かりませんが、

少し前までは、

日本中国学会に入会するためには

教授或いは助教授二名の推薦が必要であったはずです。

その様な手続きで入会を許された者の権利が、

容易に侵害されてよいはずはありません。

そもそも、名簿や住所といったものは、

執行部であっても勝手にいじってよい物ではないはずです。

削除するだのしないだのと会則で決めるところからして、

実に高圧的で下品。

万が一、会の執行部にとって都合の悪い会員を故意に削除しているとすれば、

日本中国学会の存続にも関わる事態であると言わざるを得ません。


お忙しいところたいへん恐縮ではございますが、

この様な状況が続いておりますので、

事務局の菊野という事務員にも話を聞き、

事実を究明し善処していただきたく、お願い申し上げます。
                                     敬具

平成二十年八月五日


この抗議文によって、

学会の名簿から削られていた私の住所は回復しましたが、

今年五月に、また変な物が送られて来た事は、

このブログに書いた通りです。


さて、私が大学院を満期中退したのは90年。

国費留学は92年からです。

今年は2011年。

その間、二十年間、現在に至るまで延々、嫌がらせが続いています。

赤ん坊が生まれて、成人するまでの期間、

学会からは、送られてくるべき物が送られてこず、

嫌がらせの文書が送られてきます。

スポーツクラブに行けば、

「シェーシェーの国の人」です。

中国人にも失礼です。


これらの嫌がらせの契機が、

架空の業績である『陔餘叢考』40項目にあるとすれば、

大東文化は中林史朗を解雇すべきです。



何か、不味いことを知られて

学生に、

しつこくしつこく

つきまとって嫌がらせを繰り返したら、

どうするんです?

Vladimir Horowitz plays Chopin Polonaise in A flat Major, Op.53 "Heroic" Polonaise


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