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靖國参拝(再投稿)

2013年08月06日 14時09分50秒 | 日記
先ずは、以下の動画をご覧下さい。

靖国問題に火を付けたのは報ステの加藤千洋だった!


靖國神社に関して、私は一つ疑問に思う事がある。中国で、江沢民を好きな人間に会った事がないのは既に述べたが、熱心に「靖国問題」を語る中国人にも会ったことがない。にも関わらず、日本では中国を刺激する、と問題視されている点だ。

95年の村山・江沢民会談の後、排日愛国運動が大々的に始まった。始めこそ運動に懐疑的だった人民も、00年頃までには馴染んできたようで、列車やタクシー・バスの中でも、難癖をふっかけられるような、日本人にとって不愉快な事も起こるようになっていた。

例えば、北京から東北に向かう列車の中で、向かいに座っていた三十前の女性は、「子供の時には、鬼子(日本軍)が攻めてくる気がして、夜眠れなかったわよ。」などとわざわざ話し出す。バスの中では「日本人は、政府から情報操作を受けてるんじゃないか?」、と言われるので、「それは、あなたたち」と思う。まあ、日本人も、ある種の情報操作は受けているかも知れないが。

92年の天皇陛下の御訪中の頃は、博物館に資料を探しに行けば、係員が「日本は(経済発展して)すごいんだってな」などと言いながら、普通は見られないような珍品・貴重品の保管庫や古書蔵に通された。列車に乗れば(中国の長距離列車は、たいてい酷く混んでいるが)、優先的に席を譲ってもらえた。その頃から比べると、180度とは行かないまでも、100度以上は方向転換したようだった。

しかし、旅行中「南京」や「偽満州国」に関する話は出たが、「靖國」の話は殆ど出なかった。出たとしても、「亡くなった人を弔うのは当然でしょう?」、とこちらが聞くと、それで話は終わりになった。

・「孝」の思想
共産党が喧伝しても、「靖國神社」が中国の大衆に浸透しなかったのには理由があるように思う。人民の宗教観に馴染まなかったのだ。

中国人にとって、墓参りは大切な習慣だ。日本で、お盆やお彼岸に墓参りをするように、中国でも、四月初旬の「清明節」の日には、墓参りをし、墓の掃除をする。紙銭を焼いたり、爆竹を鳴らしたりするので、大気汚染の原因と心配されたりもするが、先祖を祭る大切な習慣なので、行政も止める事はできない。この場合の墓参りは仏教ではない、儒教の影響によるものだ。

儒教というと、古い封建的な物・滅びつつある物、と誤解されているが、「中国語」や中国人の生活の中に、或いは、日本人の生活の中にも、現在に至るまで脈々と受け継がれている。それが、既に二千五百年以上経過して、習慣の中に溶け込み、知らぬ間に親しんでいる物であるからには、例えば、共産主義のような、俄に起こった思想や諸政策で、完全に払拭する事など出来ようはずもない。

例えば、仏壇に手を合わせるような、或いは、家族との関係の中に、儒教の影響と思える物は、幾らでも発見できる。

「招魂儀礼とは、祖先崇拝そして祖霊信仰を根核とする。当然、祖先を祭祀する。では、この祭祀の主催者はだれかというと、子孫である現在の当主である。しかしこの当主もいずれは死んで祖霊となる。とすれば、祖先の祭祀を続けてくれる一族が必要となる。すなわち子孫を生むことが必要となる。これを肉親の関係で言えば、

祖先…祖父母ー父母ー自己ー子ー孫…(一族)

ということになる。整理すると、

(一)祖先との関係(過去)
(二)父との関係(現在)
(三)子孫・一族との関係(未来)

を表している。そこで、儒は、この関係をばらばらのものとしないで、一つのものとして統合する。すなわち、

(一)祖先の祭祀(招魂儀礼)
(二)父母への敬愛
(三)子孫を生むこと

それら三行為をひっくるめて〈孝〉としたのである…

儒教の宗教性は、現代においてしぶとく生き残っている。すなわち、孝である。祖先崇拝・親への敬愛・子孫の存在という三者を一つにした生命論としての孝…。

…日本人はお彼岸やお盆には祖先の墓参りをする。仏教においては、墓を建てることはもとより、墓参りなどあり得ないのに、日本人はそれを行う。すなわち、墓参りはほんらい儒教であり、その日をお彼岸やお盆の日に選ぶのは日本仏教である。儒教において墓参りし、墓の掃除をするのは、清明節(春分の日からあとの十五日間)のときであって、彼岸や盆とは関係がない。中国人は今もそうしている。

しかし、そのような儒教と仏教との混合は、なにも日本人だけではない。中国人の場合は、儒教・仏教に加えてさらに道教までが混在している。多神教の東北アジア人は、神仏をいろいろとお祭りして平気である。」加持伸行 著『儒教とは何か』

・靖國参拝
上記の考え方は、国家の祭祀にも通じている。戦争で亡くなった英霊を弔うことは、米国でも中国でもやっている事で、別におかしな事ではない。まして、日本と中国、或いは、中国文化の影響の強い朝鮮半島の宗教観には共通点が多い。日本を含めた東北アジアの宗教観から考えれば、本来、日本の閣僚が靖國神社に参拝する事が、問題視される事はなかったはずだ。ところが、八十年代、従軍した世代が病没する頃になって、靖國神社への参拝が問題視されるようになる。

例えば、極東軍事裁判で戦犯として裁かれた人物の合祀が適切か否かという問題。私が不思議なのは、A級・B級というのは、裁判の話だ。しかし、祭祀は宗教の話だ。この二つは、本来、別の物であるはずだ。例えば、裁判でAさんが死刑になったとして、Aさんの親族は、Aさんの墓参りに行ってはいけないだろうか。墓参りなどは、一般の日本人の感情、或いは、習慣に鑑みれば、被害者と雖も、踏み込む事のできない、踏み込めば、傲慢の誹りを免れない領域のはずだ。

まして、極東軍事裁判に、一方で戦勝国のリンチ裁判との評価があり、また、A級戦犯と言われる人々の刑が確定し、既に執行されている以上、そこで義務は果たした事になるのではないだろうか。その後の宗教儀礼に関して、外国からとやかく言われる筋合いはないし、刑の執行後の祀りに関する事まで周囲が口を出していい事になると、現在の裁かれた人の立場はどうなるのだろうと思う。

靖國神社に祭られている英霊の多くは、八百屋や魚屋等の近所のおじさん達だ。赤紙で徴兵されて従軍し、お国のためにと戦って亡くなったのだ。米国大統領がアーリントン墓地に参拝するように、日本の総理大臣や閣僚が、靖國神社に参拝するのは当然と思う。「政教分離」と言うのであれば、寧ろ『公明党』の存在の方が問題だ。

「戦死者を英霊として、戦争を肯定的に捉え、戦争を賛美する」という非難だが、戦死者を英霊と呼んだからと言って、戦争を肯定的に捉えて賛美している事にはならない。上記の引用のように、「英霊」というのは、祖先崇拝の延長上にある尊称だ。仏教ならば、罪を犯して処刑された者も善人も亡くなれば「仏様」、戦場で亡くなれば、敵も味方も「英霊」だ。例えば、お盆やお彼岸に墓参りをし、江戸や明治の墓に手を合わせたとしても、別に墓の前で刀を振り回したり、和服を着ると誓ったり願ったりしているわけではない。

明治12年、社号が「招魂社」から「靖國神社」に改称されたときの「祭文」には、「赤き直き真心を以て家を忘れ身を擲(なげう)ちて各(おの)も各も死亡(みまかり)にし其(その)高き勲功に依りて大皇国をば安国と知食(しろしめ)すが故に靖国神社と改称(あらためとなえり)」とある。また、靖国神社の存続が問題視された時に、上智大学学長であったブルーノ・ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」と述べた。これが、英霊を祀る目的であり、また、閣僚が参拝する目的でもある。英霊に敬意を払い、現在の日本の繁栄を感謝しているのだ。

例えば、アルカイダでさえ、米国大統領がアーリントン墓地に参拝するなとは言っていないのだ。参拝を新たな戦争への誓いであるかのごとく捉え、「日本軍国主義の責任者の象徴であるA級戦犯を、現在の日本の行政の最高責任者である首相や行政府の幹部である閣僚が参拝して、美化または肯定するのは、歴史問題である」という非難に至っては、牽強付会を通り越して、でたらめ、難癖、高圧的でひどく傲慢な物言いであると言わざるを得ない。

殷に勝った周は、宗廟の祀りが絶える事を案じて、殷の子孫を封じて宋国を建てさせた。招魂儀礼を「歴史問題」にすり替えるのは、中国の伝統的な「招魂儀礼」の思想とも合わないと思う。

・日本から発信された靖國問題
中国の伝統的な習慣から逸脱しているせいか、中共が人民に対して幾ら「靖國神社」と戦争責任を宣伝しても、江沢民らの思惑通りには浸透していないように思える。だいたい、中共自身すら、靖國神社への参拝に神経を尖らせているようには見えない。例えば、今回の春の例大祭にしても、05年4月の中国での暴動も、騒ぎの始まりが靖國参拝にあるとは思われないのだ。

92年から始まった日本と中国の蜜月は、95年の村山・江沢民会見で終わりを告げ、それ以降、日中関係は冬の時代に入って行く。それより少し前、日本国内では、91年に首相の靖國参拝に関する問題が、仙台高裁・最高裁で合憲判決、92年には、大阪高裁が違憲判決。96年、橋本首相が靖國参拝。97年、愛媛玉串料訴訟で最高裁が違憲判決。99年、野中官房長官が、個人的見解としつつも、A級戦犯分祀論を述べる。01年、神崎公明党代表が、憲法20条(政教分離)と89条(公費支出)に違反と言い出す。この様な状況下で、01年8月13日 小泉首相が参拝し、その後、遂に中韓から批判があがる。

時間の流れだけを見ても、中国では反日愛国教育が行われ、一方、日本国内では靖國参拝について議論が起こっていた。そこで、中共が、靖國問題を反日教育に利用しようとした事が覗える。しかし、伝統的な考え方から逸脱しているために、「靖國参拝」に関する中共の反応は、今ひとつ鈍い。

例えば、05年4月の成都、北京、上海などで起こった暴動は、首相の靖國参拝が根底にあると言われてはいるが、どうだろう。小泉氏は首相に就任すると、毎年のように靖國神社に参拝したが、中国で暴動が起こった05年4月の前後は参拝していない。04年は1月、05年は10月の参拝だ。暴動後、小泉氏は何も悪い事をしていないにも関わらず中国に謝罪し、また、周囲も中国との関係改善に尽力しているが、10月には再び参拝し、参拝しても、その後暴動は起こっていない。

また、今年の春の例大祭にしても、中国側から起こった物ではない。日本側の誰か、或いは、何処かの媒体が、「こんな事をすると、中韓が反発する」と言うのを合図に、中国側から戦争責任を追及する声があがった。不思議な事に中国は、靖國問題に関して、常に日本側の批判の声を聞いてから懸念を表明している。問題は、日本国内にあると言える。

・結び
私は、中国の歴史も、中国人の持つ文化や哲学も嫌いではない。ただ、残念な事に、日本側には、相手が何者かも考えず、将来への影響も考えず、謝罪外交に邁進する政治家や団体がおり、中国側には、人民も尊敬できない政治家がいて、何の因果か、この二つの勢力が手を組み、日中関係を歪めて成長させてしまった。政治に、理想のみを求める事はできないが、もう少し、互いを尊重しあうような関係が、作れなかったものかと思う。

日本側は、90年代以降、求められるまま無闇に謝罪した御蔭で、国際的地位を下げることになった。中国側は、遠くは、毛沢東の大躍進から文革にかけてもたらされた甚大な被害、近くは、チベット侵攻やウイグルでの暴動、市場経済に伴う腐敗の横行を、排日愛国運動で覆い隠してしまった。その為、両国の関係は常にぎくしゃくし、中国人民は現在も中共の政策に苦しんでいる。日本には、過去の戦争責任よりも、寧ろ、現在の人民の被害の方に、より責任があるのではないかと思う。

さて、「靖國問題」と言われる物は、日中韓に古くからある「招魂儀礼」から逸脱した、言いがかりのような問題だ。共に「招魂儀礼」の習慣を持つ国として、互いに理解し合うことは、そう難しい事ではないように思う。

「靖國問題」は、既に中韓の外交カードの一つになってしまっているように見えるが、そもそも、日本国内の儀礼に関して、外国がカードとして持つ、などという状態からして異常な事だ。正常な状態に戻すためにも、日本側は、先ず江沢民時代の日中交流を卒業し、「靖國神社」参拝の正しい意味を説明・宣伝し、中共が、何を言っても参拝する事が肝要と思う。

戦後レジームからの脱却を目指している政府に、政権と命を賭けて参拝してくださいとは言いづらいが、それでも、参拝は当然の事である、という常識が働く国づくりを目指して頂きたいと思う。