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社会人学生の遅れてきた学習意欲

実質的には、旅行フォトブログです

台湾中部紀行6日目 台北―高級乾物スープは展示のみ

2012年07月28日 | 2011台湾中部紀行




(前回の続き)
嘉義から阿羅哈客運のバスに乗って台北轉運站に着いたまでが前回までの話。ホテルに荷物を預けて捷運で市政府站にやって来ました。写真は台北のランドマークの台北101です。





ですが台北101が目的地ではなく、その横の世界貿易センタービルがお目当てでやって来ました。





今回開催されているイベントは毎年恒例の台湾美食展です。台湾全土の名物料理が一堂に会するこのイベント、われわれ観光客が知らないような一品料理が多数集まっているので必見です。





見ての通り大盛況。ホテルの名店から屋台の名物まで、とにかく種類が豊富なのがこの美食展の見どころです。





米エリア。台湾の米は暑い気候にもかかわらず短粒種が主体で、日本の米に味が似ていてレベルが高いと思います。





高雄肉燥飯。魯肉飯よりも脂控えめであっさりした料理です。肉の繊維をパサパサに乾燥させて甘く味付けした肉鬆がのっています。





石斑魚というハタの一種の生態を解説するパネル。中華圏では多く食される魚で、日本で言うところの鯛に当たるそうです。蒸す調理法が一般的です。





水槽まで展示してあります。石斑魚の名のとおり、石みたいな斑模様が特徴です。





何かの試食コーナーに列をなしているので並んでみました。





並んでいるのはほとんどオバハン。





申し訳程度の量の何かの麺に赤いタレがかかっているものを受け取りました。味はほとんどしなかったです。





プロパガンダ料理漫画の美味しんぼでもお馴染みの佛跳牆が展示してありました。福建省福州が発祥の料理だそうで、食材のほとんどが高級乾物のため実際にレストランで注文するととんでもない額になるそうです。





椎茸のような魚の浮き袋のようなきくらげのような、いろんな食材のオンパレード。あいにく展示のみでしたが最終日に行けば試食できるのかなぁ?

(つづく)

台湾中部紀行6日目 阿羅哈客運巴士―ブルジョア志向のバスに乗る

2012年07月23日 | 2011台湾中部紀行




08/19 金曜日
滞在地:嘉義(省轄市)→台北(直轄市)





9:00
ホテルチェックアウト。駅前の赤い看板の火鷄肉飯屋で嘉義最後のごはんをいただくことにします。





いろいろ迷った挙句、排骨飯にしました、60元(=160円)。揚げたはずの排骨にだしみたいなスープがかかってて、衣がビシャビシャだったので△。五香粉の香るサクサクの衣の排骨を想像してたので、これはちょっとしたショックでした。





腹ごしらえも済んで嘉義駅裏手の長距離バスターミナルに来ました。嘉義発着の長距離・中距離バスはここをターミナルとしているみたいです。





台北まではちょいと高級志向の長距離バスである阿羅哈客運(アロハバス)を利用しました。





日本ではあまりお目にかかれない左右1席ずつの2列シートです。こういうデラックスバスの座席のことを「総統座椅」と言うそうです。





写真で伝わるかどうか心もとないところですが、シートピッチは十分。前の人にリクライニングを倒されてもほとんど問題にならぬくらいの余裕があります。さらに横方向はあり余るほどのスペースが確保されているので、寝ようと思えば本気で眠れそうなシートです。





荷物預かりのタグも普通の紙っぺらではなく、こういう硬質プラスチックのちゃんとしたタグをくれます。





水と軽食が配布される上、同乗する小姐がドリンクのオーダーを取りに来てくれるなど、サービスは至れりつくせり。小姐は私のようなあやしい外人に非常に優しく接してくれるのでその点もポイント高いです。





飛行機のビジネスクラス級にあるような結構大きめのテレビモニターが各シートに備え付けられていて、ニュースや映画など各々の好きなチャンネルが視聴できます。





AC100Vのコンセントもあるのでスマートフォンの充電や、その気になればパソコンも使えたりします。これだけサービスが充実して、嘉義-台北間がたったの550元(=1,430円)です。料金は普通クラスのバスの5割増し程度ですが、これなら価値があると思います。





新竹などを経由して4時間弱で台北駅バスターミナルに到着しました。嘉義-台北間は距離がそこそこあるので、スケジュールに余裕のない人は高速鉄道を利用した方がいいかもしれません。でも私はこういうダラダラした旅程が好きだなぁ。

(つづく)

台湾中部紀行5日目 新港―住処を追われても譲れない本家

2012年07月22日 | 2011台湾中部紀行




滞在地:北港(雲林縣)→新港(嘉義縣)→嘉義(省轄市)





北港の街をぶらぶらしてたらタイミングよく嘉義方面のバスが来てたので乗車しました。





北港からバスで約15分で新港に到着しました。鹿港のエントリーでも書きましたが、18世紀に北港で洪水が起こったときに大陸からの移民たちがそれぞれの出身地ごとに分かれて闘い、この街の泉州人と漳州人とが争った結果、漳州人が北港を追われて、逃れ逃れて今の新港に新たな街を築いたという曰くつきの街です。





街の中心には媽祖を祀る奉天宮があります。こちらも北港に負けず劣らず華麗な装飾に彩られており、北港へのライバル意識が見て取れます。





新港奉天宮。正面の「開臺媽祖」(臺灣媽祖の本家本元)の字に新港媽祖の本気を感じます。





中は北港朝天宮よりもこじんまりしています。その分装飾に凝っているので、ゴージャス感は新港奉天宮に軍配が上がります。





「開臺媽祖」だそうです。本家にこだわるのはどこも同じですね。





台湾の寺院でよくわからないのは、媽祖と観音菩薩や関羽像が一カ所に仲良く祀られてるんですね。何がなんやらわからんまま線香あげてたら、実は目の前の像が孔子だったなんてことはよくあります。





媽祖廟のような廟は普通は平屋なのに、ここはなんと4階建ての構造になっております。





何か忘れたけど装飾が細かいです。





南米のカトリック教会にも劣らない細かいキラキラの装飾に目を奪われます。





上まで登ると参詣道が眼下に伸びています。上層は風が抜けるので新港奉天宮の方が居心地は良かったです。





その参道で何かおみやげを買おうかとも思いましたが、年寄りが食べるおやつみたいなのしかなかったので、何も買わずに帰りました。





新港からバスで嘉義に帰ってきて、文化路夜市で蚵仔麺線を食べることにしました。





総合蚵仔麺線、40元(=100円)。総合というのはトッピングが牡蠣とホルモンのハーフ&ハーフということです。全牡蠣、全ホルモンも選べます。とろみのついた鰹だしのあんにブスブスのそうめんが入った一品です。おいしくないことはないですがあんまり好きじゃないかな。あんかけなのでとにかく熱いです。





蚵仔麺線で口の中が火傷したので芒果牛奶冰をいただきました、50元(=130円)。丼鉢にマンゴーがてんこ盛りでこの値段です。たまに台北で同じ物を注文したら、地方都市との価格差に思わずギョッとしてしまいます。

台湾中部紀行5日目 北港―再三の訪台を可能にする業とは

2012年07月05日 | 2011台湾中部紀行




滞在地:嘉義(省轄市)→北港(雲林縣)

嘉義駅前の火鷄肉飯屋で鷄肉飯の食べ比べをしたのが前回までの話。これからバスに乗って隣の雲林縣にある北港まで出かけます。





北港までは64元(=170円)。バスチケットを買おうとしたら、昨日の阿里山行きマイクロバス斡旋のバァさんが、頼んでもないのに切符を買うのを手伝ってくれました。「今来てるあのバスが北港行きやから、早よ乗りや!」と、まぁ至れり尽くせり。





ものの40分ほどで北港に到着です。嘉義のバァさんのおかげか、バスの運転手がわざわざ「北港朝天宮はあっち」と教えてくれます。あぁ、台湾というのはなんと旅行しやすいところか。





街の案内図を見るとそんなに街の規模は大きくないことが分かります。





こちらが北港観光の目玉の北港朝天宮です。朝天宮は媽祖を祀っている廟で、ここが台湾の媽祖廟の総本山と言われております。この北港朝天宮のサイトは、台湾のサイトとしては珍しくまともな日本語の説明が詳しめに記載されています。
(リンクを貼ると「本文に不正な書式が含まれています」というエラーで返されるため、Googleで検索してみてください)





屋根の上のキラキラした装飾がいかにも台湾な雰囲気です。





参拝の正しい作法はよく知りませんが、本殿正面の大きめな香炉にむかって参拝している人が多いです。この参拝時に本殿方向に正対するのか、逆に本殿に背中を向けて香炉に線香を捧げるのか、いまだによく分かりません。いつも見よう見まねでやっております。





ご本尊。媽祖は非常に霊験あらたかです。私は「今回も無事台湾に来ることができて感謝しております。善き人々の住まうこの美しい島を近いうちに再訪できますように」といつもお願いするのですが、その願いを媽祖はすぐ聞き届けてくださり、再三の訪台が実現しています。非常感謝。





朝天宮前の参道にはいろんな店が並んでいます。その中でも北港名物として名高いのがゴマ油です。「麻油」と書いてあるのがそれで、私はゴマ油は好きなのですが、ココで買って帰ると荷物になるのでやめました。





これがゴマ油屋さん。ゴマ油以外に乾物のようなものも売っていました。





もちろんゴマ油屋以外に普通の店もあります。飲食店と甘味屋と土産物屋が多かったです。





1本路地裏に入ると鹿港のような街並みがあります。清代から繁栄していた名残でしょう。





これなんかはさらに鹿港っぽいです。古いものが当たり前のように大事に保存されている台湾っていいなぁ~





こちらは義民廟。創建は清の乾隆年間といいますから二百数十年の歴史です。





義民廟の近所もまたこんな味わい深い路地になってます。北港には台北とはまた違った古き良き時代の台湾が残ってます。

(つづく)

台湾中部紀行5日目 嘉義―体調に合わせた味付けが肝心

2012年07月02日 | 2011台湾中部紀行




(前回の続き)
嘉義公園の射日塔まで来たのが前回までの話。入場料の50元(=130円)を払ってエレベーターで10階に上ります。





塔から東側を望むと木と畑ぐらいしかありません。





公園→畑→森→家。その向こうには山がそびえ立つのみ。





西側には野球場があり、その向こうには市街地が広がっています。





嘉義の市街地は射日塔の東側の緑とは対照的に、自然の少ない人工的な街です。





西側は平野が海まで続いています。





来るときにたどってきた神社時代の遺構が色濃く残る道は、上から見るとこんな感じに見えます。





10階から階段でさらに上へ向かうとちょっとしたカフェスペースになっていて、地元っ子のオシャレスポットになっているようでした。





ギャラリーもあります。なにより空調が効いているので、もうここから離れたくないです。





床がスケスケで下界が丸見えです。





さて、時刻はお昼過ぎ。折角嘉義に来ているので嘉義名物の火鷄肉飯に再度チャレンジすべく、嘉義車站までやって来ました。1件目は赤い看板が印象的な嘉義火鷄肉飯。50年の老舗だそうです。





火鷄肉飯(小)20元(=50円)と貢丸湯20元(=50円)。テーブル上の調味料で塩加減を調整して食べると非常に美味であることが解りました。昨日の噴水鷄肉飯もそのようにして食べたら美味しかったのかもしれません。





2件目はその向かいのお店、名前は同じく嘉義火鷄肉飯。看板には35年老店と書いてあるので、先ほどの赤い看板の店よりは後発ということがわかります。





火鷄肉飯(大)30元(=80円)。トッピング等微妙に差異はありますが、基本的には赤い看板の店とほぼ同様です。





塩・胡椒・ニンニク・豆板醤があったのでそれらで味を調えてからいただくことにしました。まるで調味前とは見違えるおいしさ!汗をかいているときは特に塩気がおいしい!

(つづく)

台湾中部紀行5日目 嘉義―本殿以外は流用するスタイル

2012年07月01日 | 2011台湾中部紀行




(前回の続き)
北回帰線標塔に登ったのが前回までの話。標塔前からバスに乗って市街地からやや東の嘉義公園までやってきました。





公園案内図を見るとここが様々な施設を持った大型の公園であることがわかります。





嘉義市立棒球場(野球場)があります。





公園奥まで足を伸ばすと、なんとなく妙な雰囲気の道に出ます。





それもそのはず道の両脇に石燈籠が建っていて、その正面には「大正十年云々」と刻んであります。





石燈籠の道から脇にそれるとなんとも和風な佇まいの建物があります。これは嘉義市史跡資料館です。





どこからどう見ても和風建築です。これはここが昔、嘉義神社であったことによるもので、当時は社務所として使用されていたとのことです。





ここも他の神社同様に本殿は国民党に潰されて、鳥居は取ってつけたような忠烈祠の門に形を変えられています。石燈籠をそのまま流用するところに台湾的センスを感じます。





もともと神社の本殿があった場所には今は射日塔と呼ばれる建物が建てられています。なんでも阿里山の檜をイメージして作られたのだとか。





射日塔入口からもと来た方向を眺めるとこんな感じです。神社があった時代もここからの眺めは今とそう変わらなかったように思います。

(つづく)

台湾中部紀行5日目 嘉義―亜熱帯と熱帯の境目は赤い

2012年06月05日 | 2011台湾中部紀行




08/18 木曜日
滞在地:嘉義(省轄市)

今日もやけにいい天気です。嘉義は亜熱帯と熱帯の境目らしく、とにかく暑くてへばりそうです。





嘉義の市街地からタクシーで10分ほどのところに北回帰線標塔があるので行ってみました。標塔の前の道路には北緯23.5°を示す構造物があります。正確には北緯23度26分22秒を走っているのですが、毎年誤差があるとのこと。台湾ではこれより北は亜熱帯、南は熱帯という分類になっているそうです。





これが現在の北回帰線標塔(6代目)です。中は青少年向け科学館みたいになってまして、無料で開放されています。





旅行ガイドにはこれが北回帰線標塔であると掲載されていることが多いんですが、これは5代目の標塔です。





その横には初代から4代目までのレプリカが並んでます。





6代目標塔のエントランスはいかにも天文という感じの黄道十二星座やら二十四節気を図示したデザインです。





中に入って上から眺めるとこんな感じです。外はクソ暑いので出歩いている人はほとんどいません。





北回帰線は道路と45°ぐらいの角をなして走ってます。





標塔の中は地元の学校の生徒のものと思われる研究発表があり、チラッと見ただけでもそれがハイレベルな内容であることは私でも理解できました。ノーベル化学賞受賞者を生む背景には、こういう裾野の広さがあるからなのでしょう。





懐かしいイライラ棒。炎チャレに似た番組(パクリ)が放送されていたことでこちらでも知名度はあるようです。





標塔のすぐ裏手には台鉄の線路が走っています。ヤシの木がなんとも言えない南国感を出してます。

(つづく)

台湾中部紀行4日目 嘉義―鶏肉飯の口直しに魯肉飯

2012年06月04日 | 2011台湾中部紀行




(前回の続き)
阿里山の観光コースをグルっと回って神木まで来たのが前回までの話。バス乗り場まで帰ろうとしたちょうどその時に雨に降られ、少し肌寒くなって来ました。真夏の台湾なのに気温は19℃しかありません。





阿里山のバス乗り場周辺には土産物屋が数軒あり、そこでこんなわさびチップスを買いました、60元(=160円)。めちゃくちゃ鼻にズーンと刺激がきます。阿里山は冷涼な気候でかつ水がきれいなので周辺にはワサビ田が多く見られます。ちなみにワサビはワサビと言えばそのまま通じます。





瓶入りワサビ、100元(=260円)。しっかりツンとくるので刺身のときはこれが重宝してます。台湾のワサビはおそろしくハードです。





ミニバスで2時間かかって嘉義市内に戻って来ました。阿里山の涼しさがウソのようにムワ~っとした空気が充満しております。





昨日と同じく文化路夜市に来てみましたが、夕方18時というのは時間的にまだ早いのか、それほどお店も準備ができているわけではないようです。





嘉義の名物は鶏肉飯で、鶏肉飯と言えばまず紹介されてるのがこの噴水鶏肉飯です。鶏肉飯といっても嘉義では火鶏肉飯が標準形で、これは普通のブロイラーではなく七面鳥の肉を使用しているものです。





火鶏肉飯、40元(=100円)。おいしくないことはないんだけど塩気が足らないような気がします。自分で調味して食べるのかな。醤油かけたら何杯でもいけそうな感じです。





気を取り直して魯肉飯のチェーン店台湾魯肉飯へ。





魯肉飯、25元(=70円)と丸子湯、20元(=50円)。さっきの火鶏肉飯がウソのようにしっかり味がついていて美味しいです。





最後は夜市で買ってきたフルーツです。文化路夜市のフルーツ屋のおばあちゃんにパイナップル切ってと言うと「日本人か」と聞かれます。詰問調にも聞こえますが、日本語世代の台湾の年寄りは普通に疑問文として「(単語)+か?」と聞く人が多いです。こちらも例に漏れずただの感じの良いおばあちゃんでした。

台湾のパイナップルは何度も食べていますが概ね薄味です。スーパーで手に入るフィリピンのパイナップルのように香りも甘みもそれほど感じられません。形も細長くて緑色のものが多いので、そもそも別の品種なのでしょう。





こちらは龍眼2斤で50元(=130円)。本当はライチが食べたかったのですが8月はライチのシーズンとしては時すでに遅しのタイミングで、この頃にはライチの後を追うように同じムクロジ科の龍眼が市場に出回るのでこちらを購入しました。

大きさはライチよりも2回りぐらい小ぶりで、味はライチに似ているものの埃っぽいような独特の雑味があります。ライチよりも野趣あふれる味です。

台湾中部紀行4日目 阿里山―台湾の木に八つ当たりする神

2012年06月03日 | 2011台湾中部紀行




(前回の続き)
林道を抜けて視界の開けたところに寺院があったというのが前回までの話。林道はその先もどんどん続き、木の幹の裂け目までが道になってます。





ここからは超巨木エリアです。台湾の林野庁みたいなところがこれら超巨木を登録・管理してまして、それぞれに番号をふってあります。これは第三十三号巨木、樹齢は推定1500年だそうです。





こちらは第二十八号巨木、高さ43.5m、樹齢はなんと推定2000年です。あまりにもデカすぎて全てが収まらないため、こんな変な構図の写真になりました。





巨木エリアの周囲はこういった木製の歩道がありますので、安全に見て回ることが可能です。ただ、山道であることには変わりないので、標高が2000mを超えるこのエリアの階段でのアップダウンの繰り返しは、かなり足と心臓に負担がかかります。





映像として見る分には美しい林道ですが、途中から息切れを起こして景色どころではなくなります。これは老若男女問わず平地の生活に慣れている人なら誰でもハァハァ息が切れると思います。





巨木群桟道の折り返し地点にくると、少しだけ見通しの良い川にぶつかります。





ちょうどそこが阿里山森林鉄道の神木駅になってまして、このときは何やら土木工事をやってました。電車は走っていないので駅にいる人は休憩しているのだと思います。





再び巨木の道へ。これは第二十号巨木、高さは39mの樹齢は900年だそうです。他の巨木に比べれば若いような気もしますが、それでも平安時代に芽を出してる古さです。調べてみたらその頃は鳥羽天皇の御代です。京の町に夜な夜な徘徊するエイリアンを、検非違使たちがザックザックと埋めていた頃でしょうか。





全部紹介してるとリソースがなんぼあっても足らなくなるのでほどほどに端折りまして、これが第一号巨木、樹齢は1500年です。バオバブのようなデカさです。





こちらは今まで見てきた巨木とは別扱いの千歳檜です。千歳とはいうものの樹齢はそれの2倍のおよそ2000年。ヒノキってあの精油の成分もあって、虫に食われたりしにくいのでしょうね。だからこそこれだけ長生きしてるんじゃないかなと思います。





東京帝国大学農学部教授河合博士の功績碑です。森林調査から鉄道建設まで阿里山開発はこの人の尽力によるものということです。





その横には樹霊塔が建っています。当たり前ですが木にも命があるので(切られたら悲しいはず)伐採された木の霊を弔うための祈念碑です。いかにも日本人らしいモニュメントです。

日本時代に阿里山の檜が伐採されて本土の神社の柱などに使用されたことを以って、日本人が阿里山の自然を破壊し収奪し尽くしたという人もいますが、このような碑を見る限りおよそ収奪などと呼べる代物ではないように感じます。

事実、日本時代の50年で伐採された檜よりも、戦後の国民党時代に20年もかからないで日本時代をはるかに上回る数の檜が乱伐されたということからもわかるように、こういった批難はただ単に都合の悪いことを他人に転嫁して現実から逃げている者の作り話に過ぎないのです。





これが最後に紹介する巨木、その名も神木(2代目)です。先代は神木駅に植わっていたらしいのですが、神の怒りか1997年の香港返還の日に豪雨と落雷に直撃され真っ二つに裂けたのだそうです。オカルトは好きではないけど台湾の未来に対する警鐘のような意味を感じ取ってしまいますわ、おぉこわ~。

(つづく)

台湾中部紀行4日目 阿里山―山の上でも水は豊富

2012年06月02日 | 2011台湾中部紀行




(前回の続き)
軌道沿いに森を抜けると妹潭と呼ばれる池がありました。なんでも雨水と地下水によって自然にできた水たまりだそうです。山の上に水がたまるってすごいですね。





あちらが妹ならこちらは姉潭です。姉の方が妹より何倍も大きいです。四阿もあってのんびりできそうですが、あちらこちらで大陸の観光客がギャーギャー騒いだり走り回っているのでとてもそんな気分にはなれません。





姉潭の回りはこのような散歩道が整備されています。





大陸からのお客様がいっぱいいらっしゃいますが、遠目に見る分にはいい景色です。





水が豊富なのでコケ類やシダ植物もみずみずしくてきれいです。





玉の雫がキラキラしてきれいなんです。





お次はこちらの杉の木、四姉妹と言われています。写真では2本しか見えていませんが、実際には4本の杉の木が1箇所から仲良くニョキニョキ生えているので四姉妹なんだそうです。実際の姉妹がこんなに近接してたら、足の引っ張り合いやどつき合いで仲良くなんてしてられないと思います。





これは象鼻木といいます。どう見てもイノシシとかバッファローに見えるのですが象なんだそうです。





龍鳳配という木です。1対の木の幹が絡まり合っている姿が龍と鳳凰に見えるのだそうです。1分間イマジネーションをフル稼働してみましたが、結論は「何が?」





巨木だけではなく樹齢十年程度の木もそこここにあります。ちゃんと管理して伐採しているのでしょう。





この林道の木は全体的にどれも若いです。計画的に植林されたものだと思います。





森の奥に少し見通しの開けたところがあり、そこには受鎮宮という寺院がありました。山の上の森の中にこれだけ大きな建築物があることに驚きです。





中はごくごく標準的な台湾の寺院で、本堂には大量の大陸からの観光客がひしめき合ってました。べちゃくちゃ喋りながら長い線香を振り振り何やらお願いごとをしておりました。





受鎮宮から山道に戻ると小川が流れていました。





水量はそこそこあります。池も川もほんのりエメラルドグリーン色をしています。

(つづく)