社会人学生の遅れてきた学習意欲

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台湾中部紀行4日目 阿里山―台湾の木に八つ当たりする神

2012年06月03日 | 2011台湾中部紀行




(前回の続き)
林道を抜けて視界の開けたところに寺院があったというのが前回までの話。林道はその先もどんどん続き、木の幹の裂け目までが道になってます。





ここからは超巨木エリアです。台湾の林野庁みたいなところがこれら超巨木を登録・管理してまして、それぞれに番号をふってあります。これは第三十三号巨木、樹齢は推定1500年だそうです。





こちらは第二十八号巨木、高さ43.5m、樹齢はなんと推定2000年です。あまりにもデカすぎて全てが収まらないため、こんな変な構図の写真になりました。





巨木エリアの周囲はこういった木製の歩道がありますので、安全に見て回ることが可能です。ただ、山道であることには変わりないので、標高が2000mを超えるこのエリアの階段でのアップダウンの繰り返しは、かなり足と心臓に負担がかかります。





映像として見る分には美しい林道ですが、途中から息切れを起こして景色どころではなくなります。これは老若男女問わず平地の生活に慣れている人なら誰でもハァハァ息が切れると思います。





巨木群桟道の折り返し地点にくると、少しだけ見通しの良い川にぶつかります。





ちょうどそこが阿里山森林鉄道の神木駅になってまして、このときは何やら土木工事をやってました。電車は走っていないので駅にいる人は休憩しているのだと思います。





再び巨木の道へ。これは第二十号巨木、高さは39mの樹齢は900年だそうです。他の巨木に比べれば若いような気もしますが、それでも平安時代に芽を出してる古さです。調べてみたらその頃は鳥羽天皇の御代です。京の町に夜な夜な徘徊するエイリアンを、検非違使たちがザックザックと埋めていた頃でしょうか。





全部紹介してるとリソースがなんぼあっても足らなくなるのでほどほどに端折りまして、これが第一号巨木、樹齢は1500年です。バオバブのようなデカさです。





こちらは今まで見てきた巨木とは別扱いの千歳檜です。千歳とはいうものの樹齢はそれの2倍のおよそ2000年。ヒノキってあの精油の成分もあって、虫に食われたりしにくいのでしょうね。だからこそこれだけ長生きしてるんじゃないかなと思います。





東京帝国大学農学部教授河合博士の功績碑です。森林調査から鉄道建設まで阿里山開発はこの人の尽力によるものということです。





その横には樹霊塔が建っています。当たり前ですが木にも命があるので(切られたら悲しいはず)伐採された木の霊を弔うための祈念碑です。いかにも日本人らしいモニュメントです。

日本時代に阿里山の檜が伐採されて本土の神社の柱などに使用されたことを以って、日本人が阿里山の自然を破壊し収奪し尽くしたという人もいますが、このような碑を見る限りおよそ収奪などと呼べる代物ではないように感じます。

事実、日本時代の50年で伐採された檜よりも、戦後の国民党時代に20年もかからないで日本時代をはるかに上回る数の檜が乱伐されたということからもわかるように、こういった批難はただ単に都合の悪いことを他人に転嫁して現実から逃げている者の作り話に過ぎないのです。





これが最後に紹介する巨木、その名も神木(2代目)です。先代は神木駅に植わっていたらしいのですが、神の怒りか1997年の香港返還の日に豪雨と落雷に直撃され真っ二つに裂けたのだそうです。オカルトは好きではないけど台湾の未来に対する警鐘のような意味を感じ取ってしまいますわ、おぉこわ~。

(つづく)


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