大阪天王寺駅から5〜6分で「四天王寺庚申堂」
四天王寺庚申堂は、京都の八坂庚申堂、東京入谷の庚申堂(現在は小野照崎神社に遷祀)と並び、日本三庚申のひとつに数えられています。八坂庚申堂は「日本最初の庚申堂」で、四天王寺庚申堂は「日本最初の庚申尊出現の地」とされています。
マニ車の石塔上部に、くくり猿状態の三猿
本堂には、本尊青面金剛童子(秘仏)と立派な四天王像が祀られています。
青面金剛像の次のご開帳は2040年(庚申年)ということです。
ちなみに、この建築物は1970年大阪万博での休憩施設を移築したもの。
境内南側に「三猿堂」
たくさんのくくり猿が奉納されています。
堂内には木彫の三猿が祀られています(見ざる、言わざる、聞かざる)。
境内西側に聖観音像が祀られており、その奥に庚申塔群が奉納されています。
向かって左から。
たいへん珍しい形をした自然石の三猿塔。上部に青面金剛の種字ウーン、その下にピラミッド配置の三猿(言わざる、見ざる、聞かざる)
その右側も三猿塔で、上部に青面金剛の種字ウーンとピラミッド配置の三猿(言わざる、見ざる、聞かざる)。基台にも三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)
「三月三日」
その右は、少し新そうな三猿塔。頂部に三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)を載せています。
背後に回ると、真ん中の猿が足を伸ばして立っていることがわかります。
「□さる□見さるきこの猿 いはをるハ □方安念祀り庚申」(←意味が通るような判読ができません)
「昭和十五年三月」
その右に、笠付き三猿文字塔。
上部に阿弥陀如来の種字キリーク、その下に三猿(言わざる、見ざる、聞かざる)
「奉造立石塔一基〜」
その右も笠付き三猿塔。上方に瑞雲付き日月(逆様)、その下に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる)、下方に二鶏。
その右は上方に三猿が彫られていますが、強い風化を受けています。
「猿松□」
右端は青石の三猿文字塔。中央に三猿(言わざる、見ざる、聞かざる)、下方に二鶏。
「南無青面金剛」「天和四甲子年」「二月六四日」(1684年)
「六四日」は二十四日のこと。ただし、天和は2月21日に貞享に改元しています。
ここで、振り返ると聖観音像の背面側に「猿竹墓」
三猿堂に向かって右側に墓石群がありますが、その中に「オサルノ墓」
江戸時代の天保年間に書かれた「竹杖日記」(1840年)によると、当時、四天王寺庚申堂には2頭の生きた猿がいたようなのです。そのお猿さんの名前が「松」「竹」などであったのかも知れません。
手水鉢に「四天王寺」「庚申堂」
手水舎の軒丸瓦に「申」「申」「申」
役小角の宝篋印塔
東門から失礼すると、目と鼻の先に四天王寺の南門が見えました。
四天王寺には、これまで何度か訪れていましたが、いつも西門から入り伽藍へ直行してしまっていたので、南門の存在すら気づいていませんでした
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます