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パッチギの世界

2006-02-18 19:57:26 | 日本映画
 一週間前の2月11日にキネマ旬報映画賞で『パッチギ』が日本映画作品賞と監督賞をダブルで受賞しました。井筒監督おめでとうございます。
 たまたま京都九条で撮影をしていることを聞いていましたが、あの辺を毎日自転車通勤していながら、残念なことに撮影に行き当たらなかった。職場の同僚は「鴨川で井筒監督が撮影してたで。自転車で通って待ってたら『そのまま行って下さい』と言われた」と話していました。
 残念!オダギリジョーさんや沢尻エリカさんに会えたかもしれないのに!

 公開前から大きな期待をふくらませていて、僕は昨年公開されてすぐ見に行きました。その後DVDも買って家でも見ています。大好きな映画です。この映画は1968年の設定ですが、私が七歳のときのことです。

 『パッチギ』の世界は僕にとってものすごく懐かしい。以下「なぜか」について話します。

 僕が大阪から引っ越してきたのが、この舞台となった京都南区京都駅の八条口側。鴨川周辺は僕らの遊び場でした。正確に言うと1972年に小学校5年生で山王小学校に転入して、陶化中の1年生まで京都市南区東九条に住んでいました。

 山王小学校に入って最初は、同級生に在日朝鮮人・韓国人がいることがなぜかよく分からなかった。「なんでチョーセン人がおるねん?」と思っていた。歴史の時間でもそこまで教えてもらってないと思う。逆に「ABCD包囲網」なぞということは教えられた。確か社会の時間に調べさせられた記憶がある。
 同じように日本語をしゃべり友達になったけど、彼らには小学校の授業で特別に「ハングル」の時間があった。子ども同士の会話の中にも「パチキかますぞ!」(頭突きをくらわせるぞ)とか「タンチュン!」(「いちばん」の意味で使っていた)など今から考えるとハングルを語源にする言葉が自然と使われていた。「キムチ」を知ったのもここ東九条でだった。朝、登校班で呼びに行くと朝からホルモンを焼くにおいがして、「朝から肉かあ。ええなあ」と無邪気に思った。

 ただ無邪気な世界ではなく、「よそもん」の私はよくドツカレた。顔を腫らし、すりむいたことも数多い。今でもいじめっこの田村とかと徳永の名前と顔は覚えている。彼らは教師も殴り、親がいつも呼び出され、みんなに恐れられていた。僕はその当時クラスでもっとも小柄な方でやせっぽちだったから、残念ながらやられ放題だった。「何するねん!」と反抗心は持っていたが所詮力では歯が立たなかった。ただ正義感は強く「タバコ買うて来い!」と命令されても「いやや!」と一回も使いっパシリをさせられたことはなかった。その分「生意気や!」とドつかれたけど。

 後年考えれば、彼らも行き場のないやりきれなさと未来の閉ざされた閉塞感が弱い者に向かっていたのだと分かる。こっちも貧乏だったけど、彼らはもっと貧しかった。子ども心にその差に驚いたことが何度もある。こちらは日本人で、まだ勉強でも頑張れば将来が描けた。「在日」というだけで食べていくことも、希望する職の確保もままならないのだ。
 子どもは残酷にそれを感じていたが、彼らもそれを口に出すことはない。子どもであっても誇りが許さないのだ。それが分かるからこちらも彼らの貧困を見ないフリをして遊びに熱中したのだ。

 『パッチギ』を観てこんなことをいろいろ思い出しました。美しい世界ではないかもしれないけど、生きるために一生懸命な世界。

 今でも「山王小学校卒業、陶化中学に通ってた」というと、知ってる人に「こわいところにおったんやねえ」と言われることもあります。確かに暴力があふれていた世界でしたが、今になれば自分の体験を本当に大事にしようと思います。子どもどうし友達だから、ドツカレて生きてきたから、誰も教えてくれないから自分で「在日」の歴史に興味をもって学んだ。韓国・朝鮮・中国に興味が持てた。「こわい」と言われているところでも実際中に住んでしまえば当たり前のことに気をつければ「こわい」ところではないと分かった。「当たり前」のこととは人間として日本人も在日韓国・朝鮮人も同じだということ、足を踏まれれば痛いし、ドツカレたら誰でも痛みを覚えると言うこと、差別しないこと。歴史を知ること、知る努力をすること。

 私の場合、母親の影響が大きかった。わが子が殴られても「向こうにも怒る事情があるのでは?」と言い、韓国・朝鮮の友達が遊びに来ても部屋に上がっても嫌がるそぶりを絶対に見せなかった。母親がもし在日韓国・朝鮮人に差別的な言動をしていたら、嫌悪するそぶりを見せたら子どもとして、もっと違う受けとめ方をしていたかもしれない。

 今、「嫌韓論」だとか「中国の脅威」だとかがやかましいが僕はこういう風潮に怒りを覚える。韓国人や朝鮮人、中国人にも嫌なやつはいる。けれども「韓国人一般」「朝鮮人一般」「中国人一般」が誰でも同じだと考えることは、「こわい」という感情をふくらませるだけだ。
 映画の中で、松山康介がキョンジャをまっすぐ好きになって突っ走っていったように、知ろうとすること、理解しようとするガムシャラなエネルギーが僕たちを友人にするんだと思う。
 そしてこの映画がヒットして、多くの人がこの映画を好きになったことに「日本もまだまだ捨てたもんやないで!」と、僕は大きな期待を感じています。