結果:制限時間内になんとか完走なる!
顛末:これまでになく受付は前夜に済ませた。当日はこむら返りに備えて、朝食前に芍薬甘草湯をお茶のように飲み干した。10時過ぎには中島公園入り。スタート地点を確認しながら会場を進み、更衣室脇に陣取って、ゆっくりと準備に取りかかる。予想していたとは言え、大勢のランナー達に圧倒され、しばし緊張感の中を漂う。予定の行動をこなすうちに緊張感は消腿した。スタート1時間前を過ぎたので、手荷物を預け、トイレの列に並んだ。しかしあまりの長蛇で遅々として進まず、30分前のアナウンスに諦めて、スタート地点へと向かう。黒山の人だかり。抵抗は無駄だと再確認。E地点の後方に整列した。目標はキロ6分で走り切ることだ。高層マンション群の谷間のせいかガーミンが衛星を捕捉できない。
12時10分、定刻通りに号砲が鳴り、拍手と大歓声がわき起こる。歩いて前進し約2分後にスタートラインを超えた。最初は30m登ってその後60m下る。しかし登りは苦にならず、下りは自然にスピードが上がったので気がついた。自制を心がけた。第一関門は5km地点を40分以内に通過することだが、なんとかなりそう。5km地点が近づきトイレの表示を探した。<5km:30分58秒>
5km地点の直後から給水テーブルが延々と続いた。これなら途中の給水は大丈夫と踏む。結局トイレ表示を発見することはできなかった。平岸を過ぎ、豊平川を渡り、創成トンネルをくぐり抜けた。ふだんは交通量の激しい創成川通りを、沿道の声援を受けて、大勢のランナー達が北上する。鮭の遡上を思い描いた。きっと凄い眺めだろう。後方からFやGやHのナンバーを付けたランナー達がどんどん追い越していく。<10km:28分58秒、59分57秒>
10km地点で水分を補給した。なぜかここにもトイレ表示はなかった。途中で気がついたのだが、どうやらランナー達は沿道にあるコンビニで用を足しているようだった。私も北24条通りに左折する角のコンビニに駆け込んだ。3人ほどが並んでいた。パンパンにたまっていたせいか排出に時間がかかった。ここで3分はロスしたろうか。新川通に入って、なもなく右折。<15km:31分46秒、1時間31分43秒>
その後新琴似1番通りに入る。おやぢさんを真似て、家族がこの辺りで応援している筈だ。ランナー達の中から私を見つけ出す家族も苦労だろうが、家族を探す私も大変だ。なんとかお互い発見でき、手を振る私を女房がデジカメに納めてくれた。その後まもなく優勝したダニエル・ジェンガ選手とすれ違った。あきれるほど速かった。一流選手は全く格が違う。新川通に戻ると途端に道が拡がった。<20km:29分08秒、2時間00分51秒>
折り返してくる選手の数が俄然増えてきた。中間点を超え、ペースを維持して石狩浜を目指す。沿道にいろんなランニンググループの私設エイドが点在していた。単調なコースなので仲間の応援は嬉しいことだろう。途中で私も完走梅を一つ口にした。<25km:30分24秒、2時間31分16秒>
折り返し地点を過ぎると早々と疲れがやってきた。3日前の20km走が災いしたかもしれない。27kmでザバスを1本補給した。反対車線を収容バスが通り過ぎた。道は広いがなにせ長かった。<30km:31分53秒、3時間03分10秒>
あたりはなんとなく薄暗い。今年は曇天で本当に良かった。足が重くなってきていた。これが例年のような晴天だったらもうとっくにギブアップだったろう。32kmでもう1本のザバスを補給した。再び新琴似1番通りにもどった。ふと呼ぶ声が聞こえて横を振り向いた。女房だった。今はもうキョロキョロ探す余力が薄れていた。グリコーゲン切れかもしれなかった。<35km:32分51秒、3時間36分02秒>
いつの頃からか給水のたびにアスリートソルトを1粒かじることにしていた。水だけを飲むと気持ち悪くなって、吐き気がくるようになっていた。脱水なのだろうが、その水が飲めない、スポドリも大して飲めなかった。完走梅を口にしたが、口が渇いていて収まりが悪かった。スピードが落ちているのが分かった。時々膝がガクッときた。北大が近づき、沿道から「あと5km」と声が飛ぶが、走っても走っても「あと5km」と聞こえるような気がした。北大構内に入ると、さらにスピードが落ちた。足がものすごく重く、吐き気がひどかった。しかし心肺機能はまだまだ大丈夫に思えた。意識はしっかりしていて、「まだまだ頑張れるだろう、怠けてるんじゃないのか」と言っていた。と、同時に「もういいよ」とも呟いていた。目の前に40kmの給水地点が見えてきた。…歩いていた。「もういい」という気分が勝っていた。<40km:37分48秒、4時間13分50秒>
どれだけ歩いたのか…気持ちが弛緩していた。しかし、クラーク会館が近づくと、再び走り出していた。あとはもう惰性だった。正直35kmからは頑張れと言う声援がきつかった。だが、あれは大通りの手前だったと思う。一つの声援が耳に入ってきた。女性の声だった、「おつかれさま~」。…ホッとした。情けないが、なんとか頑張りを認めてもらえた気がした。本当に嬉しかった。フィニッシュ。<手元記録:19分12秒、4時間33分02秒>
呆然として進み、ボーイスカウトの少年にメダルをかけてもらった。少年は心なしか気が進んでいないように見えた。キロ6分の目標ペースを守りきれず、たまらず途中で歩いてしまった。しかし、このレース、私にはこれが精一杯だった。メダルが私の頑張りの証拠に思えた。あの「おつかれさま~」が私を救ってくれたのだった。制限時間内になんとか完走を果たせたのだから、良いじゃないか。タイムは目標ではなかった筈だ。今の持てる力をすべて出し尽くしたんだから、それで良いじゃないか。走り出して初めて手にするメダルを見つめながら、手荷物回収所近くのベンチに腰掛け、私はそう自分を慰めていた。
30kmまでは「まずまず予定通り」のようでしたね。35kmまでもまだ許容範囲?
35kmの壁ってやつでしょうかね。
北の大地さんがコツコツと忙しい仕事に都合をつけながら練習している様子はJogNoteで拝見していました。
やはり諦めずにゴールを目指し頑張った証のメダルですよね。
本当にお疲れ様でした。
その時、私は砂川中学校のグランドで行われた学区陸上競技大会で1,500m走ってました。
記事を見ていると、フルマラソンを走ったことがない私ですが、なぜか無性に走ってみたくなります。
暖かいお言葉ありがとうございます。最初から完走目標だったとスマートに書けばいいものを、ついつい事実に忠実に書いてしまいました。
でも、札幌の街中をあれだけの数で走り抜けるってのは気持ちの良いものですね。完走メダルってのも、なにか勲章みたいで嬉しいものでした。
私も頑張りましたが、昨年のたしろさんには遠く及びませんでした。またいつか一緒に走れるのを楽しみにしていますよ!
>半農半遊人さんへ
そうか~同じ時刻に同じように走っていたんですね。いつか一緒にフルマラソンに参戦できると良いですね。この歳ではなかなかキツイものですが、やり出すとやみつきになりますよ~。
やはり30km過ぎからが本当のマラソンなんですね。
ゆっくり休養なさってください。
わたしもガーミンが反応せず、1kmの誤差のまま走っていました。
みなさん30キロからが本物のマラソンだと言います。残念ながら、私の場合、だいたいその辺で力が尽きてしまうんです。まだまだ脚力が足りないんですね、きっと。
少し休養してから対策を考えます。
次は北見ですよね、頑張ってください!
私も歩いてしまいましたがなぜか完走がうれしかったです。お互い次は歩かず完走ですね。
なんとかゴールまで辿り着けてホッとしましたね。ただ途中に歩きが入るとやはり納得できない感じが残りますね。当然次の目標は歩かず完走ということ。
私にとって次がいつになるかは分かりませんが、お互い精進しましょう。
でも普段は走れない都会の公道で、エリートランナー達と同じコースを、堂々と一緒に走れるのって気持ちよいものでしたね。良い思い出になりました。出場して良かったと思っています。