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農家育ち

2022-10-06 23:11:19 | パソコン相撲
新潟の実家は、江戸時代から続く代々の稲作農家である。
田んぼが15反位で、後は錦鯉養殖の池が数カ所あり副業にしていた。
私が3才の時までは、養豚もやっていて、数頭飼っていた。
国の減反政策もあるなか、鯉に見切りを付けて、むしろ田んぼを増やすことに。
鯉の養殖は博打みたいなもの、良い鯉が出れば数千万もいく。
普通の鯉では知れている、選別が繰り返されて、ほとんどが淘汰される。
真鯉を家庭の食用として飼っていたが、これは美味しい。
祖父の十八番料理の鯉こくは絶品だった。良き思い出である。

米作と言えども、コシヒカリは売り物、家庭では食べなかった。
その系統の米が主食で、古米や古古米を混ぜたりするので、実は美味しくはない。
コシヒカリは品種改良の賜物、成功したから良かった、新潟を救った。
それ以前は、今とは真逆で新潟の米は良くなかった。
越後平野の下流域は信濃川の氾濫が繰り返しあり、泥に浸かって駄目になることも。
泥田では過酷だった。腰どころか、胸まで使って農作業をしていた。
これではいけないとの県民の声で、農業試験場で改良に改良を重ねた結果だった。

実家では、家庭用に野菜も作っていた。
当時は肥料に、あれを撒いていたので、今から思うと、いやはや何とも。
その効果ではないと思うが、良い野菜が出来ていた。
白菜、キャベツ、トマト、枝豆、ねぎ、玉ねぎ、スイカ、トウモロコシなどを作っていた。
私は上京してからというもの、実家の野菜を改めて美味しかったと思う。
40年前に食べたトマト、枝豆、スイカを超えるを知らずである。

私は農家の長男であり、跡を継ぐつもりで途中まで育った。
様々な事があり、実家を出て今がある。本来であれば、ここにはいなかった。
まあ、それも良し悪し。歳を重ねてくると、ふるさとが恋しくなる。

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