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私と祖父達との、二人の最長移動地は

2023-05-16 19:53:34 | パソコン相撲
前に、実家の新潟の明治生まれの祖父達の、最長移動地を載せました。
中年以降に上京でした。日本海側からすると、越後山脈の向こうは別天地です。
昔の人は、高崎から先は東京みたいなもんです。そわそわ落ち着かなくなります。
明治の人にとっては東京は遠かった、もう今は昔である。

さて、ここで私と明治生まれの祖父達との二人の最長移動地を載せます。
今から思うと、もっともっと遠くへ行っていればと思う。残念である。

祖父(明治42年生まれ)
中学校の卒業式に参席してくれた。町内が二人の最長移動地だった。
ほかの父兄は父母が参席していたので、私は不満だった。
式の帰りに祖父が蕎麦屋に入ろうと誘ったのに、無下に断ってしまった。
今、後悔している。何もわかっていなかった。

祖母(明治44年生まれ)
大阪万博に、二人で北陸本線まわりで行く。私は5才だった。
当時は蒸気機関車だったので、トンネルに入ったら煙が湧いて来た。
私は驚きながら笑っていた。シンボルの太陽の塔を、うっすらと見た記憶がある。

タケ婆の夫(明治25年生まれ)
小学校の1年の時に亡くなったし、長らく老衰で寝込んでいた。
2才の冬、庭で並んで撮った写真があった。笑っていた。庭が最長移動地。

タケ婆(明治33年生まれ)
幼少期にタケ婆の実家に連れていかれた。登り坂の先だった。集落内が最長移動地。

私の祖父達からすると、孫との移動はとても楽しみだったが、齢をくっていた。
それに農家の年寄りは背が曲がるのが早い、杖をつくようになります。
こうなると近場に行くのにも大変になります。道が伸びるのです。
孫とのお出かけは、丈夫なうちに、どんどんとやるのが良いです。

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