パソコン美人におんぶにだっこ

パソコン相撲 入門

タケ婆が、盆と正月、お彼岸を喜んでいたわけ

2023-01-02 11:02:14 | パソコン相撲
私は、明治生まれのタケ婆に育てられた。
一言でいうと、良く出来た人だった。清く正しく美しくを体現していた。
そんなタケ婆の両親は明治初めの生まれで、祖父祖母は江戸後期である。
幼い頃は、江戸時代の爺、婆にかこまれて育っていった。
それは、私が明治の空気をタケ婆に感じたように、江戸の空気を感じていたのでは。

実家は曹洞宗である。新潟や北陸には多い。加賀永平寺が総本山。
代々の稲作農家で10代位前に本家から分家した。江戸時代中期頃か。
その本家は、また本家からの分家で、タケ婆は最初の本家本貫から嫁いで来た。
村の一番の始まりと言われている家からである。言い伝えによると、平安の頃か。
そこの齢の離れた末娘として明治40年に生を受ける。
村一番の地主である。のち15歳で嫁ぐまでは大きな幸せに包まれて育った。
それが、分家筋にあたるこの家に来てからというもの、一変していった。
まるで不幸坂を転がるように、小さくなり、消えてった・・・・
タケ婆は、嫁いだ15歳が人生の頂点だった、後は・・・・

話を戻す。
私は実家でタケ婆が亡くなるまで18年間いつも一緒だった。
盆、正月、春と秋のお彼岸を特に喜んでいたのだ。今になってようやくわかった。
ご先祖様が大勢帰って来てくれるのである。年に4回だけである。たったの。
タケ婆は江戸時代の爺ちゃん婆ちゃんに育てられた。信仰にあつかった。
その日は、みんなが来るのである。燈明、お線香、読経と、嬉しくてしょうがない。
夫、兄弟姉妹、いとこ、はとこ、父ちゃん母ちゃん、爺ちゃん婆ちゃん、まだまだ。
曽祖父、曽祖母、高祖父、高祖母、もっと前、もっともっと前、一族全部が帰って来る。
一緒にご馳走を頂き、風呂に入って、語らって、同じ布団で寝る。これ至極である。

ここでは、タケ婆の心の声は載せない、それに手が届かない。
私なんかの想像しえない語らいを、ご先祖様とかわしていたからだ。
必ず、タケ婆の小説を書く。仏壇に添える。この新年にて誓う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする