ぼくは天木直人のブログをずっと見ている。
が、いつも天木氏に共感しているのではない。
今見た天木氏のブログには共感するので貼り付ける;
(引用開始)
しかし、私がここで言いたい事はエジプトの将来ではない。
米国に強固に支えられてきた政権が世界中で次々と交代しつつあるという現実だ。
気がついたら日本だけが唯一、最強の対米従属国となっているかもしれない。
そしてそんな日本が不幸な国であることは言うまでもない。
今朝(1月29日)の早朝のテレビ番組(みのもんたのサタデーずばっと!)でエジプト情勢が取り上げられた時、民主党議員がひとことつぶやいていたのが印象的だった。
ここまで米国に支持されていたムバラク政権でもこんな事になるんですね、といった趣旨の言葉を、驚きとも不安ともつかない表情で漏らしていた。
おそらく彼は国際政治には疎い議員なのだろう。ましてや中東情勢は何も知らないのだろう。
そしてそんな彼こそ日本の一般国民の素朴な考えを代弁しているに違いない。
しかし現実の国際政治はそうではない。
もはや米国に支持されていれば大丈夫だという時代は、世界では終わりつつあるのだ。
むしろ米国の従属国こそが次ぎ次ぎと倒れて行っている。
それは米国の支配が終わったということではない。
それどころか米国はあらゆる手を使って世界を支配し続けようとするだろう。
そんな米国の支配から脱却することの困難さを世界は知っている。
それでも世界のあらゆる国とその国民は、自主・自立を求めている。
その動きが拡がりつつある。
そしてそれは、それらの国の政治的、経済的発展の当然の帰結なのである。
国民の覚醒の自然な発露である。
鳩山首相の末路を同僚として見てきた菅直人という政治家が、同僚を助けるどころか、それを反面教師として首相になり、首相になったとたんここまで対米従属に豹変した。
それが、米国に逆らえば首相になれない、米国の支持さえ得られれば政権は安泰だ、そう思った末の行動であったとすればあまりにも浅薄だ。
そしてその誤りが今菅首相を苦しめている。
果たして日本の国民は世界の国民の潮流と同じように対米自立に目覚める時がくるのだろうか。
そうであってほしい。
気がついたらやがて誰もいなくなった。日本と言う国が最後の対米従属国となった。
歴史にそう記録されないためにも今こそ日本国民は覚醒しなければならない。
それが後世の世代に対する今を生きる国民の責任であると思う。
(引用終了)
その上で言いたいのは以下のことである。
対米従属でない状態とはなにか?
ぼくが思うことは、“対米従属でない国”になるためには、どのようなことを考えなければならないか、ということだ。
しかも、それは、“実際的手段を”(実際的手段のみを)意味しない。
たとえば、経済問題は、“資本主義”の問題として、たんなる実務的手段としてでなく検討されるべきである。
“防衛問題”も同じだ。
“哲学”や“社会科学”は、たんに“現実的問題を現実的に解決する”ためにあるのではない、ということをいくら強調しても強調しすぎることはない。
逆に、“現実的問題を現実的に解決する”ということを徹底的に考えつめれば、それがたんなるその場限りの“具体策”でおさまらないことが明瞭になる。
たとえば、“対米従属しない”ということを選ぶことは、“キリスト教”に関与する。
そのことは、たんに“キリスト教”を否定することには、ならない。
ぼくがここで言っているのは、一方に“宗教的、哲学的、観念的、抽象的……”問題があり、一方に“現実的な”問題があるのでは<ない>ということだ。
あるいは、“アメリカ”という国を考えるとき、ディズニーランドやマクドナルドやテレビドラマ(「24」や「LAW & ORDER」や「LOST」や「CSIシリーズ」)から現在のアメリカのなにが“わかる”のかということだ。
(たとえばこれらのテレビドラマと“イギリス製”の「MI-5」や「心理探偵フイッツ」を比較せよ;笑)
スピルバーグやイーストウッドやタランティーノの映画とコーエン兄弟映画の違いから、“なにがわかるか”という問題なのだ。
“かつて”、人種差別のアメリカ、赤狩りのアメリカ、ギャングたちのアメリカ、アウトローたちのアメリカがあった。
現在、銃犯罪のアメリカ、ドラッグ漬けのアメリカ、レイプのアメリカ、ドメステのアメリカ、キリスト教原理主義のアメリカ、世界にデモクラシーと正義を輸出するアメリカ、“悪魔=テロリストと戦う”アメリカ、なんでもコンピュータなしではできないアメリカetc.があるのである。
そして、“戦後60余年”、このアメリカの“そっくりさん”を目指す国が、極東の片隅にあったのである。
だから“問題”は膨大である。
“基礎から”かつ“ラディカルに”、一歩一歩、こつこつとやるほかない。