★ 私の場合、そんなことを思ったのは、べつに障害者運動のことを知ったからというわけではなかった。むしろ、どんな人でも、いろいろなことが、様々な度合いで、できたり/できなかったりする。とすると、この社会では、そのことに関わって損得が違ってくる。その意味では、ある人たちとは言葉の使い方が違うかもしれないが、すべての人が様々な場面でいくらかずつ、障害者であると言ってよい。そしてそのことは、その損得の度合いが、人によって人が置かれている社会のあり方によって著しく異なることを軽視してよいとかいうことではまったくない。もちろんその損得の度合いは、その人の能力によって、そしてどんな能力を社会がどの程度必要とするかによって大きくは変わってくる。だが、小さいにしても大きいにしても、その損得の差があることがよいとは思えなかった。そういうあたりが私の出発点になっている。そういう場から考える人にとって、そういう考えを自分のものにしていると思うのが、日本の――ととりあえず言うことにするが――さきに記した時期以降の障害者運動であり、そしてその当時に現れてきた社会運動だったと私は思った。直接に影響されてということではないと思う。ただ私と同じことを思っている人たちがいると私は思い、そしてそういう人たちのことを知ったり、やってきたことを調べてみようと思ったりしたのだ。
<立岩真也ウエブ・サイトより>
《その意味では、ある人たちとは言葉の使い方が違うかもしれないが、すべての人が様々な場面でいくらかずつ、障害者であると言ってよい。》
という言葉を支持する。
<ここに貼った写真についてのコメント>
その半開きの扉を通って、外に出る。
あと13歩くらい歩けば。
光、街路があり、車がときおり行き交い、ひとも通り過ぎる。
たぶんここは、今日もこのようにある。
でもこれは写真である。
ぼくはこの13歩を歩くわけにはいかない。
たぶんあの丘のうえに展開する古い街は、
1時間ちょっとで1周できる。
石畳を踏んで、入り組んだ路地をぬけて、
石組みの低いアーケードをくぐり、
かならず道は中央広場に通じる、高い塔のある広場のざわめきへと。
この街の外縁部でははるか新市街が見下ろせる
人々が生きる街が。
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