Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

変わったのは“日本語”だった

2011-01-09 12:20:49 | 日記



結局、<戦後60余年>なにが変わったのか?

しかし、もはや上記のような問いが、そもそも成り立つのだろうか。

たとえば明日20歳になる人々にとって、自分が生きた20年は、ほとんど同質の時代として感覚されているのではないか。

そこ(20年)には、すでに“高度(後期)資本主義”があった。
“ソ連”という共産主義国家と共産圏があり、それにアメリカ合衆国を中心とする“自由主義”圏が対立し、“冷戦”および局地的な“熱い”戦争が繰りひろげられる<世界>は消滅していた。

若者たちにとって<世界>は、“9.11以後”の<テロとの戦い>の世界で、いかに自分の消費的快楽と“ゲーム”を遊ぶことを確保するか、という場所になっているのではないか。

まさに“自分の自由”をおびやかすものは、貧困と不潔とテロリスト国家である。

まさに、自分をおびやかすものは、貧乏と病気と“自分とは異質のもの=テロリスト”である。
かくして、生活(ゲーム空間!)防衛的保守=保身主義は、“大河ドラマ的ナショナリスト”に彼らを陥らせている。

その<場所>から脱落したと思うものは、“ひきこもり”、“ニート化し”、さらには、自らの殺傷や街頭での“誰でもよかった”殺傷をネット中継する。

まさに、ネット・テクノロジーは、“戦後の”もうひとつの核心である<テクノロジー>の先端に出現している。

片や、どうでもいいことを無限にケータイで、ネットで、“チャットする”無数の<大衆>が出現している。

もちろん、これらの両極をリアルと思う人々(すなわち“現在の日本人”)にとっては、こういう日常は、<どうでもいい>ことではない。

<どうでもいい>と、ここで言う“ぼく”も、これらの<どうでもいい世界>に完全に包囲されている。

だから、ぼくがこのブログで“言いたい”のは、<テロとの戦い>とか<ネット・テクノロジー>が、戦後世界が変わったということでは“なく”、変わったのは、<日本語である>というメッセージである。


大江健三郎を2006年にインタビューしたものをまとめた『大江健三郎 作家自身を語る』という本がある(新潮社2007)

そこで<1984年>という年が問題になっている。

1984年というのが、いまから27年前であることは引き算できる人には、わかる(笑)
明日成人の人は生まれていない。

それじゃ、その年にいったい何がおこったか?

大江健三郎の『懐かしい年への手紙』が出版された。
そして村上春樹の『ノルウェイの森』と吉本ばななの『キッチン』が出たのである。

さてここで大江健三郎の発言を聞こうではないか;

★ 私の日本文の書き方がはっきり古いものになる、新しい大きい波が押し寄せた年が、『懐かしい年への手紙』の出版された年だった、としみじみ思います。私の文章は外国語を読むことで影響を受けていますが、外国語から受け止めたものをいったん明治以来の日本の文章に転換する、それから自分の小説の文章を作っていく。
★ ところがばななさんも村上さんもそうですが、かれらは外国文学を自分の肉体でまっすぐに受け止めて、そして自分の肉体から、文章体というよりむしろ口語体、コロキアルな文体として自然に流れ出させている感じを受けます。私の小説の文章体、すなわち書き言葉的な特質が過去のものとなって、その先の、生きた口語体の文章をお二人が作り始められた。そして現在、とくに村上さんは、自分の口語体を新しい文章体に高めるというか、固めることもしていられて、それが世界中で受け止められている。その新しいめざましさは、私など達成することのできなかったものですね。
(『大江健三郎 作家自身を語る』から引用)


日頃、村上春樹をけなしている、ぼくにとって、この大江発言は、“反証”となりえるか?

そんなことはない。
ぼくは、大江健三郎を読むのをやめて、村上春樹を読んできたのである(笑)

大江は、ぼくより11歳年上であり、村上はぼくより2歳年下である。
どちらの<文章>がぼくに親しいかというのなら、村上春樹の“口語体”である。


しかし、もうひとつの、照射点がある、柄谷行人の「近代文学における歴史と反復」(定本柄谷行人集5『歴史と反復』所収)

ここで柄谷が論じている作家は、三島由紀夫と大江と村上と中上建次である。

★ だが、三島由紀夫、大江健三郎、あるいは村上春樹だけでこの論考を閉じることはできない。私はここで、彼らと多くの点で共通しながら根本的に異質な作家を取り上げたい、1983年に、『地の果て 至上の時』を発表した中上建次である。
<柄谷行人“近代文学の終わり”>


さて、中上建次が三島・大江・村上に対して、どう《根本的に異質》であるかの柄谷の論証はこの柄谷の本で読めばいい。

しかし、それが“ほんとうにわかる”ためには、中上建次が書いた文章を直接読むほかはない。

(ちなみに中上はとっくに死んだが、ぼくと同年の生まれである)

すなわち、中上建次に“おいて”日本語は、とっくに変わっていた。

それは、たんに<口語的>(コロキアル)なものを、文章体にしたものでは、なかった。

だから、ぼくは村上春樹の『海辺のカフカ』、『1Q84』をわらった。







ぼくがぜんぜん知らない人たち

2011-01-09 08:51:03 | 日記



今日の天声人語を読んで、<ぼくがぜんぜん知らない人たち>という言葉が浮かんだ。

それは、少女から若い女性になる人々である。

天声人語を読んでみようか。
まず、
《川崎市の川柳作家古俣麻子さんの句をいくつか書きとめている。〈ポケットに無限をつめて少女羽化〉。人生の折々で、女性の思いをまっすぐに伝える技と感性が、琴線に触れた》――そうだ。

ここで、《ポケットに無限をつめて少女羽化》という句を記憶しよう。


さてこの天声人語は以下のようの展開する;

《夫は外で働き、妻は家を守るという分業を是とする既婚女性は、40代を底に、若くなるほど増える。調査によっては、20代以下で半数に近い。母親世代をしのぐ家回帰といえる▼40代の「均等法第一世代」が男社会の荒野に道をつけたのに、後輩たちにはなぜか、専業主婦への憧れが広がった。この時世、安定志向は当然ながら、男性との競争や就職難に背を向けたかにみえる▼むろん現実は厳しい。専業主婦の座を約束してくれる結婚相手はそうそう現れず、「ポケットの無限」はしぼんでいく。仕事も家庭もと頑張ってはみたが、聖子さんにも、百恵さんにもなりきれず、もんもんとする30代、40代は少なくない▼それでも、あす成人を祝う世代には、うらやましいほどの時間がある。20代は自分を試し、磨く時だ。家事労働は尊いが、皿洗いも子育ても、二人で繰り合わせる時代である。主婦にせよ主夫にせよ、「専業」は結果であって、目ざすものではない。まずは飛んでみよう》(引用)


すなわち、現代の若い女性には、《専業主婦への憧れが広がっている》ということらしい。

えっそうなの、という感じなのだ、ぼくは。

だいたい、働かざるを得なかったぼく(男)にとっては、“社会進出したい”女性というのが、そもそも驚きだった。
ぼくは働く女性である母に育てられたが、母が“仕事が楽しくて”働いているのでないことは、子供の頃よりよく知っていた。

もちろんぼくは、女性が社会進出すべきでない、などとはちっとも思っていない。

しかしそもそも、<専業主婦>とはなにか?(笑)

《家事労働は尊い》とは、いかなる意味か?

《皿洗いも子育ても、二人で繰り合わせる時代》とは、いかなる時代か?
(それはそんなに良いことか?;笑)

《主婦にせよ主夫にせよ、「専業」は結果であって、目ざすものではない。まずは飛んでみよう》と天声人語は言うのだが、
《まずは飛んでみよう》というのは、どういう行為を意味するのか!

“だから”ぼくはこういう文章は、無意味かつ無責任だと言っているのだ。

昨日のこのブログに書いたように、この天声人語にある“世界観”は、まったく古臭い<家族主義>そのものである。

そしてぼくが不可解なのは、明日成人を向かえる“少女”たちが、この天声人語は読まないだろうが(笑)、このような世界観や家族主義からまったく自由でないことが、予想されるからだ。

“予想される”と書いたのは、冒頭に書いたように、ぼくは、彼女たちを“ぜんぜん知らない”からである。
街で見かけることはあっても、ぼくは彼女たちと、まったく話す機会がない。

街ですれちがうとき、彼女たちにとって、ぼくのような初老の人間は、まったく“存在していない”のである(笑)

すなわち、ぼくより若干<若い>!!天声人語の書き手が、《まずは飛んでみよう》などと言うことは、彼女たちにとって、まったくの<無意味>でしかない。


ぼくが天声人語について、なによりも思うのは、こういう文章の書き手の、“自分の日本語が通じるはずだ”という、あきれはてた<楽観>である。


ぼくには、そういう<楽観>はない。
この<社会>にいま生きていて、ブログを書いていて、そういう楽観をもてるはずがないのだ。

そういう<楽観>のもとに書かれた文章は、すべてペケである。

ぼくたちの今後の課題は、<通じない日本語をいかに通じるようにするか>という、ほとんど不可能な試みにある(笑)