(下のブログからのつづき)
★ しかし、80年代以降、このような中央と地方の風景の均質化や男女間での見かけ上の雇用機会の均等化に続いたのは、より構造的な不平等の拡大であった。90年代の長い不況期を通じ、日本社会は年功序列の賃金制度や労使協調を基盤にした相対的に格差が少ない社会から、社会的・経済的格差を急激に拡大させ、膨大な数の不安定な非正規雇用を抱える社会へと劇的に変化した。もちろん、70年代にあっても格差がなかったわけではないが、社会全体の「豊かさ」のパイが大きくなったことにより、幅広い中流意識が形成されていた。しかし、90年代以降、日本社会はかつて予想もつかなかったほど明白に、収入や資産、将来性の格差が目に見える社会へと変化していったのである。
★ このような社会構造の根本にかかわる変化をもたらした最大のモメントは、いうまでもなくグローバリゼーションである。70年代初頭までの戦後日本社会を突き動かしてきた最大のモメントが「高度成長経済」であったとするならば、本書のタイトルである「ポスト戦後社会」とは、グローバリゼーションの日本的な発現形態であると言っても過言ではない。
★ 世界的な政治・軍事秩序の面からするならば、グローバリゼーションは「ポスト冷戦」の体制変化によって枠づけられている。しかし、この「ポスト冷戦」は、1989年の劇的な政治変動によって突然もたらされたわけではない。それは、70年代初頭の為替の変動相場制への移行、その結果としての莫大な金融マネーの越境的な流通によって必然化していった変化であった。80年代、中南米などいくつかの国を深刻な通貨危機が襲ったが、やがて起きた社会主義崩壊とその後の混乱も、70年代からの世界の骨組の変動とのなかで起きていったいくつもの危機と結びつけて理解しなければならない。そうした意味で、グローバリゼーションはポスト冷戦に先行し、現代世界の根底を資本の基盤的構造のレベルから方向づけてきた。
★ このような世界秩序の変化に対応して、80年代の欧米や日本の国家体制は、「福祉国家」から「新自由主義」へと大きく政策体系の根本を転換させる。1979年にイギリスでサッチャー政権が、81年にアメリカでレーガン政権が誕生したのに続き、82年には日本でも中曽根政権が誕生し、新自由主義的な路線に大きく舵を切った。
★ ポスト戦後において、自民党の保守政治は、池田勇人の「所得倍増」から田中角栄の「列島改造」までの福祉国家型の利益配分政治から、中曽根康弘から小泉純一郎までの「民活」と「規制緩和」を軸にした新自由主義的なポピュリズムへと変身していく。この政策転換は、集票マシンとなることと引き換えに地方農村に利益を還元してきたシステムの破綻を意味していた。90年代、円高が急速に進行するなかで、この列島から多くの産業が転出し、後には活路を失った多くの地域や高齢化した人びとが取り残されていくことになったのである。
★ 「戦後」から「ポスト戦後」へという、本書で扱う諸々の変化に通低しているのは、何かの時代の「始まり」ではなく、むしろ「終わり」である。それは第一に、保守派と革新派のいずれを問わず前提としていた福祉国家体制の終わりであった。この体制は、戦中期の総力戦体制から連続して組織されたものであったから、ここで終わりつつあるのは、「戦後」であると同時に「戦中」でもある。第二に、「ポスト戦後」において、外的自然との関係が決定的な変化を遂げる。60年代末、「公害」が大きな社会問題となり、各地に力強い環境保護運動が生まれ、この流れはやがて地球環境問題というグローバルな課題と結びついていった。そして第三に、内的自然もまた「ポスト戦後」に大きく変容する。これまで人びとの人生の基盤をなしてきた共同体が崩壊の危機に直面していっただけでなく、自己そのもののリアリティが、すでに述べたような「虚構」のなかで失われていった。
★ こうしたなかで、いかなる新しい「始まり」が可能なのか――。新しい始まりは、そのような新しい時代を切り開く新しい歴史主体の形成と切り離せない。
★ 本書は多くの章で、社会運動の担い手たちに注目している。60年代の学生運動がどのように自己否定を重ね、孤立化していったのか。ベ平連やウーマンリブ、沖縄の反基地運動に、どんな新しい主体の可能性が垣間見えるのか。地域の歴史的景観や自然を守るローカルな運動が、新しいまちづくりにつながるいかなる主体を胚胎しているのか。拡大する格差のなかで、周縁化された労働者の新しい連帯は可能なのか。「アメリカ」という留め金に逃れ難くピン止めされながらも、空洞化する日本社会の現場を繋ぎ、アジアの人びとの思いと結びついていけるような歴史の主体は可能なのか。筆者はこれらの問いを、そうした主体の形成を困難にし続けているさまざまな条件を丹念に見据えながら考えていきたいと思っている。
<吉見俊哉;『ポスト戦後社会』(岩波新書2009)>
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