Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ゴダール語録;映画は人生だ

2012-06-23 07:45:59 | 日記

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
たぶん、ブレッソンは一時期見失っていたなにかをまた見つけ出したんだ。彼は同じ場所に長くとどまりすぎていた。ひとは自分が存在する条件と無関係に、世界と無関係に生きているわけじゃない。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
ぼくは自分をむしろ、自分の小さな農地を耕す小さな農夫にたとえたい。そしてその農夫は、自分はどの部分を保持し、どの部分を国家に売り渡さざるをえなくなるのかを見ようとしているわけだ。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
ひとは映画をつくることによって、より大きいスケールで進行していて、見てとるにはあまりに茫漠としているものを、小さなスケールで見ることができる。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
ひとことで言えば、このカメラではピントを合わせることができないわけで、だからぼくとしては、このカメラではピントを合わせることができないという事実にピントを合わせることができればそれでいいといったところだ。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
私が自分は観客の近くにいると感じるのは、もっぱら、私が映画を自分自身のために必要としているからです。そうでなければ、私は映画をつくったりはしないはずです。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
形容詞というのは状況を判断するためのものじゃありません。でもわれわれは今、形容詞によってものごとが定義される時代にいます。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
物語を語るというこの問題は、私にとっては深刻な問題です。というのも、映画をつくろうとすると…映画をつくるための金を見つけようとすると、連中は必ず、《その映画には物語があるかい?》と聞いてくるからです。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
私ははじめから、自分の映画を断片としてつくったわけです。でもそれによって、私は大いに損をしました。なぜなら、―商業的観点から考えれば―人々はそうした映画のなかにはなかなか入りこむことができないからです。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
私には、三、四人の人のためにつくられるべき映画というものもあると思えるからです。もっとも、映画を三、四人の人のためにつくろうとすると、その三、四人の人さえ獲得できないということがあります。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
私には教育がありません。私は映画をつくりながら、そのつど、自分で自分をつくりあげてきました。私が学校に通ったのは、両親が私に通わせたからです。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
私はいつも、映像をつくる人たちは音楽を必要としているのに、音楽家は映像を必要としていないという事実を、不思議なことと…おもしろいことと思ってきました。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
だから私がこの映画でしようとしたのは、映画のなかで《アルジェリア》という言葉を発するということ、しかもそれを、自分が今いる場所で、自分自身のやり方で発するということです。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
ぼくが思うのに、バルトはモードに本当に興味をもっているわけじゃない。モードそれ自体を好きなわけじゃなく、すでに死んだ言語としての、したがって解読可能な言語としてのモードが好きなだけなんだ。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
そして映画は、同時に人生でもあるんだ。だからわれわれが人生を映画に撮ると、人々はわれわれに、これはもはや映画ではない、金を払ってまでしてつづけて二度も人生を見たくないはないなどと言ってくるわけだ。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
ありきたりの言い方だが、《映画とは人生だ》と言うこともできる。でも一緒に暮らしている女たちは、この点でぼくを非難している。彼女たちはこう言うんだ。《あなたは人生を生きていない。映画なんかやめてしまいなさいよ》と。―ゴダール

(引用)