気ままにフィギュアスケート!

男子シングルが好きです。

ニュースまとめ

2010-02-20 23:57:07 | 高橋大輔その他
ニュースが色々と出ていますね。皆様とっくにご覧になったかと思いますが、自分用にまとめておきます。

テレビ映像でも確認しましたが、大ちゃんに日の丸を渡したのは吉岡強化部長だったのですね。小塚君、強化部長と伊東部長との間に挟まれています。(笑)信夫コーチもいるし。→yahoo!

その吉岡強化部長といえば→スポニチ
FS前日のニュースには戸惑いましたが、リンクサイドでの様子を見ていても吉岡強化部長はお仕事熱心で責任感の強い方なんだろうと思います。今回の監督が城田さんではなく吉岡強化部長でよかったと思っています。

歌子先生との抱擁→スポニチ
テレビ放送では大ちゃんが手を広げたところでリプレイに画面が切り替わったので、この瞬間が見られなかったので嬉しい。

高橋「和」の力!→スポーツ報知

14年ソチ五輪で「金」目指す?→スポニチ
今後の世界選手権の結果や体調と相談して決めていくことだと思うので、大ちゃん自身にも分からないんじゃないかなと私は思っています。

スピードスケートの長嶋さんや加藤さんとの会見→YOMIURI ONLINE
<大会前は今回が最後の五輪と公言してきたが、「演技は満足のいく内容でなく、悔しさが入り交じっている。まだまだできると感じたし、第一線でやっていきたいと感じた」と意欲をのぞかせた。
今後はあと1日休養しただけで、次の大会に備えカナダ国内でさっそく練習を再開する予定という。>

この会見を動画で見ましたが、スピスケのお2人が大会前は女子選手のほうに注目が集まっていたなんてぼやいていたのを大ちゃんが笑顔で見ていて、内心同じような気持ちだったのかななんて思いました。大ちゃん、これで男子にも目を向けさせることができたね!
1日しか休みがないのはかわいそうな気もするけれど、世界選手権に向けて3人ともしっかりと練習してほしいと思います。表彰台を独占してくれてもいいしさっ。(笑 中央はもちろん大ちゃんね!)

関大では何か動きがあるかもですね→スポーツ報知
<体育会の栄誉を表彰する「大島賞」に続く「高橋賞」がつくられるプランも浮上した。06年に8億円をかけて専用スケートリンクを建設するなど、思い切った強化策が実を結んだ。>
<かつては学生スポーツの名門だった関大に、78年ぶりに五輪メダルをもたらした。上原洋允理事長(76)は「褒めてやりたい。記念碑(設立)は考えないと」と興奮。高橋が五輪前に学長に“おねだり”していた第2専用リンク建設については「これから考えなアカン」と豪快に笑った。
関大は32年のロス五輪銅メダリストの大島さんをたたえて「大島鎌吉スポーツ文化賞」を88年に制定。顕著な成績を残した団体、個人に贈られており、大学関係者は「将来的に『高橋賞』ができるかも」と話した。
大学院2年の高橋と、7位に入賞した文学部4年の織田信成(22)が、「フィギュアの関大」を世界にアピールした。60年代に佐藤信夫、久美子(旧姓・大川)夫妻という2人の五輪代表を輩出して以降は目立った選手が出なかったが、03年度に導入した新入試制度で有望選手が続々入部。高橋3年、織田2年の06年には総工費8億円をかけた国際競技規格の専用リンクが完成した。年間維持費2500万円の支出も、五輪の表彰台という「成果」が即効で出た形だ。
関大には五輪へのカンパで数百万円の資金が集まった。高橋には日本オリンピック委員会(JOC)と日本スケート連盟から、各100万円の報奨金が出ることが決まったが、関大は「表彰金より次の養成費に」(上原理事長)。四大陸選手権で2位に入った2年の町田樹(19)らホープもいる。女子フィギュアの有力選手を次々に輩出する名古屋に匹敵するフィギュア王国・関大へ。高橋と織田の凱旋時にはキャンパス内でのパレードも検討されている。>

「高橋賞」ができるかもと思うと愉快です。
そして1月の関大での公開練習のときでしたっけ?大ちゃんおねだりの第2リンク、できるといいですね。中京大にはサブリンクがあって便利そうだし。
大ちゃんの今回のメダル、そして女子も獲ってくれるであろうメダルによって、さらにフィギュア人気に火が付くことは間違いありません。でも一番の問題はリンク。今でさえ選手たちは混んだリンクで十分な練習が積めないというのに。
あと中部と関西にはリンクのある大学が1校ずつあるのだから、関東の大学にもリンクができるといいなと切に願っています。
関東の選手、大学進学にあたって関東を離れたくないだろうし、やはりリンク環境のいい選手のほうが成績も出しやすい。全日本の1~4位は関大・中京大の選手ですものね。元々が素質のある選手たちだったとはいえ。
日本のリンク事情、何とかならないでしょうか。

追記:昨日記載するのを忘れていました。本田さんのスケート靴を履いていたのですね。→nikkansports
<奇跡の復活だった。08年10月、練習中に右ひざの前十字靱帯(じんたい)断裂、内側半月板損傷という大けが。選手生命も危ぶまれた。1年前の今ごろは歩くのもやっと。心も乱れリハビリ生活から逃げ出した。母清登さんに「しんどい。誰か助けてくれないかな」と弱音を吐いた。長光歌子コーチは「スケートをやめてもいいと思っていた」という。リンクに立てたのは五輪開幕10カ月前の昨年4月だった。
 「けがをしてからは、スケートをやめてからの人生にもプラスになるような経験をした。よくここまでたどりつけた」。銅メダルを首から下げた高橋は、喜びをかみしめ、しみじみとふり返った。
 実はこの日、ジャンプコーチでもある02年ソルトレークシティー五輪4位の本田武史氏のスケート靴を履いて演技した。今年1月に本田氏に渡された。サイズは0・5センチ大きく、硬さも1ランク硬い。だが、毎日練習しているうちに、不思議となじんだ。あと1歩でメダルを逃した本田氏、そしてメダルに挑み続けた過去の同種目の代表選手たちの、思いも背負ってリンクで滑った。>