18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

地球

2004-09-08 04:10:48 | 
台風の当たり年となったこの夏。各地でたくさんの被害と人命を奪う猛威の前には、人間もまた自然の一員であることを認識させられる。
異常気象だとか温暖化だとかが話題にあがってもなかなか日常生活でそのようなことを痛切に感じることがないが、さすがに台風となると別である。台風はしっかりとその自然の作り出す力を見せつける。

毎年夏の暑さが強くなり、ある統計によると過去100年間で平均気温が何度か上昇していることをニュースで報じていたが、その影響がどれくらいあるのかなどについては日常生活のなかで感じることは確かに少ないのが現実である。夏の暑さが酷くなったとしても、冷房の効いた部屋に居れば感じることも少ないし、駅や列車のなかでも当たり前のように冷房が効いているからこんな快適な話はない。地球温暖化に対してまるで目隠しでもするかのような具合である。自然の過酷さから身をまもるための知恵を働かせてきた人類がいまやっているのはまるで人間を自然から遠ざけ続けているようにも見えるのである。

確かに台風は各地でいろんな被害をもたらす。時には人命さえも奪う。道路や鉄道が封鎖され、交通手段がなくなり、地滑りや洪水などももたらす。だからといって台風がなくなればいいと考えるのは、あまりにもおこがましい。地球にとって人類の築いてきた社会や都市、文化の発達、戦争、核兵器、大気汚染などのほうが迷惑なはなしで、台風のほうがよっぽどあたりまえな存在なはずである。あらためて地球という器、つまり人類が生存してゆく基盤となる存在なくして人類は存在しえないのだから、その地球、すなわち台風などを含めたすべての自然という存在がもっとも貴重で重要だと考えるべきなのではないか?人類はあまりにも乱暴に地球の資源や自然を自分の都合だけを考えて利用しているのではないか?

 人類が誕生していつのまにか地球上の自然や資源を我が物顔で採取浪費している。ほっておけばますます増長しそうな勢いな人類に対して、自然は容赦なくその猛威を誇示し、人類の無力さを見せつけて自然の存在をわすれないようにメッセージを出してくれる。私たち人類はそのメッセージをしっかりと受け止めて浪費、自然破戒につながることを一つ一つやめて行くことがあすの人類の繁栄につながると信じている。
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おつかれさま

2004-09-05 00:02:32 | 
 癒し系なる言葉がはやって久しいが、結構長続きしているのをみると日本全体、やはり疲れているのかなあと考えてしまう。韓国ドラマが大変な話題で、NHKの収支を大きく伸ばすことになった”冬のソナタ”はその癒し系の代表なのだそうだ。もはや日本の”スレきった”若手俳優やタレントには期待できないとでも言いたいほどの韓国俳優人気である。私としては、ちょっとひねくれているのかもしれないのだが、日本人と同じ顔立ちに、”洋画風の吹き替えによるセリフの言い回し”にどうしても違和感があって、ドラマに専念できずにいる。かといっていわゆるドラマが嫌いという訳ではけっしてない。いまだに「東京ラブストーリー」のDVD(これは買った)を見て目頭を熱くすることも少なくない。奥さんからは、「わかるけど、やめて。」と言われている。それもわかるけど・・・。たまには涙腺の掃除も必要なのだ。

 さて、癒しの話だが、仕事の関係で月に最低一度は東京と大阪を往復するのだが、東京での仕事を終えて大阪に帰ってくるのがだいたい夜の10時から11時ぐらい。まあ最終電車に間に合えば・・・という気持ちで帰りの新幹線を選択しているのからなのだが、ちょうどまもなく新大阪に到着しようかというあたりに高島礼子嬢による”清酒黄桜”の大きな看板が立てられている。

 東京から大阪方面の下り新幹線を何度か利用されたことのあるかたなら”ああ、あの看板ね”とすぐにも理解していただけるくらい目立っているが、その看板にはさりげなく”黄桜”とかかれているほかに、大きく”おつかれさま”と書いてある。
その看板の落ち着いた感じの着物に身を包んだ高島礼子嬢の醸し出す雰囲気と、ただ”おつかれさま”と縦書でかかれた文字が、なんとも疲れた気持ちを”いやしてくれる”のである。なんの変哲もない看板といってしまえばそれまでだが、たった一つの看板が、出張帰りのビジネスマン諸氏の疲れを癒してくれるのであればそれは大変価値のあることであると私は思う。こんな大きな看板でなくても普段はそれほど気にしていないさりげない景色に実は癒されているのかもしれない。


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「話を聞かない男、地図が読めない女」

2004-09-03 07:21:28 | 
 「話を聞かない男、地図が読めない女」という本を読まれた方も多いだろう。結構売れた本なのだがこれがまた大変おもしろい。

 心理学の面や、医学の面からの実証や現実を交えながら男と女の脳の働きの違いや考え方の違い。なぜ女はしゃべり続け、男はそれを聞かないか。あるいは口論(けんか)になったときに男はなぜ、あわれにも女に勝とうとするのか。などを大変興味深く読ませてくれる。この本を読んだことで男と女が分かりあえればいいのだろうが、現実はそうはいかないようで、私の場合もほとんど改善されていないから間違いない。

 この本を読んで自分自身のことを振返ると、うちの奥さんと口論になるときにはどうもパターンがあるようだ。 例えばこんな具合である。
「・・・なことがあったとき、あなたはいままで一度も助けてくれなかった。」という奥さんの文句に対して、「一度もないなんてことはない、あんなときはこう助けた、こんなときはこんな風に助けた、最近ではこんなときも助けた。ほら三度も助けたじゃないか・・・」と例を出して奥さんの間違いを正そうとするのである。夫としては「自分は間違ってないと思っているし、もし仮に奥さんが本当に「一度も助けられたことがない」と認識していたらそれこそ大変である。 あちこちで愚痴ついでにそんなことを吹いて回られてしまうかもしれない。これは即座に訂正しなければ、ご近所の奥様がたから白い目で見られてしまっては大変である。安心して近所を歩けない・・・。そこまで考えるかどうかは別としても、男性諸氏ならば訂正したくてしかたなくなる。

 こんな風に応えるとまた奥さんが、「本当に分って欲しいことをあなたは全然わかってない!」といってさらに怒り出す・・・。といった始末である。またこういうのもある。口論がエスカレートしてくると、奥さんは過去のいろんなことを次から次へと脈絡なく飛び道具のように出してくる場合などにもつい私は、「いまはそんな話をしてるんじゃないだろう。」といってこれまた口論をきちんとした状態へ戻そうとする。これもやっぱり「自分が何に対して怒っているのかを、夫は理解していない。」と受け取るらしくて、怒りに輪をかけてしまう事もある。
 いまこんな風に文章にして冷静に分析しているが、いざその場になると全くだめで、殆ど反射的に毎回同じやりとりを繰り返している。「わかっちゃいるけどやめられない」という唄もあったが、まあ毎度そんな感じである。この本の著者はイギリス人だったと思うが、イギリスでは、紳士淑女向けに「夫婦げんかのしかた」学校ぐらいあって、「お互いに冷静に夫婦げんかをしよう。」などと考えているかも知れない。

 男女が出会って、お互いに好意を持ってそのうち付き合いはじめて、恋人同士になってやがて結婚する。日本の少子化は深刻だが、結婚しても子どもを作らない夫婦も原因の一つとされるが、そもそも結婚しないでいる独身男女もその原因の一つだろうと思う。ではなぜ独身で居続けるのか?彼らの意見を聞くと「冷静に考えて相手を選ぶと、結婚に踏み切れない。」と返って来るのだそうだ。この本を読むと、なんとなくそれも正しいようにも思える。結婚した男女であろうと、どれだけ愛し合っている間柄であろうとやはり思考を司る脳みそに男女の違いがあるかぎり、お互いがお互いのことを本当に分かり合って行けることは、なかなか難しい。つまりある程度の錯覚と、いいかげんさがないと、相手に対して「愛している」とは言えないし、強い一時的な感情がないと、”長い間一緒に暮らそう”などとは思えないのである。結婚にある程度の希望とか夢を持っている独身男女には気の毒だが、冷静になればなるほど結婚は魅力がなくなるのではないかと考える。結婚して五年以上経過している夫婦に、「もしあなたがプロポーズしたとき、あるいはされたとき、今と同じような冷静さで相手のことを理解していたら、結婚しましたか?」という質問を投げかけるとどういう答えが出るだろうか?

 ただ、長続きする結婚の要素の一つには、”お互いに刺激し合う”というものがある。男女の考え方の違いや、生活してゆく中でのお互いの相手に対する”新たな発見”もある。つまりお互いに最後の最後まで分かり合えないからこそ長続きするとも言えるのである。想像もできない相手の突拍子もない行動や思いがけない出来事を生むためには、相手のことを分らないでいるというキーワードは結構重要かもしれない。相手を完全に理解しきってしまうと、相手に対する興味が無くなるのではないか?一度解き終えたクロスワードパズルを二度とやらないのと同じじだし、ハプニングのない旅行は印象に残らないのと一緒である。

 この手のことがわかりやすくかかれてあるのがこの本である。私はこの本を苦笑しながら読んだ。少なくとも自分の場合殆どこの本にかかれている通りの夫である。うちの奥さんの名誉のために、奥さんがこの本の通りかどうかは言及しないでおく。 男女の相互理解のためにおすすめの一冊である。

「話を聞かない男、地図が読めない女」アラン・ピーズ+バーバラ・ピーズ著/藤井留美訳
 主婦の友社:ISBN4-07-235217-9 \667+税
 購入はイーエスブックスから。左のリンクをクリック!

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JR西日本

2004-09-01 01:21:15 | 
 2004年8月30日。勢力の強い台風16号が九州から四国、近畿地方を直撃した日。その日、夜7時ぐらいまで大阪市内の事務所で仕事をしてJR大阪駅から神戸方面の新快速で帰る時のことである。
 台風16号の影響で少しは列車に遅れが出ているかなぁと大阪駅で電車を待っていたが、予定時刻通りに列車がやって来た。その時の大阪市内はまだ雨も風もそんなに強くなく、”台風の影響はそれほどでもないのか”と列車に乗った。 まもなく芦屋駅に着くかなぁというあたりから影響が出始めた。列車の速度が徐々におそくなり停車した。列車のスピードが落ちてきて、徐行運転になったあたりから車内アナウンスが流されているのだが、これが本当にきめ細かくて、乗客をいらいらさせなくする気の利いたものだった。「先行列車が芦屋駅構内で停車しておりますので、しばらくお待ちください。」「芦屋駅構内に停車していた列車が出発しましたので、もうしばらくお待ちください。」「芦屋駅構内に停車していた列車が出発しました、列車はまもなく芦屋駅に着きます。」などと1分おきぐらいに流されるアナウンスに、いらいらもおこらずにいることができた。

 JR西日本全体でこういうことがやれているのかどうかはわからないが、なかなかすばらしい対応だと感心した。また途中で社内の灯りが消えたときも、「高潮による影響で架線停電になる可能性があります。架線停電になりますと、列車はそこに停止することになります。」というアナウンスが流れたし、またJR明石駅に到着したときも、「ホームに入る際に、ビニールが架線にひかかったもようです。確認のためしばらく停車します。」「パンタグラフにビニール、新聞が引っかかっているようです、作業員が除去を行いますのでしばらくお待ちください。」「パンタグラフからビニールを除去するために、パンタグラフをいったん下げます。社内が暗くなりますのでしばらくご辛抱ください。」「パンタグラフからビニールを除去しました。もうしばらくお待ちください。」といった具合である。これが本当にすべての社員に徹底されていたとしたら、JR西日本すごい!と賞賛できる。

 もしこの車掌さんが台風などによる影響の場合のアナウンスについて事前に勉強していなくて、ここまでのことができたら本当にすごいことである。列車が予定通りに駅に着かない時などに乗客の気持ちを十二分に理解して、お客様に適切なアナウンスを適時に提供できるというのはたいへんなことである。

 サービス業に携わる人の間では、お客様の気持ちになる、お客様の立場になる、というのは良く言われることだが、残念ながらいわれ続けているとおりに皆ちゃんとは出来ていないのである。

 JRの緑の窓口では、まだ"いらっしゃいませ"が笑顔で言えていない職員を見ることも少なくない。これもお客様の立場に立てば、”笑顔で対応する”ことなど本当、普通のことなのだから簡単にできるはずである。よく考えればみどりの窓口では端末操作をするからだろうけど、職員は椅子に座っていて、お客様側がカウンターに立っているというのはいかがなものだろう? りそな銀行では窓口業務担当者をいすに座らせないで仕事をさせたところ、作業効率も良くなって、お客様の待ち時間も減って一石二鳥だという記事が新聞に掲載されていたことを思い出します。

 切符の自動販売機やインターネット予約などいろんなサービスを考えてもらって大変ありがたいし、出張の多い我が身としては大変助かっているのは事実なのだが、やはり駅員は笑顔で接客してもらいたいものである。



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