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どんな役者になりたいか?

2016-02-14 11:42:00 | 芸能
「どんな役者になりたいか?」「どんな芝居がしたいか?」と言う問いかけがあった。


どんな役者になりたいか?
どんな画家になりたいか?
どんなピアニストになりたいか?

それぞれの道を目指している人達の中でも、明確な回答を持っている人がどれだけいるのだろうか?


「人に感動を与えられる役者」というのでもいいのかもしれないが、それって役者としての最低ラインじゃ無いかと思ってしまう。

「〜さんみたいな役者」というのでもいいのかもしれないが、憧れと目標は違うだろうと思う。

テニスの錦織圭君は、ジョコビッチみたいなプレイヤーなりたいと思って最初はやって来たかもしれないが、世界が見えてきたときから、憧れから打ち負かす相手になっていたはず。

名優たちも同じだろう。テレビで視聴率が取れる役者や舞台で看板役者といわれる人達も、もはや「〜さんみたいな役者が目標」なんてことは言わない。

このどんな役者になりたいかと言う問いへの答えがはっきりしないのはそもそも、演劇人や芸能の世界がどう言うものなのかと言うこと自体がわかっていないからかも知れない。

小学生や中学生に「どんな大人になりたいか?」と問うた時と、大学生や社会人一年生に問うた時では答えのリアル感が違うのと同じ。社会に出ると何が求められるのかを知りえない状態で、確固としためざすべき像が見えなくても当たり前だ。

ただ、大学生や社会人一年生あたりに「どんな大人になりたいか?」と尋ねても、つまらない回答しか返ってこない事は想像に難く無い。これはこれで残念で悲しい話である。

毎年プロ野球のドラフト会議が終わってしばらくすると入団記者会見がある。ここでも同じような質問が記者から飛んでくる。

「まずは一軍キャンプ合流」
「1日も早くスタメン」
「ローテーションピッチャー」

さすがに厳しいプロの世界。さらに育成システムがしっかり備わっているから目標も具体的だ。

だが、そういうシステムが存在しない世界ではそうは行かない。

プロ野球よりも、運と人間関係が左右するのが演劇・舞台芸術、役者の世界。その仕事だけで一定のお金を手にできるのは極めて僅かな人たちのみ。

役者の実力があっても必ずしも商業ベースに乗るとは限らない。テレビドラマに出ている人達が必ずしも実力派とは限らない。役者も役者を目指している人達も、その現実を知って、希望を持てず途中で諦める人も多いが、それでもなお、目を輝かせ続ける事が出来る、少なくとも目標とすべき役者像が掴めるまでは、そういう人でありたい。

そして幾つかの舞台を踏み、経験を経てから演技の難しさ、芝居の奥深さ、舞台芸術を少しは理解してから、どう言う役者でありたいかを語ればいいのでは無いだろうか?

ただし、この事はずっと意識しておいたほうがいい。自分自身の役者としての航路を見失わないためには必要なのは間違いないのだから。