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18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

ペット自慢

2005-03-05 03:30:56 | ファミリー
上の写真は、最近の写真。しっかり大人の顔で、家に来て間もない頃のリボン嬢のかわいさは見る影もない・・・。あのころは、敏捷でしたが・・・。

 けっして自慢出来るものではないが、ブログのタイトルにしているとおり、家にはリボンというアメリカンショートヘアの猫がいる。

 家に来てからもう2年以上になるが、飼い始めの超愛くるしいすがたはどこへやら、いまはしっかり肥満ネコになっている。2004年8月ごろのブログにまだ可愛いころの写真もあるので今回の写真と見比べてもらえれば分かると思うが、しっかり貫禄がついている。
 
 しかし、とはいうものの、図太いわけではなく、本人はまだ可愛い頃のつもりでいるようでやることはまだふてぶてしくはない。宮崎駿のアニメでタイトルは忘れたが、白いブタネコが登場するがうちのリボンもそのうちそうなるのかなぁと期待(?)半分である。

 こんな猫ではあるが、やはり自分のペットはひいき目にみてしまうもので、TVCMでアメリカンショートヘアを見つけると、ついついかわいさ比較をしてしまう。もちろん、たいていは家の猫の方が可愛いという話で家族の意見は一致するのだが・・・。





親も学習

2005-02-27 19:13:56 | ファミリー
 小学生、中学生、高校生と人は成長してゆくなかで、人はいろんな”自律”を学んでゆく。遅刻しないとか、忘れ物をしないとか、どんな人でもそのうちきちんとできるようになるはずである。

 うちの子も忘れ物がなかなか治らない。母親からこっぴどくしかられてもやはり忘れ物をしてしまう。気の緩みなのか、何なのかよくわからないが親としては何とかしたいと思うものだ。

 今日、たまたまコートをどこかに忘れてきたことが話題になった。おそらく休みに通っているスポーツクラブに置き忘れてきたのだろうということになり、電話して確認するか、取りに行くかという話になった。

 いままでならば、車でみんなでとりに行ってたのだが、今日ばっかりは母親も堪忍袋の緒がきれていたのか、「自分で電車のって探してらっしゃい!」とまあ、いままで一人で電車に乗せたことがない子供に電車賃だけ渡して探しに行かせた。

 結果としては、コートは見つかり、子供は無事帰ってきたのだが、はてさて今回の経験がうちの子にどれだけ「身にしみる」経験になったのかはまだわからない。当の本人はいたってのんきでマイペースなので、またこれに懲りずに忘れ物をしてくれるのだろうが、親としては、今回のことで少しは身にしみて忘れ物に気をつけるようになってくれることをただただ祈るだけである。

 よくよく考えてみれば、いままで結構甘かったのかなぁと反省である。忘れ物をしても親が一緒に捜したり、取りにいったりしていたのだから。今回のことで親の対応も少しは勉強できたのかもしれない。




親子で一緒に

2004-11-30 01:39:50 | ファミリー
 最近まで、ゴルフのレッスンに仕方なく通っていたが、この11月で一区切り終えたのでレッスンは終了することにした。仕方なくと書いたのは、正直なところ、あまり進んでやりたいと思えるモノではないからなのだが、いわゆる”付合い”でのゴルフの為に少しでも周りに迷惑をかけないようにするためである。ほとほと消極的な理由だが、まあそういうこともある。

 一方で、子どもたちがテニスを習いたいと言い出した。本気なのかどうか最初は半信半疑だったが、習い始めて一ヶ月が経とうとしているいまは、子どもたちも一所懸命だ。それに乗せられた分けではないが、練習に付き合ううちにだんだんと熱が入って、市のテニスコートを借りて練習したりしている。

 そこで気が付いたのは、同じスポーツ競技の練習でも、子どもたちとやると本当に時間が過ぎるのを忘れるし、楽しいものだなあということだ。親子で楽しめるスポーツといえば、我が家ではスキーなのだが、冬しか楽しめない。 もうすこし子どもたちがテニスが上手くなれば、キャンプ場や国民宿舎などでコートを借りて楽しめる。

 親子の会話は年々減っているという。しかも子どもが思春期を迎えるあたりから極端に会話が減るが、スポーツを家族で楽しむ環境があると、会話も補えるし、会話以外の家族一体感を感じることができるので、精神の成長には欠かせないのではないかと思える。

 親子でのスポーツ。何でもいいから一緒にやることから始めては如何だろうか。



おいしいよ、どうぞ

2004-11-25 22:35:56 | ファミリー
新大阪駅で電車を待つためにCAFEに入った。その時に目にしたポスターに、「召し上がれ最後までおいしいヨ!」と書いてあったのを目にして、ふと母親のことを思い出した。
まだ他界しているわけではないが、訳あってずっと会ってはいない。その母が手作りの佃煮だか漬け物だかを密封容器にいれて食卓にだしていたが、その密封容器に油性ペンで書かれていたのが、「おいしいよ、どうぞ!」という一言だった。母はいったいどんな気持ちで、その一言を書いたのだろうか。丁度そのころは生意気盛りで、おそらく自分が二十歳前後だったのではないかとおもう。親の加護の中にあることなんてみじんも感じることなく、雨をしのげる家と、眠る為の布団がちゃんとあって、母親が料理をつくって待っている。それを何の疑問もなく、いやそれどころか時には親の存在をうっとうしく思いながら毎日を過ごしていた時期である。

子どものそんな生意気ぶりに、どんな気持ちでいたのだろうか?「おいしいよ、どうぞ!」には子どもとの会話の乏しさに対する思いはなかったのだろうか?そう考えると、もっともっと優しい気持ちで接していればよかったと胸を締め付けられる思いがする。ひとに言えた義理ではないが、人間はどこかで素直さを学んで、それを一番身近な人に表わさなければならないと思う。いまでもそれがなかなか出来ないでいる。家内に対しても、父や母に対しても。

自分の心にもうひとつ余裕が無かったのかも知れない。仕事をしっかりやって、家庭をちゃんともっているのだけれども、どこか殺伐としている部分が心のすみっこにあるのだろう。またどこか自分自身がまだまだ大人になりきってないのだろう。いつの日か素直に、「あのときはごめんね」、「あのときはありがとう」と言えるようになりたい。遅すぎることがないうちに。




料理を作る

2004-10-05 00:37:50 | ファミリー
少し前の話になるが、子どもの夏休みの課題の一つに、何か料理を一つ作るというものがあった。うちの子どもが挑戦したのは、ポテトグラタン。料理そのものは至って簡単だったが、本人曰く、「じゃがいもを切るのが難しかった。」とのこと。まあそれなりに出来たのでよかったが。さて、料理を作ることが何故課題になるのだろうかと考えてみると、いやあ、結構いろんな意味があるのである。

まずは、”刃物を持つ”こと。普段はできるだけ触れることを避ける存在だが、注意深く使う道具に触れることは、大きい。
また、”堅さを知る”ことも大きい。初めてジャガイモを包丁で切るという経験を通じて、ほんものの野菜の”堅さ”を知る。
さらには、”作る過程”を経験すること。普段ならば、いつもできあがりしか目の当たりにしない料理だが、自ら動いて”作る為の手順”を実体験を持って知ることは大きな意味がある。
最後に、"作った人の気持ちになる”ことができる。これはもしかしたら一番大切なのかも知れない。料理は”お母さん”、あるいは"お父さん”が作ってくれるモノ。自分たちは食べるだけ。なんていう感覚から、自ら作る立場になるから、どうしても、周囲の人に味わってもらって、"感想”を聴きたくなるものだ。そういうことを通じて、料理を作った人の立場になって考えることや、作ってくれた人に対する感謝の気持ちをもてるとしたら大変な教育効果である。
あとは、”食べ物を大切にする”だとか、"作る工夫を知る”だとかが考えられる。

なんと、こう考えると、家で料理を作ってみるというのは、子どもに対して大変教育効果があるものだと分る。もちろん周囲にきちんと指導してくれる大人が居ないと困るのだが。

男の子だから料理を作らなくても構わないというのは、あまりにも古すぎる考え方だ。前述のような料理効果があるのだから、男子女子区別なく、しっかり体験して考える機会を作って上げることをオススメする。よく考えたら、親子で楽しめて、お金がかからず、というメリットの高い"料理作り”は、教育に非常に良い存在である。