Lucky☆Sardonyx

ばるご☆の戯言ブログです(^^)

六文銭☆

2007-07-16 01:12:37 | 歴史
やはり奇蹟は起こらなかった久々に「カラダの気持ち」を観ていたら風神さんからご丁寧にもメールと携帯で中止のご連絡某チャンでは酷評されていましたが、まったくそんなことありませんゾ
残念ですが、相手が天候じゃ仕方がないです。。まっ、そのお陰で根本さんと優木さん拝めたのですから良しとしませんとそれにしても優しく癒される根本さんも良いですが、利発に美しい優木さんも素敵です毎週共演出来る三宅さんが羨ましいゾ

んで、今日は自宅で歴史書を読み漁っていました最近、戦国・真田氏の研究にはまってます赤備えと十勇士で有名な幸村もいいんですが、僕が好んで調べているのはその「氏」としての出自です。清和天皇の皇子・貞秀親王(盲目)が始祖であったとか、出身地が官牧(天皇家の所領)だったことからその管轄者である古代の名族・大伴氏であったとか…大方、現地の土豪といったところなんでしょうが、それっぽく「箔」を付けたがるわけですよ

信濃のほんのいち領主に過ぎない真田氏が武田信玄の抜擢によりメジャーデビュー、その後多くの名臣達が長篠の露と消える中で強かに生き延び(とはいえ、昌幸の長兄と次兄は当戦で討死)野望の権化・徳川家康を攻城戦にて三度も打ち破り、そのことが結果的に「天下」に於いての大牽制へと繋がったわけです。家康は真田氏の為に天下取りへの時間を少なくとも10年は浪費したわけで、それを思うと家康はよくもまぁ長生きしたモンだなぁ~と…権力を欲する恐ろしいまでの執念だ(苦笑)
そして真田の戦いの終焉(大阪の陣)と共に、長き戦国の世も終りを告げたのであります

但し真田の大名家は昌幸の嫡男・信之の系統で存続(信州上田→松代)、終生反逆(?)し続けた昌幸・幸村父子とは対照的に江戸時代を通じて譜代扱の大名として老中等要職も歴任しました。この辺のところがまた、歴史の示す人の関わりの深さというか面白いところですね

明日も調べ事に励み(笑)撮影会への参加は週末まで我慢します

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