Lucky☆Sardonyx

ばるご☆の戯言ブログです(^^)

発見!

2007-07-18 01:04:27 | 歴史
足利 義辰(あしかが よしたつ、生没年不詳)は、室町幕府第13代将軍足利義輝の子。 通称は左近。尾池玄蕃と称した後、道鑑と号す。

父の足利義輝が三好長慶によって京を追われ、近江朽木谷に潜伏しているときに生まれた。1565年(永禄8年)に義輝が松永久秀と三好三人衆によって暗殺されると、浅井家に身を隠す。浅井家滅亡後は、徳川家康の下で育つ。関ヶ原の合戦以降は、讃岐生駒家の庇護を受ける。熊本藩主細川忠利(細川藤孝の孫)は義辰を召し抱えようとしたが、生駒家の世話になっていることを理由に断り代わりに子の西山至之を仕えさせたとも熊本に赴いたともいわれる。

その後、西山家は熊本藩で比着座同列定席の家格として存続し、明治に至る。

いや~、足利将軍宗家の嫡流が意外な形で生き残っていたモンですいままで足利宗家に一番近い血統は境幕府からの阿波(徳島)平島公方かと思っていたんですが、13代将軍の血統が続いていたとは…それも、細川家や徳川家康も関わっていたというのはなかなか興味深い話であります。

将軍のご落胤みたいのは幾らでもあるんでしょうが…11代以降の将軍は京を追われ流浪してたのが多いから有り得ない話じゃありません。将軍位が安定していた頃、将軍世子たる嫡男以外は僧籍に入れられてた時代に比べると、逆に逞しささえ感じます。西山家は熊本かぁ…やはり貴種流浪伝説は九州に多いですね。

まだまだ勉強し甲斐がありますナ…更に頑張らねば

最新の画像もっと見る

コメントを投稿