フランスの新大統領となる「フランソワ・オーランド」は、日本を重視してくれるらしい。
そして、彼等フランス共和国にとって、日本は「民主主義や人権擁護等が保証されている国」らしい。
どうしよう。
面映いったら、有りゃしない。
「オーランドさん、それはあなた方の壮大なる勘違いですよ!」
▶<仏オランド新政権>日本重視へ政策転換(毎日/見出し)
>6日のフランス大統領選で17年ぶりの政権交代を実現した社会党のフランソワ・オランド前第1書記の陣営が政治、経済の両面で対日関係重視をうたった報告書を作成していたことが分かった。サルコジ大統領の中国偏重路線とは一線を画する内容で、新大統領の外交政策に影響を与えるとみられる。新政権が東アジア外交の軸足を中国から日本に移せば、中国の軍事力拡大を警戒する日本にとって「援軍」になりそうだ。
世界に友人の居ない日本にとって、何ともはや有り難い事でございます。
>◇中国偏重批判の報告書
>「岐路の日本:信頼関係の再構築」と題された報告書は計11ページ。社会党がオランド政権発足に備え、選挙前、仏国内の研究者に委託して作成した。報告書は「経済、戦略の両面で世界の未来を左右する地域」としてアジアを重視、特に日本を「アジアにおける最初の現代民主国家」「フランスの無視できないパートナー」と位置づけている。
いやはや、面映い事ではございます。
「アジアにおける最初の現代民主国家」とまで、勘違いして下さるなんて。
>報告書は、サルコジ政権時代に起きた日本の政権交代についてフランスが「ほとんど注意を払わず、中国しか見ていなかった」と批判した。その上で、「左派政権は民主主義や人権の擁護などの価値観を再認識すべきだ」「そうした価値観は中国よりも日本で保証されているのではないか」と指摘している。
ニコラ・サルコジーは、親米新自由主義者で、競争原理の信奉者であった。
で有る以上、彼の視線は「ヨーロッパを代表して」アメリカの方を向いていたのだ。
これまでも、これからもずっとそうである様に、「対等なパートナー」と信じてアメリカと関係を築いて来た。
ただ、これまではアメリカに対し「ノン」と言うべき所で、サルコジーは「ウイ」と言いながら。
そのような、対等な立場での親米主義者にとって、対米隷属国家たる日本など、視界に入る対象では無かった、という訳である。
相手にする必要なし。
それより、5千年の歴史を持ち、有る時期世界の半分を支配して、古代ギリシアからローマの時代に、地球の反対側で「同じ程高度な文明」を築いていた『中国』こそが、<大国同盟米仏>にとっては、敬意を払うべき対象であったのだ。
ただ、現在既に「経済大国」の仲間入りした中国は、当然その経済力を楯に「軍事大国」へと舵を切り、国際政治の重用な「政治大国」になりつつ有る事は、誰しも反論する余地は無い所である。
唯一の中国の「瑕疵」は、『民主主義』に根ざす国体では無い事、である。
そして、一党独裁の専制国家である中国の、唯一の弱点である「人権問題」を梃として、対中国戦略は組み立てられて来たと言っても、言い過ぎでは無い。
<人権が無視されている国家>とは、元来相容れないヨーロッパである。
その点で、経済的理由だけで中国に「一辺倒」に寄り添えない、もどかしさを覚える。
その点に目をつぶって、一気に親中国に走ると、世論が反対に回りかねないのだ。
その点で、やはり「ニッポン」は違う。
ニッポンは、近代以後「独自」の高い文化を築き、精神性は欧米が足許にも及ばない「深さ」を持った国であった。
その事には、フランスはかなり早い時期から、気がついていた。
フランスは、17世紀後半「ヨーロッパ」の全てが手本とする高い文化を築いた。
そういう民族であれば、「他の」高いレベルの文化に、いち早く注目出来る。
そして、それを尊重する懐の深さが有る。
現代世界に於いて、中国が精神的文化の高度さを失って以後、日本への注目度は高まるのみであったのだ。
「中華人民共和国」を、西欧諸国で真っ先に「承認」したのがフランスであった。
そして、日本の文化を深くいち早く理解し、積極的に評価したのも、フランスであった。
「左派政権は民主主義や人権の擁護などの価値観を再認識すべきだ」
「そうした価値観は中国よりも日本で保証されているのではないか」
そういう背景で、フランスがこのように『今の日本』を評価しているという事は、<時代遅れの認識>なのか、<買いかぶり>なのか、すこぶる居心地の悪い事では有る。
何しろ、昨今の日本には「法治」思想が欠落している。
官僚も、政治家も、財界も、自分達の利益に確保と、アメリカの顔色を伺う事だけに奔走して、国民は完全に蔑ろにされている、なんて事を「知ってか」「知らずか」、日本を過大評価してくれる事に、どう対応すれば良いのか、多いに悩む所である。
>対日連携を強化する政治分野として、国連安保理改革、北朝鮮の核問題、気候変動、エネルギー安全保障、アフリカ支援などを挙げている。具体的には(1)北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議への欧州連合(EU)のオブザーバー参加(2)中国とは異なるアフリカ開発支援の提供での日仏協力--を提唱している
サルコジーも、日本の「国連安保理」入りを支持すると表明していた。
だがしかし。
それはあくまで「外交辞令」。
何しろ「口先大統領」のこと故、彼の薄ら笑いの表情の奥の、笑ってない冷たい瞳に、十分配慮する必要が有りました。
>経済面では東日本大震災復興事業への仏企業の参加促進を視野に対話強化を提唱。また、日本がEUとの経済連携協定(EPA)よりも、米国主導の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に前向きになれば「米勢力圏により深く組み込まれ、欧州企業に不利になる」と指摘、EPA交渉で「仏国益を計算するよう」促している。
外交戦略とは、兵器を用いない戦争の戦略である。
友好国と言えども、決して「滅私奉公」する相手では無い。
自国乗り英気反する場合は、当然に事ながら「切り捨てる」のが当たり前。
特に、ヨーロッパはアメリカ一極の世界体制を構築されない為にも、「友好国」といえども、アメリカに肩入れする事が明らかになれば、友好関係は消滅する。
消滅は大げさだろうが、少なくともソコ関係は「変質」するのだ。
PTTに、日本が「積極参加」する気配を見せるのであれば、欧州として日本を引き止めるか、行かせてしまうかは、駆け引きが複雑にならざるを得ないのだ。
>サルコジ大統領は内相時代、知日派だったライバルのシラク前大統領への対抗心から「相撲は知的スポーツではない」と発言、大統領在任中も中国偏重姿勢が目立った。任期中、中国訪問6回に対し、訪日は2回だけ。2月に社会党特使として訪日したファビウス元首相に同行したロイック・エヌキン元駐日大使は毎日新聞の取材に「サルコジ政権時代、日本は無視されていた。オランド氏は以前の緊密な仏日関係に戻すだろう」と述べた。
さて、いかがな事に相成るか…。
ただ、ニコラ・サルコジーは、フランスの基準から言っても「特殊」な人間であった。
その彼の後を、「社会主義者」の大統領が継げば、流れが変わるであろう事は、議論の余地は無かろうと思われる。
後は、日本側がフランスの期待に添う事が出来るか否か、に掛かっている。
>◇オランド陣営の報告書骨子◇
・民主主義や人権の擁護などの価値観を再認識すべきだ。
・そうした価値観は中国よりも日本で保証されている。
・国連安保理改革、核不拡散、気候変動、エネルギー安全保障などで日本と利益が共通している。
・北朝鮮の核問題などで共通の取り組みを追求すべきだ。
・東北復興の枠組みで対話を強化すべきだ。
・日EU・EPA交渉では市場開放圧力の維持と同時に、TPPとの関係で仏国益を計算すべきだ。
【毎日新聞/5月11日(金)2時30分配信】
日本では、この3年間『小沢一郎』と言うたった一人の政治家を潰す為に、熾烈な戦いが続けられている。
明治維新以来、営々と続けられて来た「官僚主導」の日本野政治風土を、根本から変えようとした小沢一郎は、満身創痍の状態で、政治の表舞台から閉め出されて来た。
2008年。
小沢一郎の主導により、政権交代がなされようとしていた。
彼は、責任を取らない官僚による政治の決定では無く、選挙によって国民より付託を受けた政治家が決定する「政治主導」を唱えた。
官僚が、政策立案に参加する事を否定した。
「予算の総組み替え」を唱えた。
官僚による、官僚の為の「予算編成」を閉め出そうとした。
官僚の省益に添った、そして退官後の恵まれた豊かな老後の為の、予算と言う名の「税金」を自由気ままにお手盛りで配分し、特別会計でタップリ貯め込み、特別法人で予算の中抜きをし、天下り、巨額の報酬を与えるシステムを、否定した。
『国民の生活が第一』と唱えた。
報道機関の、紙メディアと電波メディアの両方を、同じ資本が所有する「クロスオーナーシップ」を否定した。
「対米対等外交と、駐留米軍の撤退」を示唆した。
当然、官僚達は大恐慌をきたした。
マスコミ各社も、大恐慌をきたした。
特別法人の配分の元にパイを分け合って、対米一辺倒で経営してきた「経団連」配下の大企業も、恐慌を来した。
そして、とうぜん日米関係の間で散々甘い汁を吸って来た、アメリカの対日ロビーの政治家や、米国元政治家、米国官僚達、米国元官僚達と、米国主導の国際企業も、慌てた。
その「小沢への反感」は、65年間政権の座に胡座をかいて、上記のシステムを築き上げて来た政権を、失いかかっていた「自由民主党」の恐慌と、利害が一致した。
麻生内閣の法務大臣『森英介』が、法務官僚を動かして「こっそり」指揮権を発動し、「小沢潰し」の指令を出した。
功にはやった「東京地検特捜部」が、小沢逮捕のシナリオを書いた。
官僚制度の根底を否定する小沢には、官僚の最強舞台「検察」が立ち向かって、潰してやろうじゃないか。
時の検事総長『樋渡利秋』
時の最高検検事『大鶴基成』
時の最高検次長検事『伊藤鉄男』
時の東京地検検事正『岩村修二』
時の東京地検次席検事『谷川恒太』
時の東京地検特捜部長『佐久間達哉』
これらの者共が、「結論有りき」の小沢潰しの張本人達である。
小沢が、秘書達の寮を立てるべく「土地」を購入し、四億円の個人資金を担保に「銀行融資」を受けていた。
このカネを、検察は「賄賂である」と決めつけて、最高捜査機関の総ての人的物質的資金的可能性をつぎ込んで捜査をした結果、小沢一郎の「どこにも」違法性は見つけ出せなかった。
4億円という金額だけが一人歩きした。
マスコミのキャンペーンのお陰である。
結局、農地であった土地を購入して金を支払った日と、宅地に変更手続きをして「登記を完了」した日の間に、四ヶ月の時間がかかった。
小沢の秘書達は、政治資金収支報告所に、登記完了の日時で記入した。
その間に年度が替わっていた。
ここに検察は目をつけ、収支報告所の記載に虚偽が有る、と断定した。
通常ならば、個人資産を担保に銀行から融資を受けて、土地購入をした事は、政治資金規正法の収支報告の義務すら無い事であった。
通常記載の「来ズレ」は、指摘された時点で訂正すれば済む、どこにも違法性の無いと事象であったにも拘らず、これを「ウソを記入した」と事件にしてしまった。
そして、四億円の個人資金が、「西松建設」からの賄賂であったと決めつけて、秘書を逮捕した。
「ウソに記入」に小沢本人が加担していた、という事をでっち上げて、小沢を『共謀容疑』で起訴しようと試みた。
どこからも証拠が見つけられず、不起訴にせざるを得なかった。
「市民団体」を自称する有る一人の男によって、異議申し立てがなされ、
ソコから先は、『検察審査会』という怪しげな組織を使って、「不起訴不当」の決議。
再捜査でまたもや不起訴。
再度の「審査会」による「不起訴不当」決議。
再度の不起訴に対して『起訴相当』との決議を引き出しての「強制起訴」となった訳だ。
その『検察審査会』の在り方が、はなはだ不透明で、実際に審査会が招集されたのかどうかも疑わしい事態に発展している。
その間に、秘書達の裁判の過程で、検察側の取り調べに甚だしい違法性があった事が判明。
調書の捏造まで判明した。
石川智宏元秘書が、取り調べを録音していた事によって、違法取り調べの実体が明らかになり、調書の捏造も明らかとなった。
にも拘らず、登石判事は「…と思われる」「…と推測される」という想像を列挙した挙げ句に、『推認による有罪』と言う判決を出してしまった。
法治国家で、法によらず、証拠も無く、疑う余地のない無実の「被告人」に対して、『想像=願望』により有罪判決を出す裁判所。
そんな国が、「法治国家」等と呼べない事は、火を見るより明らかである。
そんな国が「人権を保障」している民主国家等では無い事も、火を見るより明らかである。
そして、肝心の小沢の裁判で「強制起訴」の根拠となった、検察側証拠としての「供述調書」が捏造であった事が、秘書の裁判で明らかになった事により、大半が「証拠採用」を判事によって拒否される始末であった。
しかも。
検察審をもってして「強制起訴」に踏み切らせた『検察審査会』へ、捏造取り調べ書を提出し、小沢が無実である事を示唆する調書は一切提出せず、「強制起訴」に持ち込んだ事も、判明した。
結果は素人が考えても明らかである。
小沢一郎に、起訴される様な犯罪行為等全く存在すらしていない。
当然「無罪判決」が出された。
その間の2年半に及ぶ捜査と裁判の間の「マスコミ」の報道は、筆舌に尽くされない程酷い物であった。
新聞テレビ総力をあげて、小沢を悪人扱いし、国民を恣意的に誘導し、小沢悪人感情を徹底的に刷り込み続けた。
国会議員すら「政治責任」等と吹いて、「説明責任」を言いつのる。
無実の者が「無実の罪」で訴えられている時、訴えられている当人が「無実の証明」をしなければならないのでは無い。
訴える側が、有罪である事を証明しなればならない。
これが、近代社会の裁判の概念である。
それを、無実を叫び続けている方に、「罪が無いなら証明しろ」と、検察も裁判所も、マスコミも、国会議員達も、洗脳された国民もが言いつのる。
国家を挙げての集団リンチである。
こんな国の、どこが「人権擁護や民主主義の概念」が徹底している国家だと、言えるのだろうか。
先進国と言われる国々では、ジャーナリスムは、マスコミであれミニコミであれ、権力に抵抗し、権力を批判する事が存在意義であると、認識されている。
しかるに、北朝鮮かかってのソヴィエと連邦と大差ない日本は、全マスコミが揃って「権力」の提灯持ちの役割を積極的に推進し、国民の目を「権力の悪」から剃らせる事に腐心している。
知識人と呼ばれる人々、有識者と呼ばれる人々、コメンテーター、解説委員、テレビで喋っている99%は「真実」を語らない。
語れないのか。
語らないのか。
一連の事実の流れの、小沢一郎の失脚だけを目的とした「検察」と「裁判所」との、味方をするばかり。
それで、大金を稼げるから本人はご満足なのだろうが、そのような「非民主的」で「反法治国家的」な国家が、欧米先進国に有るだろうか。
原発事故の後始末の事も、全く同じ事である。
国民に、「大切な真実」は決して伝えない。
そして、国民の生命財産を守る立場に立つ事は、決して無い。
常に、例外無く、権力の提灯持ちの立場を変えようとはしない。
マスコミの当人達も「国民」である事を、彼等は忘れている。
というより、自分達は選民だと信じているらしい。
日本のマスコミの姿は、世界的基準に照らして見れば、限りなく異様で、際限なく醜い。
民主国家には、ジャーナリスムが発達する。
独裁的権力者の国でも、ジャーナリスムが発達する。
報道機関は、国民の側に経って、国民の利益の為に、権力に立ち向かう。
ジャーナリスムが存在せず、マスコミが権力の走狗の地位に安住するのは、低開発国の中で、極めて国民がノー天気な国だけであろう。
例えば、日本の様な。
ツイッターのタイムラインから拾った、幾つかの「呟き」を掲載したい。
@kaishin2008
小沢さんを叩いて正義の味方を気取る検察、しかし、証拠をでっちあげた時点で負けている。しかし、マスコミは権力のそうした姿勢、行為には逆らわない。なぜならマスコミも嘘の報道、印象操作、でっちあげ報道をしてきた張本人だからだ。そうした司法とマスコミの歪んだ癒着はNetが気づき指摘する。
@satoto_m
判決の朝も木曜日で松尾貴史さん出ていました。その時も「誰が見ても検察がおかしいでしょ?捏造した報告書で訳わかんない検察審査会…」てな感じでした。 “@makoto_bushidou: 降板させられないか心配しました。
@gyalaxy_ichijp
今日の夕方に会社でニュースを見ていて驚いた。関電の「大飯原発が再稼動出来ればかなりの電力不足を補える」という内容。目が点で動きが止まってしまった・・・(-_-;) 周りの人に教えたら「またはじまった・・・」だって。いい加減ウンザリ感が強く、呆れられているという感じだった。
@igabin
指定弁護士は控訴した場合の税金の無駄つかいがどれくらいになるのか知っているのだろうか? それは誰が負担するのか? 我々納税者の負担になる。 考えただけでも情け無い。
@todamanabu
先日、永田町「黒澤」(あの、黒澤明に関係したしゃぶしゃぶ店。外観は「用心棒」のセットを模写。美術監督・村木与四郎)で、野田佳彦が、星浩、岩見隆夫、橋本五郎という薄汚い面々と会合。当然、小沢バッシングキャンペーン申し込みと相談も容易に予想される。
@tokunqgqmichio三年間の小沢問題で「小沢さんも、小沢さんを支持する人も、そして検察も皆んな被害をこうむった。」というような三方一両損みたいな話ではない。三年前に政権交代に託した国民の夢が見事に潰されたのである。あまりにも代償は大きかった。。しかも、最大の確信犯であるメディアは無傷だ。
@hasegawa24外から見ていると「指定弁護士による控訴」という仕組み自体に違和感を感じる。正統性に大きな疑問がある。主役は素人集団の検審ではなかったのか。法律のプロはどう考えるのか。
こういう訳の分からない制度が重要政治家について、ろくな説明もないまま運用されると、この国は「暗黒国家」という印象が広がりかねない。指定弁護士など裁判関係者はもちろん司法関係者はしっかり国民に説明すべきだ。少なくとも、私には訳が分からない。
おまけに、この裁判では検察のデタラメ調書もあきらかになった。デタラメ調書の問題が問われず、正統性に疑問がある裁判が続くのか。それでは裁判自体がデタラメと言われても、しょうがない
@sanahi
NHK9:指定弁護士による控訴の報。記者会見で控訴の理由として無罪判決とした判決文の中に無罪の証拠が示されていないと語る。この人達は本当にまっとうな法律家なのか?刑事裁判の中での挙証責任は検察にある。訴因に対する証明が完璧になされているか判断するのが裁判官。証明が不十分だっただけ
@Vins_T
小沢氏絡みで「三審制」という言葉が散見される。でもこれは本質的に、憲法で保障されている「刑事被告人が公平な裁判を受ける権利」を具体化するために採用されている制度であって、「疑念が完全に払拭されるまで、起訴側が粘っていい」という制度ではないのではないか。
@Inakamon
顔の見えない何者かが申立て、姿のない検審により強制起訴され、結果、無罪となった。断念を伝えられた指定弁護士が、今日になって突然「控訴」を表明した。「控訴理由はあとで検討してから..」だという。ここにも目に見えない力が働いている。この裁判「見えないずくし」だ。ワケわかんね~
@itsunori510 (小野寺 五典)
小沢裁判への控訴がなされました。ただ、今回の控訴には疑問が残ります。裁判過程をみても控訴審では無罪が濃厚です。いたずらに審議を長引かせ、選挙でえらばれた議員の活動をさまたげるのは議会制民主主義を否定するものではないでしょうか?
@kiitkoro
執拗な小沢政治の封じ込めは、武器無き戦争そのものである。権益族がスポンサーであるテレビ大手マスコミ報道の中、生活に追われ小沢問題どころではない一般庶民を巧に洗脳し、作為による小沢悪世論を確立。世論頼りの無謀な戦は戦争を賛美した極悪財閥新聞再来!決起を!
@tokunagamichioNHK大越をはじめ各テレビメディアは、あくまでも民主党の挙党一致の為の小沢一郎元代表の党員資格停止解除と表面ばかりを報道している。検察の捏造報告書の件も、そもそも裁判自体が無効ではないかという事に論調するテレビ報道はない。あまりにも世の中でまかり通っている事が酷すぎる。。
新生フランスは、日本を尊重してくれるらしい。
ただ、日本の方が、そのフランスの発想に答えるレベルに無い事が、悲しい限りである。
まあ、しかし。
読者の皆様、ご安心あれ。
たかだか11ページの「レポート」など、新大統領の外交政策に何らかの影響力を持つ程の存在では有りません。
せいぜい、新大統領の与党としての「社会党」の、仕事始めに先立って、ほんの少し「ウォーミング・アップ」を、やってみた程度の事なのです。
現実の外交方針にとって、殆ど何程の正式な存在でもありません。
こんなレポートの存在等、日本でしかニュースにはなりません。
まあ、せいぜい「国民をナメキって」好き勝手な事をやってるが良いでしょう。
「アッシには、何ら関係のない事でござんす…」
そして、彼等フランス共和国にとって、日本は「民主主義や人権擁護等が保証されている国」らしい。
どうしよう。
面映いったら、有りゃしない。
「オーランドさん、それはあなた方の壮大なる勘違いですよ!」
▶<仏オランド新政権>日本重視へ政策転換(毎日/見出し)
>6日のフランス大統領選で17年ぶりの政権交代を実現した社会党のフランソワ・オランド前第1書記の陣営が政治、経済の両面で対日関係重視をうたった報告書を作成していたことが分かった。サルコジ大統領の中国偏重路線とは一線を画する内容で、新大統領の外交政策に影響を与えるとみられる。新政権が東アジア外交の軸足を中国から日本に移せば、中国の軍事力拡大を警戒する日本にとって「援軍」になりそうだ。
世界に友人の居ない日本にとって、何ともはや有り難い事でございます。
>◇中国偏重批判の報告書
>「岐路の日本:信頼関係の再構築」と題された報告書は計11ページ。社会党がオランド政権発足に備え、選挙前、仏国内の研究者に委託して作成した。報告書は「経済、戦略の両面で世界の未来を左右する地域」としてアジアを重視、特に日本を「アジアにおける最初の現代民主国家」「フランスの無視できないパートナー」と位置づけている。
いやはや、面映い事ではございます。
「アジアにおける最初の現代民主国家」とまで、勘違いして下さるなんて。
>報告書は、サルコジ政権時代に起きた日本の政権交代についてフランスが「ほとんど注意を払わず、中国しか見ていなかった」と批判した。その上で、「左派政権は民主主義や人権の擁護などの価値観を再認識すべきだ」「そうした価値観は中国よりも日本で保証されているのではないか」と指摘している。
ニコラ・サルコジーは、親米新自由主義者で、競争原理の信奉者であった。
で有る以上、彼の視線は「ヨーロッパを代表して」アメリカの方を向いていたのだ。
これまでも、これからもずっとそうである様に、「対等なパートナー」と信じてアメリカと関係を築いて来た。
ただ、これまではアメリカに対し「ノン」と言うべき所で、サルコジーは「ウイ」と言いながら。
そのような、対等な立場での親米主義者にとって、対米隷属国家たる日本など、視界に入る対象では無かった、という訳である。
相手にする必要なし。
それより、5千年の歴史を持ち、有る時期世界の半分を支配して、古代ギリシアからローマの時代に、地球の反対側で「同じ程高度な文明」を築いていた『中国』こそが、<大国同盟米仏>にとっては、敬意を払うべき対象であったのだ。
ただ、現在既に「経済大国」の仲間入りした中国は、当然その経済力を楯に「軍事大国」へと舵を切り、国際政治の重用な「政治大国」になりつつ有る事は、誰しも反論する余地は無い所である。
唯一の中国の「瑕疵」は、『民主主義』に根ざす国体では無い事、である。
そして、一党独裁の専制国家である中国の、唯一の弱点である「人権問題」を梃として、対中国戦略は組み立てられて来たと言っても、言い過ぎでは無い。
<人権が無視されている国家>とは、元来相容れないヨーロッパである。
その点で、経済的理由だけで中国に「一辺倒」に寄り添えない、もどかしさを覚える。
その点に目をつぶって、一気に親中国に走ると、世論が反対に回りかねないのだ。
その点で、やはり「ニッポン」は違う。
ニッポンは、近代以後「独自」の高い文化を築き、精神性は欧米が足許にも及ばない「深さ」を持った国であった。
その事には、フランスはかなり早い時期から、気がついていた。
フランスは、17世紀後半「ヨーロッパ」の全てが手本とする高い文化を築いた。
そういう民族であれば、「他の」高いレベルの文化に、いち早く注目出来る。
そして、それを尊重する懐の深さが有る。
現代世界に於いて、中国が精神的文化の高度さを失って以後、日本への注目度は高まるのみであったのだ。
「中華人民共和国」を、西欧諸国で真っ先に「承認」したのがフランスであった。
そして、日本の文化を深くいち早く理解し、積極的に評価したのも、フランスであった。
「左派政権は民主主義や人権の擁護などの価値観を再認識すべきだ」
「そうした価値観は中国よりも日本で保証されているのではないか」
そういう背景で、フランスがこのように『今の日本』を評価しているという事は、<時代遅れの認識>なのか、<買いかぶり>なのか、すこぶる居心地の悪い事では有る。
何しろ、昨今の日本には「法治」思想が欠落している。
官僚も、政治家も、財界も、自分達の利益に確保と、アメリカの顔色を伺う事だけに奔走して、国民は完全に蔑ろにされている、なんて事を「知ってか」「知らずか」、日本を過大評価してくれる事に、どう対応すれば良いのか、多いに悩む所である。
>対日連携を強化する政治分野として、国連安保理改革、北朝鮮の核問題、気候変動、エネルギー安全保障、アフリカ支援などを挙げている。具体的には(1)北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議への欧州連合(EU)のオブザーバー参加(2)中国とは異なるアフリカ開発支援の提供での日仏協力--を提唱している
サルコジーも、日本の「国連安保理」入りを支持すると表明していた。
だがしかし。
それはあくまで「外交辞令」。
何しろ「口先大統領」のこと故、彼の薄ら笑いの表情の奥の、笑ってない冷たい瞳に、十分配慮する必要が有りました。
>経済面では東日本大震災復興事業への仏企業の参加促進を視野に対話強化を提唱。また、日本がEUとの経済連携協定(EPA)よりも、米国主導の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に前向きになれば「米勢力圏により深く組み込まれ、欧州企業に不利になる」と指摘、EPA交渉で「仏国益を計算するよう」促している。
外交戦略とは、兵器を用いない戦争の戦略である。
友好国と言えども、決して「滅私奉公」する相手では無い。
自国乗り英気反する場合は、当然に事ながら「切り捨てる」のが当たり前。
特に、ヨーロッパはアメリカ一極の世界体制を構築されない為にも、「友好国」といえども、アメリカに肩入れする事が明らかになれば、友好関係は消滅する。
消滅は大げさだろうが、少なくともソコ関係は「変質」するのだ。
PTTに、日本が「積極参加」する気配を見せるのであれば、欧州として日本を引き止めるか、行かせてしまうかは、駆け引きが複雑にならざるを得ないのだ。
>サルコジ大統領は内相時代、知日派だったライバルのシラク前大統領への対抗心から「相撲は知的スポーツではない」と発言、大統領在任中も中国偏重姿勢が目立った。任期中、中国訪問6回に対し、訪日は2回だけ。2月に社会党特使として訪日したファビウス元首相に同行したロイック・エヌキン元駐日大使は毎日新聞の取材に「サルコジ政権時代、日本は無視されていた。オランド氏は以前の緊密な仏日関係に戻すだろう」と述べた。
さて、いかがな事に相成るか…。
ただ、ニコラ・サルコジーは、フランスの基準から言っても「特殊」な人間であった。
その彼の後を、「社会主義者」の大統領が継げば、流れが変わるであろう事は、議論の余地は無かろうと思われる。
後は、日本側がフランスの期待に添う事が出来るか否か、に掛かっている。
>◇オランド陣営の報告書骨子◇
・民主主義や人権の擁護などの価値観を再認識すべきだ。
・そうした価値観は中国よりも日本で保証されている。
・国連安保理改革、核不拡散、気候変動、エネルギー安全保障などで日本と利益が共通している。
・北朝鮮の核問題などで共通の取り組みを追求すべきだ。
・東北復興の枠組みで対話を強化すべきだ。
・日EU・EPA交渉では市場開放圧力の維持と同時に、TPPとの関係で仏国益を計算すべきだ。
【毎日新聞/5月11日(金)2時30分配信】
日本では、この3年間『小沢一郎』と言うたった一人の政治家を潰す為に、熾烈な戦いが続けられている。
明治維新以来、営々と続けられて来た「官僚主導」の日本野政治風土を、根本から変えようとした小沢一郎は、満身創痍の状態で、政治の表舞台から閉め出されて来た。
2008年。
小沢一郎の主導により、政権交代がなされようとしていた。
彼は、責任を取らない官僚による政治の決定では無く、選挙によって国民より付託を受けた政治家が決定する「政治主導」を唱えた。
官僚が、政策立案に参加する事を否定した。
「予算の総組み替え」を唱えた。
官僚による、官僚の為の「予算編成」を閉め出そうとした。
官僚の省益に添った、そして退官後の恵まれた豊かな老後の為の、予算と言う名の「税金」を自由気ままにお手盛りで配分し、特別会計でタップリ貯め込み、特別法人で予算の中抜きをし、天下り、巨額の報酬を与えるシステムを、否定した。
『国民の生活が第一』と唱えた。
報道機関の、紙メディアと電波メディアの両方を、同じ資本が所有する「クロスオーナーシップ」を否定した。
「対米対等外交と、駐留米軍の撤退」を示唆した。
当然、官僚達は大恐慌をきたした。
マスコミ各社も、大恐慌をきたした。
特別法人の配分の元にパイを分け合って、対米一辺倒で経営してきた「経団連」配下の大企業も、恐慌を来した。
そして、とうぜん日米関係の間で散々甘い汁を吸って来た、アメリカの対日ロビーの政治家や、米国元政治家、米国官僚達、米国元官僚達と、米国主導の国際企業も、慌てた。
その「小沢への反感」は、65年間政権の座に胡座をかいて、上記のシステムを築き上げて来た政権を、失いかかっていた「自由民主党」の恐慌と、利害が一致した。
麻生内閣の法務大臣『森英介』が、法務官僚を動かして「こっそり」指揮権を発動し、「小沢潰し」の指令を出した。
功にはやった「東京地検特捜部」が、小沢逮捕のシナリオを書いた。
官僚制度の根底を否定する小沢には、官僚の最強舞台「検察」が立ち向かって、潰してやろうじゃないか。
時の検事総長『樋渡利秋』
時の最高検検事『大鶴基成』
時の最高検次長検事『伊藤鉄男』
時の東京地検検事正『岩村修二』
時の東京地検次席検事『谷川恒太』
時の東京地検特捜部長『佐久間達哉』
これらの者共が、「結論有りき」の小沢潰しの張本人達である。
小沢が、秘書達の寮を立てるべく「土地」を購入し、四億円の個人資金を担保に「銀行融資」を受けていた。
このカネを、検察は「賄賂である」と決めつけて、最高捜査機関の総ての人的物質的資金的可能性をつぎ込んで捜査をした結果、小沢一郎の「どこにも」違法性は見つけ出せなかった。
4億円という金額だけが一人歩きした。
マスコミのキャンペーンのお陰である。
結局、農地であった土地を購入して金を支払った日と、宅地に変更手続きをして「登記を完了」した日の間に、四ヶ月の時間がかかった。
小沢の秘書達は、政治資金収支報告所に、登記完了の日時で記入した。
その間に年度が替わっていた。
ここに検察は目をつけ、収支報告所の記載に虚偽が有る、と断定した。
通常ならば、個人資産を担保に銀行から融資を受けて、土地購入をした事は、政治資金規正法の収支報告の義務すら無い事であった。
通常記載の「来ズレ」は、指摘された時点で訂正すれば済む、どこにも違法性の無いと事象であったにも拘らず、これを「ウソを記入した」と事件にしてしまった。
そして、四億円の個人資金が、「西松建設」からの賄賂であったと決めつけて、秘書を逮捕した。
「ウソに記入」に小沢本人が加担していた、という事をでっち上げて、小沢を『共謀容疑』で起訴しようと試みた。
どこからも証拠が見つけられず、不起訴にせざるを得なかった。
「市民団体」を自称する有る一人の男によって、異議申し立てがなされ、
ソコから先は、『検察審査会』という怪しげな組織を使って、「不起訴不当」の決議。
再捜査でまたもや不起訴。
再度の「審査会」による「不起訴不当」決議。
再度の不起訴に対して『起訴相当』との決議を引き出しての「強制起訴」となった訳だ。
その『検察審査会』の在り方が、はなはだ不透明で、実際に審査会が招集されたのかどうかも疑わしい事態に発展している。
その間に、秘書達の裁判の過程で、検察側の取り調べに甚だしい違法性があった事が判明。
調書の捏造まで判明した。
石川智宏元秘書が、取り調べを録音していた事によって、違法取り調べの実体が明らかになり、調書の捏造も明らかとなった。
にも拘らず、登石判事は「…と思われる」「…と推測される」という想像を列挙した挙げ句に、『推認による有罪』と言う判決を出してしまった。
法治国家で、法によらず、証拠も無く、疑う余地のない無実の「被告人」に対して、『想像=願望』により有罪判決を出す裁判所。
そんな国が、「法治国家」等と呼べない事は、火を見るより明らかである。
そんな国が「人権を保障」している民主国家等では無い事も、火を見るより明らかである。
そして、肝心の小沢の裁判で「強制起訴」の根拠となった、検察側証拠としての「供述調書」が捏造であった事が、秘書の裁判で明らかになった事により、大半が「証拠採用」を判事によって拒否される始末であった。
しかも。
検察審をもってして「強制起訴」に踏み切らせた『検察審査会』へ、捏造取り調べ書を提出し、小沢が無実である事を示唆する調書は一切提出せず、「強制起訴」に持ち込んだ事も、判明した。
結果は素人が考えても明らかである。
小沢一郎に、起訴される様な犯罪行為等全く存在すらしていない。
当然「無罪判決」が出された。
その間の2年半に及ぶ捜査と裁判の間の「マスコミ」の報道は、筆舌に尽くされない程酷い物であった。
新聞テレビ総力をあげて、小沢を悪人扱いし、国民を恣意的に誘導し、小沢悪人感情を徹底的に刷り込み続けた。
国会議員すら「政治責任」等と吹いて、「説明責任」を言いつのる。
無実の者が「無実の罪」で訴えられている時、訴えられている当人が「無実の証明」をしなければならないのでは無い。
訴える側が、有罪である事を証明しなればならない。
これが、近代社会の裁判の概念である。
それを、無実を叫び続けている方に、「罪が無いなら証明しろ」と、検察も裁判所も、マスコミも、国会議員達も、洗脳された国民もが言いつのる。
国家を挙げての集団リンチである。
こんな国の、どこが「人権擁護や民主主義の概念」が徹底している国家だと、言えるのだろうか。
先進国と言われる国々では、ジャーナリスムは、マスコミであれミニコミであれ、権力に抵抗し、権力を批判する事が存在意義であると、認識されている。
しかるに、北朝鮮かかってのソヴィエと連邦と大差ない日本は、全マスコミが揃って「権力」の提灯持ちの役割を積極的に推進し、国民の目を「権力の悪」から剃らせる事に腐心している。
知識人と呼ばれる人々、有識者と呼ばれる人々、コメンテーター、解説委員、テレビで喋っている99%は「真実」を語らない。
語れないのか。
語らないのか。
一連の事実の流れの、小沢一郎の失脚だけを目的とした「検察」と「裁判所」との、味方をするばかり。
それで、大金を稼げるから本人はご満足なのだろうが、そのような「非民主的」で「反法治国家的」な国家が、欧米先進国に有るだろうか。
原発事故の後始末の事も、全く同じ事である。
国民に、「大切な真実」は決して伝えない。
そして、国民の生命財産を守る立場に立つ事は、決して無い。
常に、例外無く、権力の提灯持ちの立場を変えようとはしない。
マスコミの当人達も「国民」である事を、彼等は忘れている。
というより、自分達は選民だと信じているらしい。
日本のマスコミの姿は、世界的基準に照らして見れば、限りなく異様で、際限なく醜い。
民主国家には、ジャーナリスムが発達する。
独裁的権力者の国でも、ジャーナリスムが発達する。
報道機関は、国民の側に経って、国民の利益の為に、権力に立ち向かう。
ジャーナリスムが存在せず、マスコミが権力の走狗の地位に安住するのは、低開発国の中で、極めて国民がノー天気な国だけであろう。
例えば、日本の様な。
ツイッターのタイムラインから拾った、幾つかの「呟き」を掲載したい。
@kaishin2008
小沢さんを叩いて正義の味方を気取る検察、しかし、証拠をでっちあげた時点で負けている。しかし、マスコミは権力のそうした姿勢、行為には逆らわない。なぜならマスコミも嘘の報道、印象操作、でっちあげ報道をしてきた張本人だからだ。そうした司法とマスコミの歪んだ癒着はNetが気づき指摘する。
@satoto_m
判決の朝も木曜日で松尾貴史さん出ていました。その時も「誰が見ても検察がおかしいでしょ?捏造した報告書で訳わかんない検察審査会…」てな感じでした。 “@makoto_bushidou: 降板させられないか心配しました。
@gyalaxy_ichijp
今日の夕方に会社でニュースを見ていて驚いた。関電の「大飯原発が再稼動出来ればかなりの電力不足を補える」という内容。目が点で動きが止まってしまった・・・(-_-;) 周りの人に教えたら「またはじまった・・・」だって。いい加減ウンザリ感が強く、呆れられているという感じだった。
@igabin
指定弁護士は控訴した場合の税金の無駄つかいがどれくらいになるのか知っているのだろうか? それは誰が負担するのか? 我々納税者の負担になる。 考えただけでも情け無い。
@todamanabu
先日、永田町「黒澤」(あの、黒澤明に関係したしゃぶしゃぶ店。外観は「用心棒」のセットを模写。美術監督・村木与四郎)で、野田佳彦が、星浩、岩見隆夫、橋本五郎という薄汚い面々と会合。当然、小沢バッシングキャンペーン申し込みと相談も容易に予想される。
@tokunqgqmichio三年間の小沢問題で「小沢さんも、小沢さんを支持する人も、そして検察も皆んな被害をこうむった。」というような三方一両損みたいな話ではない。三年前に政権交代に託した国民の夢が見事に潰されたのである。あまりにも代償は大きかった。。しかも、最大の確信犯であるメディアは無傷だ。
@hasegawa24外から見ていると「指定弁護士による控訴」という仕組み自体に違和感を感じる。正統性に大きな疑問がある。主役は素人集団の検審ではなかったのか。法律のプロはどう考えるのか。
こういう訳の分からない制度が重要政治家について、ろくな説明もないまま運用されると、この国は「暗黒国家」という印象が広がりかねない。指定弁護士など裁判関係者はもちろん司法関係者はしっかり国民に説明すべきだ。少なくとも、私には訳が分からない。
おまけに、この裁判では検察のデタラメ調書もあきらかになった。デタラメ調書の問題が問われず、正統性に疑問がある裁判が続くのか。それでは裁判自体がデタラメと言われても、しょうがない
@sanahi
NHK9:指定弁護士による控訴の報。記者会見で控訴の理由として無罪判決とした判決文の中に無罪の証拠が示されていないと語る。この人達は本当にまっとうな法律家なのか?刑事裁判の中での挙証責任は検察にある。訴因に対する証明が完璧になされているか判断するのが裁判官。証明が不十分だっただけ
@Vins_T
小沢氏絡みで「三審制」という言葉が散見される。でもこれは本質的に、憲法で保障されている「刑事被告人が公平な裁判を受ける権利」を具体化するために採用されている制度であって、「疑念が完全に払拭されるまで、起訴側が粘っていい」という制度ではないのではないか。
@Inakamon
顔の見えない何者かが申立て、姿のない検審により強制起訴され、結果、無罪となった。断念を伝えられた指定弁護士が、今日になって突然「控訴」を表明した。「控訴理由はあとで検討してから..」だという。ここにも目に見えない力が働いている。この裁判「見えないずくし」だ。ワケわかんね~
@itsunori510 (小野寺 五典)
小沢裁判への控訴がなされました。ただ、今回の控訴には疑問が残ります。裁判過程をみても控訴審では無罪が濃厚です。いたずらに審議を長引かせ、選挙でえらばれた議員の活動をさまたげるのは議会制民主主義を否定するものではないでしょうか?
@kiitkoro
執拗な小沢政治の封じ込めは、武器無き戦争そのものである。権益族がスポンサーであるテレビ大手マスコミ報道の中、生活に追われ小沢問題どころではない一般庶民を巧に洗脳し、作為による小沢悪世論を確立。世論頼りの無謀な戦は戦争を賛美した極悪財閥新聞再来!決起を!
@tokunagamichioNHK大越をはじめ各テレビメディアは、あくまでも民主党の挙党一致の為の小沢一郎元代表の党員資格停止解除と表面ばかりを報道している。検察の捏造報告書の件も、そもそも裁判自体が無効ではないかという事に論調するテレビ報道はない。あまりにも世の中でまかり通っている事が酷すぎる。。
新生フランスは、日本を尊重してくれるらしい。
ただ、日本の方が、そのフランスの発想に答えるレベルに無い事が、悲しい限りである。
まあ、しかし。
読者の皆様、ご安心あれ。
たかだか11ページの「レポート」など、新大統領の外交政策に何らかの影響力を持つ程の存在では有りません。
せいぜい、新大統領の与党としての「社会党」の、仕事始めに先立って、ほんの少し「ウォーミング・アップ」を、やってみた程度の事なのです。
現実の外交方針にとって、殆ど何程の正式な存在でもありません。
こんなレポートの存在等、日本でしかニュースにはなりません。
まあ、せいぜい「国民をナメキって」好き勝手な事をやってるが良いでしょう。
「アッシには、何ら関係のない事でござんす…」
日本人好きですよね、こういうの。他人=欧米人が自分達をどういう風に評価しているか。そして相手の評価にあわせようと見栄を張って大金を振舞う。 フランスはさすがに賢いですよね。日本人のこういうところ分かっているんですよ。フランスも財政苦しいですから、お人よしの日本をおだてれば金銭的な多少のメリットがあるって分かってるんでしょうね。
それにしてもフランスにまた、米国に対しても毅然と「ノン」と言える政権が戻ったことは人事ながら嬉しいですね。
なん瀬あのイラク戦争の開戦をめぐってフランスが米国に「ノン」を言い続けたときには本当にフランス人が羨ましくて、それに比べて日本のポチ達の馬鹿面がなんとも情けなかったものです。当時のフランス外相の(名前忘れたww)かっこよかったこと。日本もこんな政治をして欲しいなんて、夢のまた夢・・は~あ
経済力の差やら、軍事力の差、国土面積やら人口やら、通貨の普遍性…、ナンボのもんじゃ。
一国それぞれ対等。
という意識は、霞ヶ関と永田町は絶対に持てないのでしょうね。
情けないやらアホらしいやら。
アメリカ国籍貰って、出て行けば良いのに。
イラク侵略戦争に反対した仏外相は『ド・ヴィルパン』です。
拡張高い演説でしたよね。
人的資源の質が、やはり違います。