某月某日。
それにしても、一日丸ごと贅沢に自分の好きな事が出来るのは嬉しい。
ひっそりとした「平和公園」のジョギング・コースをゆっくり5キロほど走ってから、そのまま「まちなか温泉」で汗まみれの身体を解(ほぐ)し、家に帰って、WOWOW「メトロポリタン・オペラ」、モーツァルトの「魔笛」を観る。
ニューヨークにわざわざ行かなくても、こうして家で冷たいミネラル・ウォーターを飲みながら、ゆっくりオペラを鑑賞出来るなんて。
窓の外には明るい青空が広がっている。
ジョギングで身体を動かし、熱い温泉に浸り、モーツァルトのオペラ「魔笛」を観る。
うーん。なんという充実感!
そして、映画館で映画を観る。
シネマ・ディクトで、ドキュメンタリー映画「ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ」を観た。
平日の月曜日、それも日中ということもあったのか、僕のほかにお客はたったひとりだけ。
60代か70代の女性である。
女性ファッションに興味があるんだろうか? まあ、そういうこっちだって、向こうに言わせりゃ、「なんで平日の真昼間、男が独り、女性ファッション誌の伝説エディターのドキュメンタリーなんか観に来るわけ?」と怪しんでいるんだろうけどさ。
「面白くない仕事をしている人間が、人生で一番悲劇だ」とかなんとか言ったのは、ジョン・レノンだったっけ?
一言一句は正確じゃないけれど、確かそんな趣旨の発言をしていたと思う。その言葉を初めて目にした時はちょっとショックだった。
自分がまさにそうだったから・・・。
その意味じゃあ、この映画「ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ」のダイアナ・ヴリーランドは世界一の幸せ者だろう。
大好きなことを仕事にして、それでお金を貰い(彼女は映画の中のインタビューで、お金は物凄く大事なものだと明言している)、信念を曲げず、やりたいことだけをやり尽くしたのだから。
ダイアナ・ヴリーランドは、20世紀のファッション界に多大な影響を与えた女性である(もちろん、映画を観るまでそんなことまったく知りませんでした)。
彼女の華麗なプロフィールは次のようなものだ。
40~50年代に女性ファッション誌「ハーパース・バザー」のカリスマ的なエディターとして活躍し、その後、ライバル誌である「ヴォーグ」の編集長に引き抜かれるかたちで就任する。
彼女はこの「ヴォーグ」時代に、その才能が花開くのだ。
まるで満開の桜みたいに。
ダイアナ・ヴリーランドは、ローレン・バコールを見出してモデルとして起用し、シェールやバーブラ・ストライサンドなどの個性的な女性をはじめ、新たな才能を次々と発掘してゆく。
映画は、インタビューの模様と当時の歴史的に貴重なフィルムを繋ぎ合わせながら進行する。
在りし日の彼女のインタビュー映像、TVや雑誌記事や世相、ツィッギーやミック・ジャガー、オードリー・ヘプバーン、ケネディ大統領夫人、ジャック・ニコルソン、それからダイアナ・ヴリーランドの息子たち。
ダイアナ・ヴリーランドは、やがて「ヴォーグ」の編集長を解任され(この辺りはサラッと終わるのだが)、70歳でメトロポリタン美術館衣装研究所の顧問に就任し、大ヒットとなる衣装展を次々と成功させる。
監督は、ダイアナの孫の妻で、イタリアのファッション界で活躍してきたリサ・モルディーノ・ブリーランドというひと。
この監督が、また上手い演出を施す。なので、あっという間に観終えてしまった。
映画の中で印象的なシーンがある。
彼女はインタビューに答えて「リンドバーグが大西洋縦断を成功させた時、たまたま上空をその飛行機が横切るのをはっきりと見た」と言うのだ。
ところが、そんな偶然は有り得なかった。
あとで調査すると、実際の飛行中の航程上に彼女の家は存在せず、まったくの嘘だったことが解る。
また、彼女はインタビューでこうも言う。「ヒトラーを当時、劇場で見掛けた」と。
これに対してのコメントは映画の中では特になかったけれど、これら諸々の発言を含め、ダイアナ・ヴリーランドには少し虚言癖のようなところもあったようだということが暴露される。
それを単なる嘘とは呼べないだろう。
様々な妄想、頭の中でどんどん勝手に繁殖してゆく物語の数々、創造と想像、真実と虚構・・・。
天才の妄想って激しさを増してゆくものなのだ。そしてそこから、有り得ないような素晴らしい作品が生み出される。
ダイアナ・ヴリーランドには、乙女のような激しさと優しさと一途さが同居している。
でも、こういうひとの部下にだけは絶対なりたくないけど・・・。
それにしても、一日丸ごと贅沢に自分の好きな事が出来るのは嬉しい。
ひっそりとした「平和公園」のジョギング・コースをゆっくり5キロほど走ってから、そのまま「まちなか温泉」で汗まみれの身体を解(ほぐ)し、家に帰って、WOWOW「メトロポリタン・オペラ」、モーツァルトの「魔笛」を観る。
ニューヨークにわざわざ行かなくても、こうして家で冷たいミネラル・ウォーターを飲みながら、ゆっくりオペラを鑑賞出来るなんて。
窓の外には明るい青空が広がっている。
ジョギングで身体を動かし、熱い温泉に浸り、モーツァルトのオペラ「魔笛」を観る。
うーん。なんという充実感!
そして、映画館で映画を観る。
シネマ・ディクトで、ドキュメンタリー映画「ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ」を観た。
平日の月曜日、それも日中ということもあったのか、僕のほかにお客はたったひとりだけ。
60代か70代の女性である。
女性ファッションに興味があるんだろうか? まあ、そういうこっちだって、向こうに言わせりゃ、「なんで平日の真昼間、男が独り、女性ファッション誌の伝説エディターのドキュメンタリーなんか観に来るわけ?」と怪しんでいるんだろうけどさ。
「面白くない仕事をしている人間が、人生で一番悲劇だ」とかなんとか言ったのは、ジョン・レノンだったっけ?
一言一句は正確じゃないけれど、確かそんな趣旨の発言をしていたと思う。その言葉を初めて目にした時はちょっとショックだった。
自分がまさにそうだったから・・・。
その意味じゃあ、この映画「ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ」のダイアナ・ヴリーランドは世界一の幸せ者だろう。
大好きなことを仕事にして、それでお金を貰い(彼女は映画の中のインタビューで、お金は物凄く大事なものだと明言している)、信念を曲げず、やりたいことだけをやり尽くしたのだから。
ダイアナ・ヴリーランドは、20世紀のファッション界に多大な影響を与えた女性である(もちろん、映画を観るまでそんなことまったく知りませんでした)。
彼女の華麗なプロフィールは次のようなものだ。
40~50年代に女性ファッション誌「ハーパース・バザー」のカリスマ的なエディターとして活躍し、その後、ライバル誌である「ヴォーグ」の編集長に引き抜かれるかたちで就任する。
彼女はこの「ヴォーグ」時代に、その才能が花開くのだ。
まるで満開の桜みたいに。
ダイアナ・ヴリーランドは、ローレン・バコールを見出してモデルとして起用し、シェールやバーブラ・ストライサンドなどの個性的な女性をはじめ、新たな才能を次々と発掘してゆく。
映画は、インタビューの模様と当時の歴史的に貴重なフィルムを繋ぎ合わせながら進行する。
在りし日の彼女のインタビュー映像、TVや雑誌記事や世相、ツィッギーやミック・ジャガー、オードリー・ヘプバーン、ケネディ大統領夫人、ジャック・ニコルソン、それからダイアナ・ヴリーランドの息子たち。
ダイアナ・ヴリーランドは、やがて「ヴォーグ」の編集長を解任され(この辺りはサラッと終わるのだが)、70歳でメトロポリタン美術館衣装研究所の顧問に就任し、大ヒットとなる衣装展を次々と成功させる。
監督は、ダイアナの孫の妻で、イタリアのファッション界で活躍してきたリサ・モルディーノ・ブリーランドというひと。
この監督が、また上手い演出を施す。なので、あっという間に観終えてしまった。
映画の中で印象的なシーンがある。
彼女はインタビューに答えて「リンドバーグが大西洋縦断を成功させた時、たまたま上空をその飛行機が横切るのをはっきりと見た」と言うのだ。
ところが、そんな偶然は有り得なかった。
あとで調査すると、実際の飛行中の航程上に彼女の家は存在せず、まったくの嘘だったことが解る。
また、彼女はインタビューでこうも言う。「ヒトラーを当時、劇場で見掛けた」と。
これに対してのコメントは映画の中では特になかったけれど、これら諸々の発言を含め、ダイアナ・ヴリーランドには少し虚言癖のようなところもあったようだということが暴露される。
それを単なる嘘とは呼べないだろう。
様々な妄想、頭の中でどんどん勝手に繁殖してゆく物語の数々、創造と想像、真実と虚構・・・。
天才の妄想って激しさを増してゆくものなのだ。そしてそこから、有り得ないような素晴らしい作品が生み出される。
ダイアナ・ヴリーランドには、乙女のような激しさと優しさと一途さが同居している。
でも、こういうひとの部下にだけは絶対なりたくないけど・・・。