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淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない」と、三島由紀夫は太宰治を批判した。

2018年02月28日 | Weblog
 月曜日の夜、意を決して「スポーツジム」へ行く。
 まあ、そんな大袈裟なことでもないのだけれど・・・。

 最近、身体を動かす意欲が失せたとはいえ、今月も2、3度はジムへと足を運んではいて、軽いランニングをしたり自転車を漕いだりはしていたのである。
 でも「ボディ・コンバット」はまったくやっていなかった。「ボディ・コンバット」自体が混んでいたこともあったけれど、今日こそ行こうと決めていても、結局直前になって行くのを止めていたのだ。
 単純な怠け者なのである。

 今夜こそは行こうと決め、夕食を終え、準備を整えて夜の8時には家を出る。
 雪が舞っていた。
 それにしても今冬の雪はしつこい。最後まで粘る。

 煌々と明りが灯るユニクロ「GU」前の駐車場に車を停め、そこからモール内を歩いて「スポーツジム」へと向かった。
 整理券を取って中に入ったら、ジムの「ボディ・コンバット」常連さんたちが何人かいて、久しぶりに言葉を交わした。

 ずっとやってなかったから、45分間、身体が持つのか少し心配だったけれど、「ボディ・コンバット」が始まってからは、もう至福の時間だった。
 あれ? 身体を動かして汗を掻くって、こんなに気持ち良かったっけ? もっと頻繁に来てりゃよかったのに・・・。それにしても自分勝手である。

 三島由紀夫がその昔、太宰治に対して放った辛辣な批判を思い出す。
 趣旨はこうだ。
 「・・・作家にとっては弱点だけが最大の強みになることぐらい知っている。しかし弱点をそのまま強みへもってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる。どうにもならない自分を信じるということは、あらゆる点で、人間として僭越なことだ。ましてそれを人に押しつけるにいたっては! 太宰のもっていた性格的欠点は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない・・・」と。

 「弱点をそのまま強みへもってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる」、「性格的欠点は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される」、「治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない」・・・。

 刺さる。ぐさりと刺さる。
 さすが、三島だ。見抜いている。
 グダグダと生活を呪い、自分をいたぶり、強烈なナルシシズムに溺れていた太宰を、三島は徹底的に嫌悪したのである。
 しかしながら、同根では重なり合う部分があったようにも思えてしまう。

 45分間の激しい運動をやり終え、夜道を歩きながら、充実感と心地よい疲労感のなかでふと考える。
 夜の10時過ぎのショッピング・モール脇には新雪が薄っすら敷き締められていて、それが街灯に優しく照らされていた。すべての店のシャッターが閉まっている。

 「弱点をそのまま強みへもってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる」。
 「性格的欠点は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される」。
 「治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない」。

 やはり。
 健全な精神って、健全な肉体にのみ宿ってゆくのかぁ・・・。








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