どんな大金持ちでも、世界的な超有名な映画スターでも、国家を心底憂う国会議員でも、素晴らしい傑作を書き続ける著名作家でも、人生の素晴らしさと美しさを説く宗教家でも、みんないつかは死んでゆく。
どんなにモテても、どんなに強靭な肉体を持っても、数多くの恋愛経験をしても、世界中の三ツ星レストランの最高級の料理を食べ歩いても、世界中を旅して美しい風景をこの目に焼き付けても、いつかはこの世界から旅立つ日が必ず訪れる。
世界は悲惨な出来事に溢れ返り、金持ちは贅沢の限りを尽くし、貧乏人は飢え、森は焼かれ、海は汚され、戦争や紛争や内紛はいつまで経っても無くならない。
ジョン・レノンが世界は一つと説いても、ルイ・アームストロングが世界は美しいと歌っても、毎日何処かで誰かが飢えで死に、毎日何処かで悲惨な殺人は起こり、毎日幸せな結婚が生まれるのと同じくらいの離婚や別れがこの世界では生まれてゆく。
人生は苦の連続である。
楽しかったり嬉しかったりした、その先には、それと同じくらいの、否それの何倍もの辛い出来事が待っている。
人生なんて八方ふさがりで、最後に待っているのはドン詰まりのデッドエンドなのだ。
それでも人は、この糞ったれの人生を何とか生きていくしかない。
全員が幸せのゴールへと辿り着けるわけではない。
大部分の人は、それなりの人生を送り、それなりの終末を迎え、それなりの結果を出して死んでゆくだろうが、それさえ叶わない人間は数多くいる。
何のためにこの世に生まれてきたのか?
何のためにこの世界を生きているのか?
何のために今ここに居て、何を成さなければならないのか?
誰も答えられない。何処にも答えはない。
人生は不可解で複雑で、そして至って単純だ。
そして、そのシンプルな答えを導き出すためには、その何千倍もの問いを書き続けなくてはならない。
人生とは厄介で面倒臭い。本当に面倒臭い。
去年、友人が突然倒れた。
まだそんな歳じゃないのに、脳梗塞で半身が不随になってしまった。
お酒を飲むのが大好きで、毎日飲んでいた。運動不足もあってか、かなりお腹が出ていたし、日頃から血圧が高いと医者から忠告も受けていた。会うたび、節制しろよって言っていたのだが・・・。
すぐに見舞いに行った。
泣いていた。
これからリハビリに励むとも言っていた。
今年に入って、移った病院に果物を持ってまた行ってみた。
言葉が聞き取れるようになったのと、少し血色も良くなっていて、そこは少し安心したけれど、「もう終わった。俺の人生はもう終わったんだ・・・」という言葉を何度も自嘲気味に話すのは、聞いていて結構しんどかった。
「お前はいいな、まだまだ元気で」と、この言葉も何度も何度も連発した。「もうここから完全回復するわけじゃないんだし、一年後も十年後もおんなじなら、今すぐ死にたい」とも洩らした。
でも、その諦観や絶望は彼だけにあるのではない。
俺にもある。
そして、今この世界を生きているあらゆる人間が持っているものだ。
もちろん、それなりにやりたいこととか、心残りがあるからこうして何とか今日を生きてはいるのだけれど、今が健康だからといってそれがこの先永遠に続くわけではない。いつか、病気か、事故か、それは解らないけれど、必ずこの世界からいなくなるのだけは自明の理だ。
仕事をしているもの、組織の中で生きているもの、金持ちの親がいて一切働かなくても悠々自適に生きてゆけるもの、この世界には色んな人間たちが毎日をそれなりに生きている。
でもだからといって、そのすべての人たちが幸せな一生を送られるわけじゃない。人生には数多の落とし穴が待っている。
苦しいことも辛いことも、人生では引っ切り無しに襲って来る。
楽しいことや嬉しいことなんて、その100000000分の1しかないかもしれない。
だったら、こうやって居直るしかない。
矜持と諦観をもって、こう心の中でひとり叫ぶしかない。
小さいことにくよくよするな、しょせんすべては小さなこと。
この自己啓発書にはいつも救われる。
著者のリチャード・カールソン、あなたは偉い!
小さいことにくよくよするなって。
しょせんすべては小さなことだ。
どんなにモテても、どんなに強靭な肉体を持っても、数多くの恋愛経験をしても、世界中の三ツ星レストランの最高級の料理を食べ歩いても、世界中を旅して美しい風景をこの目に焼き付けても、いつかはこの世界から旅立つ日が必ず訪れる。
世界は悲惨な出来事に溢れ返り、金持ちは贅沢の限りを尽くし、貧乏人は飢え、森は焼かれ、海は汚され、戦争や紛争や内紛はいつまで経っても無くならない。
ジョン・レノンが世界は一つと説いても、ルイ・アームストロングが世界は美しいと歌っても、毎日何処かで誰かが飢えで死に、毎日何処かで悲惨な殺人は起こり、毎日幸せな結婚が生まれるのと同じくらいの離婚や別れがこの世界では生まれてゆく。
人生は苦の連続である。
楽しかったり嬉しかったりした、その先には、それと同じくらいの、否それの何倍もの辛い出来事が待っている。
人生なんて八方ふさがりで、最後に待っているのはドン詰まりのデッドエンドなのだ。
それでも人は、この糞ったれの人生を何とか生きていくしかない。
全員が幸せのゴールへと辿り着けるわけではない。
大部分の人は、それなりの人生を送り、それなりの終末を迎え、それなりの結果を出して死んでゆくだろうが、それさえ叶わない人間は数多くいる。
何のためにこの世に生まれてきたのか?
何のためにこの世界を生きているのか?
何のために今ここに居て、何を成さなければならないのか?
誰も答えられない。何処にも答えはない。
人生は不可解で複雑で、そして至って単純だ。
そして、そのシンプルな答えを導き出すためには、その何千倍もの問いを書き続けなくてはならない。
人生とは厄介で面倒臭い。本当に面倒臭い。
去年、友人が突然倒れた。
まだそんな歳じゃないのに、脳梗塞で半身が不随になってしまった。
お酒を飲むのが大好きで、毎日飲んでいた。運動不足もあってか、かなりお腹が出ていたし、日頃から血圧が高いと医者から忠告も受けていた。会うたび、節制しろよって言っていたのだが・・・。
すぐに見舞いに行った。
泣いていた。
これからリハビリに励むとも言っていた。
今年に入って、移った病院に果物を持ってまた行ってみた。
言葉が聞き取れるようになったのと、少し血色も良くなっていて、そこは少し安心したけれど、「もう終わった。俺の人生はもう終わったんだ・・・」という言葉を何度も自嘲気味に話すのは、聞いていて結構しんどかった。
「お前はいいな、まだまだ元気で」と、この言葉も何度も何度も連発した。「もうここから完全回復するわけじゃないんだし、一年後も十年後もおんなじなら、今すぐ死にたい」とも洩らした。
でも、その諦観や絶望は彼だけにあるのではない。
俺にもある。
そして、今この世界を生きているあらゆる人間が持っているものだ。
もちろん、それなりにやりたいこととか、心残りがあるからこうして何とか今日を生きてはいるのだけれど、今が健康だからといってそれがこの先永遠に続くわけではない。いつか、病気か、事故か、それは解らないけれど、必ずこの世界からいなくなるのだけは自明の理だ。
仕事をしているもの、組織の中で生きているもの、金持ちの親がいて一切働かなくても悠々自適に生きてゆけるもの、この世界には色んな人間たちが毎日をそれなりに生きている。
でもだからといって、そのすべての人たちが幸せな一生を送られるわけじゃない。人生には数多の落とし穴が待っている。
苦しいことも辛いことも、人生では引っ切り無しに襲って来る。
楽しいことや嬉しいことなんて、その100000000分の1しかないかもしれない。
だったら、こうやって居直るしかない。
矜持と諦観をもって、こう心の中でひとり叫ぶしかない。
小さいことにくよくよするな、しょせんすべては小さなこと。
この自己啓発書にはいつも救われる。
著者のリチャード・カールソン、あなたは偉い!
小さいことにくよくよするなって。
しょせんすべては小さなことだ。