淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

一十三十一(ヒトミトイ)の「CITY DIVE」を聴くことではっきり見えてくるものがある。

2015年07月28日 | Weblog
 やっぱり、俺は自分が描く理想像から絶対に逃げられないでいる。
 だから、切ないのだ。虚しいのだ。

 たとえば、音楽で言うと、山下達郎、ユーミン、角松敏生、サザン、ドリカム・・・彼らの創り出す音楽の世界観(そう言っちゃうと少し誤解を招きそうだけれど)に心底嵌まっているということは、あるいは彼らの音楽の絶対的な信仰者であり続けているということは、自分の中に、それらの音楽から発酵している、とても素敵な気分、とても美しい風景、とても気持ちいいヴァイブレーション、そんなものを心底から希求している自分がいるということだ。

 俺は、そんな、普通では絶対に有り得ない生活(彼らの音楽を聴いている中でふと浮かぶ華やかな人生だったり、都会の生活だったり、いつまでも広がる夏の海や空だったりということだけれど・・・)を妄想しながら、山下達郎、ユーミン、角松敏生、サザン、ドリカム、それから一十三十一(ヒトミトイ)なんかをシンクロさせて真剣に聴いているのである。
 ある意味、命がけで(いや、ほんと)。

 でも、現実にそういう美しさだけに彩られた、人生はない。
 絶対にない。
 純粋培養された、虚構の歌の世界でしかない。
 現実はもっと醜くて、そんな透明で純粋で、一切の不純物がない世界なんて有り得ないからだ。

 だから、この惨たらしい現実と理想の美しい世界とのギャップに、俺はいつも絶望と圧倒的な虚しさを覚えてしまう。
 理想が高すぎるのだ。
 高望みし過ぎなのだ。

 もちろん、仮に俺が六本木ヒルズの豪華なマンションの部屋で、モデルみたいに美しい女性と豪華なワインを飲みながら、煌びやかな都会の夜景を眺めることが出来たとしても、大金持ちになって毎日世界中を飛び回って遊び惚けていたとしても、そんなものが俺の求める到達点ではないし、それが俺の人生を心から満喫している行為ということには絶対ならない(そりゃあ、そうなったらそうなったで嬉しいでしょうけど・・・)。

 そして今、俺は最低最悪なのである。
 デッドエンドなのである。どん詰まりなのである。
 酷い精神状態なのである。

 そういう時に聴く、一十三十一(ヒトミトイ)のアルバム「CITY DIVE」もまた、非常に切なくて、辛い(じゃあ、聴かなきゃいいじゃんという声が聞こえてきそうですが)ものがある。
 つまり、今いる現実の世界と、あまりにもかけ離れた黄金郷の世界だからだ。
 そこに激しく惹かれてしまう。

 一十三十一(ヒトミトイ)のアルバム「CITY DIVE」は、プロデューサーが「流線形」(このブログでも書きましたけど)のクニモンド瀧口。そしてそこに、DORIAN も加わっている。
 -街に潜り、街を泳ぎ、街で遊ぶ、2010 年代の「シティ・ミュージック」。 この夏、都市で鳴らされるべきサウンド・トラック-と謳っているように、何処から聴いても都会の音楽がする。
 俺が激しく渇望してやまない、俺が思い描く理想の世界を具現化している、そんなアーバン・ミュージックなのだ。

 一十三十一(ヒトミトイ)「CITY DIVE」、俺はいつまで、こういう明るい世界観に満ち溢れた理想郷を追い求める音楽を聴き続けてゆく気なんだろう?

 ないのに・・・。
 そんな世界なんて、絶対ないのに・・・。









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