おかんのネタ帳

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夜来香ラプソディ 感想その2

2022-05-17 12:17:09 | 演劇・舞台
「夜来香ラプソディ」、感想の続きを。
興味のない方は、スルーしてくださいね~~ 長いです・・・汗

大阪公演は5公演。サンケイブリーゼホールで上演。



いつもは地下から入るので、めったに表玄関?を写すことがないのですが、ポスターがあったので、パチリ。



地下からブリーゼタワーの建物に入ると、こちらのサイネージが迎えてくれます。
ホールは7階にあります。



もうね、大阪初日の一幕が終わった時点で、ちょっと涙目になっていました。
東京初日を観た時にはなかった感情に動かされたんです。

山内圭哉さん演じる、陸軍報道部の山家少尉ですよ。
真面目な芝居ではあるけど(当たり前!)山家さんが大いなる野望を話すところがより胡散臭くなってて(苦笑)
後に、戦地で負傷し「別れのブルース」に救われたと、本心を話すくだりで涙がこぼれたんです。
芝居の緩急がね、やっぱり良いなぁと~

東京初日の時、あまりに大真面目に芝居をする山内さんに、つい、どこで笑わしてくれはるん??って思ってしまいましたよ。
そしたら、コーヒーを中川中尉にすすめ、「1杯のコーヒーから」を口ずさむシーンでした。
その歌を歌いかけたら、するっと、中川さんに歌われてしまって、「えっ??」ってなるところ

「歌って良いって言ってないのに~」

でもね、それだけではちょっと物足りない~~~と思って。
もっと、面白い人ですもんね!!
欲深くってすいません。だって、山内さんやから~!
・・・・そしたら大阪は、まさかのカテコで爆笑させていただきましたけどね!!
ほんと、素晴らしい役者さんです!

東京のシアターコクーンに比べるとブリーゼのステージは狭いみたい。
袖にハケる時、皆さん、ほんと狭いところにハケていくので、毎回セットにぶち当たらないかとドキドキしました。

それと2階席からの観え方の違い。
東京初日はコクーンの2階席の最前列でしたが、山家さんが客席通路を歩くシーンも、ちゃんと見えました。
なのにブリーゼは、2階の最前列でも全くそのシーンは見えなくて~~(汗)
なので、2階席と、1階の前方席とか、山家さんが客席を横断してることを知らないお客さんも多いかと。

大阪公演では、山内さんに気づいたお客さんが反応して(声出てましたよね?)ざわっとしました。
びっくりしはったんでしょうね。
うわっ、山家さんが、めっちゃ近いとこ歩いてはるやん~~て(笑)
なので、カテコでそれが話題になったようです。

ちなみに、大阪3日目のマチネは追いチケしたバルコニー席。しかも下手側。
見切り席なので安価ではあるんですけど、下手で服部さんと黎錦光さん演じるシーンは全く見えず(涙)声だけでした~~~(大泣き)
でも、山家さんが客席を歩くシーンは横からちゃんと観られました。(それは別にどうでもええ??)

ちなみに、客席を歩く山家さんを、ステージの上から川島芳子が見つけて驚くのですが、
3日目マチネでは、川島芳子を演じる壮さんが舞台に現れた時に拍手があって、ちょっとびっくりしました。
ここで拍手って、ファンの方でしょうか? 
それとも、その前のシーンが音楽会のファイナルシーンやったので、お芝居も終わったと勘違いされたんかな??
この3日目マチネだけでしたけど。

さて、服部さんを演じる洸平くん。
熱量の高さは、大阪公演も変わらなかったですね。
というかむしろ、大阪公演ではよりリアクションが大きくて、インパクトありました。
(山家さんの本心を聞いて)「僕は恥ずかしい」というあたり、中川さんをほんまに投げてましたし。
ステージをはいずりまわるのもよりオーバーになってて、さすが、舞台人やなぁと思いました(笑)
ほんとに、ピュアで明るい服部さんでした~

服部良一さんご本人も、音楽ファーストでピュアな方やったそうです。
パンフに、服部良一さんの孫の服部隆之さん(服部克久さんの息子さんで同じ音楽家)と、テレビ番組プロデューサーの服部英司さん、松下洸平くんの座談会が掲載されてます。
これもすごく楽しい記事で、家業を継いだ?という隆之さんと、亡くなるまで一緒に暮していたという英司さん。
お二人のお話から、服部良一さんの人柄がうかがえました。

軍歌をあまりつくらなかったのはなぜかという話。
ファシズムを嫌悪して作らなかったという”美談”と、作るのが下手くそやったという説と(苦笑)
隆之さん曰く、服部さんは古賀政男さんのように昔からある日本の音階を使って曲が書ける人を尊敬してた、らしいです。

お孫さんといえば、Twitterで知ったのが、英司さんのお姉さま。
軍歌をあまりつくらなかったのは売れなかったからでしょうって、おっしゃってますね。

舞台の感想から、舞台で使われた服部さんの曲についてなど、いくつかnoteに書かれています。 → こちら
親族の方が語る服部さんは興味深いですね。

この舞台、出演する女優陣も華やかです。
李香蘭を演じる木下晴香ちゃんのほかにメインキャラの女性3人は、皆さん元タカラヅカ。

ラ・クンパルシータのダンサー、マヌエラを演じるのは夢咲ねねさん。
タンゴをかっこよく踊ってくれましたね!

「この時勢に音楽なんて!」とエラそーにいう軍人長谷部さんを演じる山西惇さんに、

「でっかいのは顔だけにして」っていうんですね。

毎回、笑ってしまうんです~(ごめんなさい~)
山西さん、ほんまに顔デカいんですもん。
服部さんと長谷部さんが対峙するシーンを見たら、洸平くんの顔が小さくて・・・山西さんの半分ぐらいか?って思うほどですから~~(笑)

ちなみに、マヌエラさんは実在の人。
日本人で、松竹楽劇部の一期生。
1938年に上海に渡り、フランス租界で国籍不明のダンサーとして活躍したらしいです。
スパイ疑惑で何度も拘束されたようですが、帰国後は実業家と結婚して東京でナイトクラブを経営。
ここから何人かのジャズメンが巣立ち、戦後の日本ジャズの育ての母と呼ばれたようです。
すごいね~~ そんな人がいたんやね。

舞台では、共産党メンバーとして描かれた、謎の女性リュバ。元タカラヅカの仙名彩世さんが演じてます。
奉天に住んでた頃の李香蘭の幼馴染で、彼女に歌うことをすすめたユダヤ系の白系ロシア人。
この女性も実在の人で、家族がロシア共産党の一員だったことから日本軍にスパイ容疑をかけられ一家で失踪。
「夜来香幻想曲」の音楽会で二人が再会したのは本当のようですが、彼女が中国共産党の組織員?というのは今回のフィクションですね。
実際は、幸せな再会やったらしいですよ~

終戦時に李香蘭が漢奸として逮捕されたとき、ソビエト連邦領事館の秘書だった彼女が、李香蘭が日本人であることを証明してくれて、日本への帰国がかなったそうです。

服部さんと李香蘭が屋台で話すシーンで、お互いの音楽の師がロシア人であることに気づくシーンがあります。
BSの番組でも紹介されたけど、服部さんが音楽の基礎を学んだのは大阪時代。
大阪フィルハーモニックオーケストラで出会った指揮者のウクライナ出身、エマヌエル・メッテル。
・・・・ウクライナ出身なんやね~~

李香蘭も、リュバのすすめでロシアのオペラ歌手に歌唱法を学んだようです。

李香蘭がリュバを懐かしむシーンで、二人がロシア民謡「赤いサラファン」を歌うんですが、これがめっちゃ素敵でした。
舞台の下手にいる木下晴香ちゃんと、上手の階段の上にいる仙名さん。
お二人のハーモニーも、透明感あってうっとりするくらい素敵でした。

海外の民謡と言えば、中川中尉を演じる上山竜治くんが「サンタルチア」を歌います。
中川牧三さんもまた、実在の人物。音楽会の実現に尽力した一人です。
軍人ながら、戦前にヨーロッパーやアメリカで声楽を学んだ人なんですね。
陸軍報道班文化部担当。日本から多くの文化人を上海に招聘。
終戦後帰国して、声楽家として活動したそうですよ。

中川さんを演じた竜治くんは、ミュージカルで活躍してる俳優さん。
洸平くんと同じ年やけど、年上に見えます (二人の子持ちやし!)
SNSで楽屋の様子を見せてくださったり、洸平くんをいじったり?して、癒しを提供してくれました!
同じ事務所でも、洸平くんとの共演は初めてらしいです~~

そして、「夜来香」を作詞作曲した音楽家の黎錦光さん。
服部さんとの友情が描かれていますが、彼が学生時代に毛沢東に師事したのは事実のようです。
でも、舞台で描かれたような、あの音楽会で何かしらの任務があったかどうかは不明~
終戦後、中国の政治情勢の混乱から音楽活動ができなかった時期もあったようですが、文化大革命の時代が終わってから再び音楽活動を始めていました。

黎錦光さんの消息が、この舞台作品が作られるきっかけになったようです。
パンフにある、(この作品をプロデュースした)CUBEの社長、北牧さんの挨拶文に書かれていました。

1979年、黎さんから「夜来香」の著作権のことでビクターに問い合わせの手紙が届いたらしいのです。
黎錦光さんが服部さんや李香蘭こと山口淑子さん(当時は国会議員の大鷹淑子さん)と交流があったことを知ったビクターが、二人と連絡を取り、黎さんの訪日に至ったとか。
服部さんのピアノで淑子さんが「夜来香」を歌う、そんなひと時があったらしいですよ~。 

パンフには、実在の人物のその後のことも書かれていて、個人的には山家さんのその後が悲しかったです。

私が図書館で借りた「李香蘭 私の半生」(山口淑子著)にも詳しく書かれてました。
山家さんは中国の文化芸術を愛し、山口淑子さんとは家族ぐるみで親しく、満州映画協会に李香蘭を紹介したのも彼でした。
川島芳子の初恋の人でもあったとか。
でも、日本へ帰ってきてからは軍法会議に掛けられて服役。
戦後は、事業に失敗したりして、最後は山の中で自死という・・・壮絶です。
上海ではあんなに羽振りが良かったのに。

同じ軍人でも、山家さんと対極にいる長谷部さん。
山西さんが演じてますが(山西さんは、ドラマ『相棒」でヒマか?っていう課長を演じてます)長谷部さんが、今、戦争中なのだということを知らしめてくれるのです。
音楽会の開催にはずっと反対という立場をとっていたのに、軍の上層部から音楽会を開くことを指示されます。
音楽会を邪魔する共産党の組織員たちをそこで捕まえようというのが軍部の意向のようで。
しかし、暗躍する彼らを開催前に取り締まったことで、音楽会は邪魔されることなく無事に終えることができました。
気がかりは、終演後に上層部に呼ばれた長谷部さんのその後、ですね。
実在の人物ではないだけに、どうなったんでしょう・・・

3日目のソワレは、下手の4列目で観劇。
服部さんの部屋のシーンの時は(マチネで見切れたところ!)、目の前に洸平くんがいましたよ!
ピアノが客席に向かって置かれてるので、弾いてる手元が見られないのは残念やったけど、お顔はしっかりガン見しました!
黎錦光を演じる白洲迅くんが、服部さんの軍歌「祖国の柱」をアカペラで歌うのも、目の前で観ました。

「戦意高揚のためにあなたが作ったこの曲も、素晴らしい」

音楽はどんな時でも人々の心に届く・・音楽会に消極的な服部さんを説得するシーンです。

1944年、服部さんが上海に赴いたときは陸軍報道班。任務は「文化工作」。
コンサートの総指揮を引き受けるかどうかを保留していた理由は、国家のプロパガンダに音楽を使いたくないから。
逆に言うと、音楽がそういう力を持っているということですね。
山家さんや、あの長谷部さんも音楽から生きる力をもらったように。

東京初日に物足りなさを感じてた部分が大阪公演で埋められました。
服部さんが感じた山家さんの胡散臭さもよくわかったし、音楽ファーストでどこまでも熱い服部さんの思いも伝わりました。

「夜来香幻想曲」の音楽会が開かれたのは1945年の6月23日。
終戦はそれから2か月も経たない、8月15日。
服部さんは終戦を上海で迎えたそうです。

大阪公演の前に放送されたBSテレ東の「昭和歌謡 作曲家・服部良一の真髄」 → こちら
こちらも観劇の予習にはちょうど良かったですね。
私が知ってる曲がいっぱいやった~~ 16曲中12曲??(笑)

お隣のカップルの男性が終演後に女性にいうてました。

「・・・松下洸平がええいうてんのと違がうで。ストーリーが良かった~」

どういう言い訳??
彼女さんが洸平くんファンで、連れてこられたんですかね~~??(苦笑)

大阪千穐楽は、2階席の後ろのほうで~(汗)
でも、楽しい舞台でした。
音楽はいいなって、本当に思いますね。

最後に流れる「東京ブギウギ」、カーテンコールで流れる「ジャングルブギ」。
服部さんが、「夜来香幻想曲」を創作しているときにこのリズムを考えていたそうですが、戦後、大ヒットしましたね。

洸平くんが服部さんとして指揮する姿が、すっごく力がみなぎっていてパワフルでした。
服部さんもそんな感じやったみたいですよ。映像も残っているようなので、きっとヒントにしてるハズ。
客席に向かってタクトを振るので、音楽とのタイミングはどうなんやろうって思ってましたが、ちゃんと片方の耳にイヤモニを付けてましたね。
後ろのバンドの方々のところにはモニターもあるでしょう。
舞台も、いろんな演出ができるんやなぁと。

またまた、長文になってしまいました。
お読みくださって、ありがとうございます。

※ 参考資料
「李香蘭 私の半生」山口淑子、藤原作弥(新潮社)
「日本の歌謡界を支えた快男児 服部良一」服部音楽出版監修(ヤマハミュージック)

書き忘れてるところがあればまた・・・って、まだ書く??

「夜来香ラプソディ」 感想その1は、→ こちら

「夜来香ラプソディ」 感想の前に は、→ こちら