うさぎくん

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フランスと日本

2023年11月21日 | 社会・経済

・・さいしょにこの写真を掲げるとなんだぜんぜんふらんすじゃねえじゃん、となるよね・。この直前の国際報道で北朝鮮の話題もやっていて、そのあとドキュメンタリーでTSMCのモリス・チャンの話をやっている途中でした。

アナウンサーが延々避難しろという定型文を読んでいたけど、あれたいへんだよねえ。ときどきただいまの時刻は10時57ふんであります、みたいなこと言っているから、AIじゃないとおもうけど。昔の空襲警報時代からの伝統でしょうか。。B29編隊100機鹿島灘より侵入、只今ノ時刻ハ11時57分でアリマス・・。


先月につづき、今度はフランスの前大使の方からお話を伺いました。

日本とフランスは価値観を共有する国同士であり、日本人もフレンチ好きだけど、昔のフランス大統領は相撲マニアだったし、パリジャンは今アニソンを日本語で歌うのが流行りだ(やや誇張しててきとうなこと書いています。大使が言ったわけではないです)。

フランスの日本好きは一過性のものではなく、草の根レベルで定着しているそうです。日本はある種の高級ブランドとして確立されている。韓国は一部コアなファンを持つが料理とかはだめ。中国はだめ、だそうです。

しかし、少し冷静に見ると、根本的な考え方はずいぶん違う、というお話でした。

まず第五共和政以来の独立外交、戦略的自立の伝統は(いきなりはなしが固くなりますが)、東西冷戦期の米国、またはイギリスを含めたアングロサクソン国家への不信、反発から来ているとされる。日本が大戦後アメリカの強い影響のもとで外交を展開してきたのとは対照的だ。

これはひとつには、日本は東アジアにおいて周辺にさほど日本に好意的ではない国に囲まれているのに対し、フランスはNATOの同盟諸国の中に存する、という条件の違いがある。つまりある程度戦略的自立を語る余裕がある(条件を持っている)。

大使は、より深い意味では、フランス革命以来の自由を自らの手で守るという、伝統的な意識が影響しているのではないかと指摘されました。革命当時の周辺国は王制を打破したフランスに危機感を抱いていたでしょうし、革命自体が自由を血を流すことで勝ち取るという性質のものであった(フランス国家の歌詞にもそれが反映されている)ことが、思想として受け継がれていると。

他方フランス外交にはイデオロギーに縛られない、柔軟な側面も持ち合わせているのだとも。

もう一つ、日本との違いで分かりにくいのが政教分離の原則(ライシテ)です。フランス国家の、自由、平等、博愛に並ぶ重要な国家の原則とされています。

2020年、サミュエル・パティという中学の教師が授業でムハンマドの風刺画を取り上げ、これに反発したチェチェン出身の男が教師の首を切り落として殺害した。
事件にフランス社会は強く反応した。葬儀ではマクロン大統領が演説を行った。
この種の事件は近年でもいくつか起きている。

言論の自由は大切だ。これは日本人にも理解できる(ちなみに僕は、最近の日本のSNS界隈で時折言論の自由を主張する人の意見が理解できないことはある)。
ただこの言論の自由が、冒涜の自由まで含まれると言われると、日本の常識では理解しにくいものがある。

大使はこれは歴史的な経緯から来るものではないか、と言われます。
絶対王政が倒された後もフランスの政治はカトリック教会の影響を排除できなかった。教会はしばしば「神への冒涜」という言葉を使い、政治に介入した。
地方ではその影響を排除することが特に難しかった。それがようやく解消したのは2005年、国と宗教の関係を定めた法律が施行されてからとされる。

19世紀から20世紀にかけてのフランス社会と今日との違いは移民の存在だ。
1割程度の国民がイスラム系と言われている。イスラムでは宗教と政治が密接に結びついている。

これもあまり知られていないことだが、フランスは多文化主義を認めていない。フランス国民は共和国モデルを受け入れなければならないとされている。
イギリスが多文化社会であるのと対照的だ。
ただ、それが今日の現状に即してどう現状を解決していくのかを考えると、難しいものがある。

学校に宗教を持ち込まない事は大原則だが、それは教育を通じてフランスのプリンシプルを根付かせるという意義があるのだろう。なのでヒジャブを着て登校することが問題になったりする。



先日SNSで知人がBBCの記事を取り上げてくれて、それを巡ってコメントをやり取りしたのですが(中途半端に終わってるので、いずれ続きを書きたいのですが)、日本が幕藩体制から近代に入る過程と、西欧諸国の歴史との違いについて、色々考えさせらえたことがあります。

フランスは特にそうですが、絶対王政の下で市民階級が革命により今日の体制を築きました。日本は明治期において西欧諸国の体制を参考に自らの体制を作り上げたのですが、それをどう位置づけるか。そもそも日本に階級闘争的な対立図式があったのか。

それが、上記大使が語られたような日仏の似て非なる社会に結びついていくのかなと。

とか、ほんとは軽く書くつもりがものすごく長くなってしまった。


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