うさぎくん

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占領期 首相たちの新日本

2018年03月24日 | 本と雑誌

五百旗頭真 講談社学術文庫 1997(文庫2007)

1月に講演を伺った五百旗頭先生の著作。敗戦により一度は「滅亡した」日本国がふたたび立ち上がり、講和条約という軌道に乗せるまでの間に活躍した首相とその内閣を概観している。

第一章は2度目のご聖断、鈴木貫太郎首相の内閣から始まる。いきなり鈴木首相の人物描写がでてくるので、学者の文章というよりは「日本のいちばん長い日」などを思い起こさせる。が、読み進んでいくとさすがにその背後にある情報量が半端ないことに気がつき、圧倒される。そういってはあれだが、よくあるジャーナリストや作家の方のドキュメンタリーとはそこが全然違う。

とはいえ、文章は平易で読みやすく、また首相たちや占領軍側の人々の人物評も非常に公平で的確なものだ。現代史や政治史には素人で、大勢出てくる人物像を自分の中に定着させることが難しい自分でも、気楽に読み進むことができた。間違いなく、非常に優れた作品といえると思う。

折しもというか、マッカーサーについては、先に読了したハルバースタムの「ザ・コールデスト ウィンター」でも語られていたが、ハルバースタムにかかると極端な自己顕示欲と偏見に満ちた異常者に近い人物に見えてしまう。本書でもそんな「癖」は感じられるが、その一方昔ながらの騎士道精神を持つ軍人という側面も描き出されていて、人間の持つ多様な側面をきちんと表現しているように思える。

やはりそのあたり、五百旗頭氏の暖かなまなざしを感じながら読書している感じになっていて、それが読者に安心感と信頼感を感じさせるのだろうね。

「まえがき」と文庫版あとがきから、少々引用します。

「それも、官邸の主となった首相たちの苦闘を小バカにして見下げるのではなく、絶望的に困難な諸条件の中での奮闘、その成功と失敗、幸運と不運、喜びと悲しみを、内側から、できれば共感を持って理解したいと思った。しばしば「昔の政治家は偉かった。今はひどいのばかりだ」といわれる。それはいつの時代にも繰り返し語られている嘘である。この占領下の五人の首相たちは、事態が悲惨であっただけに、揃いも揃ってマスメディアに酷評された。偉大な政治家がいないと評されたのではなく、積極的に悪い政治家ばかりで、何の業績などないかのように語られがちであった。実際には、いつの時代にも最終責任を負わされる首相は、結果の成否はともかく、厳粛に状況との格闘に立ち向かっているものである。」

さいきんの日本でいえば、先の大震災のときの官邸の対応はどうだったのか。現政権の、マスコミの評価は?時代の洗練を経ないと、見えてこない部分はあるにしても、巷(いまは個人のつぶやきも広く知ることができますが)の評価をどのようにとらえるべきか、を考える一助とはなると思います。

「日本の歴史は、明治維新にも戦後の復興においても、素晴らしい跳躍力を示した。けれども双方とも旧社会の敗北と崩壊ののち、ゼロから出発しての成功であった。その型しか日本にないとすれば、世界第二の経済大国が大転落し、すべてを失ったうえで再出発せねばならないことになる。そんな馬鹿なことはない。この度はいささかの変調をきたしたところで、高いレベルを保ったまま改革を遂とげ、新たな活力を蘇らせて進まねばならない。その認識を、本当に国を滅ぼし地に落ちた社会再建の苦闘を見つめることを通して浮かび上がらせる願いが本書には込められていたように思う。転落無き再生への希望である。」

僕の興味の焦点もまさにそこにあります。加えて自分自身に照らして、再生に向けた視点をどう持てばよいのかの参考にもなればという気持ちがあります。

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