アマゾンで予約したものが届いた時、やけに大きな箱に入ってるな、と思った。ミニカーなんて、石鹸ぐらいの大きさしかないのに。
そしたら、車自体の箱を包む、さらに大きな箱がついていた。
荻窪、というのは、1966年に日産と合併したプリンス自動車工業の工場があったところ、を指しているらしい。
プリンス、といえばスカイライン、グロリアが有名だが、ローレルは初代の登場が1968年とプリンス合併後であり、あまり旧プリンスと結びつけて考えることはなかった。
しかし、箱の解説によると、初代は開発は日産スタッフだったがエンジンはプリンスのG型が使われ、旧プリンスの村山工場で製造された。この2代目はスカイラインと設計を共用し、旧プリンスメンバーが開発したのだという。
箱には元日産自動車デザイナー、粂田起男氏のインタビュー記事が載せられている。粂田氏は1969年入社と、やはり合併後の社員だが、旧プリンスの荻窪デザイン科に配属された。このときの上司はハコスカC10型をデザインした森典彦氏だったという。
粂田氏は1945年の生まれで、ダイナミックなデザインのアメリカ車を観ながら育った。このC130ローレルも、アメリカ車の影響が色濃く出ている。
特に印象的なのはこのリアビューだ。粂田氏は「当時の私はまだ若く、フロント部との整合性をあまり考えずにデザインしましたが・・」という。
見慣れているせいもあるが、今見てもひじょうに個性的で、全体との整合も良く取れている気がする。
細かいところではトランクリッド左右の端部の処理が、思うようにできなかったと述懐されている。三角形に軽くエッジが立っているが、もっとメリハリのある造形にしたかったという。
白い方は昨年完成させた1/24のプラモ。組み立てるとき今回のミニカーのような、ライムグリーンメタリックにすることを検討したが、技術的に難しく断念した。
そのもののカラーはないので混色する必要があるが、市販のカラーはクリアブルー、クリアイエロー、クリアオレンジぐらいしかなくて、ここからこの色を作るのは容易ではない(たぶん下地のメタリック面で色を整える必要があるのだろう)。
このカラー、最近では一つ前のノートに似た色の設定があったらしい。少し前の軽自動車でも、同じ色の車を時々見る。軽くアンバーの入った、上品な色合いだ。
ちなみに白色はうちにあった同型の車のカラー。
免許を取って最初に運転したくるまが、この車だ。
日産荻窪は20年以上前に閉鎖されて、今は桃井原っぱ公園になっている。
敷地の一部は公団住宅やマンションになり、スーパーもできた。
近所に住んでいたこともあるし、前宅もわりと近くて、所用でよくこの辺りをとおった。交通の便がよくなくて、このさきの荻窪病院バス停まで歩いたりしてたのだ。
移転閉鎖後、割と早くに建物は撤去されたらしいが、外側をぐるりとかこっていた塀はかなり長く残っていた。周辺は住宅なのに、ここらだけ殺風景な寂しい道だったのだ。
塀の中がどうなっているのか、長いことわからなかった。
一部の塀が取り払われて、こうして草原になっていることを知った時はへえ、と思ったものだ(石、投げないでね。。)。
ウォー ←ネイティブ風
言葉の壁、ってやつでしょうか。。
まわりがごくふうつうの住宅なので、ちょっと変な感じでしたね。。知らない人は昔の姿、想像もつかないでしょうね。。