うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

日本沈没(第一部、第二部)再読

2018年05月17日 | 本と雑誌

第一部は小松左京、1973年

第二部は小松左京、谷甲州 2006年

3月にNHKBSで、第一部の「深読み」をやっていたのを見て、久しぶりに読み返してみた(といっても、色々ほかの本を読んでいたので遅くなってしまったが)。

第一部については、テレビで片山杜秀氏が「戦後日本文学の傑作。日本人だったら読むべき」と絶賛していた通りだ。最新の科学理論(当時。プレートテクトニクス理論)を応用した大胆な設定、繁栄を謳歌する日本人に突きつけた「もし日本が国土を失ったら」という問題提起。前者は「(地球の)核の成長によるマントル対流の変化により、大陸プレートと海洋プレートとの圧力の均衡が崩れ、短期間のうちに列島全体が海中に没する」という論理の組み立てそのものが、一つの芸術と言っていいほどに見事だし、後者は「(海外で)いじめられたら、日本の国土という、母親の懐に飛び込んで慰めを得ようとするような、未熟な日本人」という、鋭い日本批判となっていて、これまた見事というほかない。

ことに阪神淡路、東北の大震災という、巨大地震を経験してきた今日の我々には、その恐怖感やリアリティは減ずるどころかますます身に迫って感じられる。地震や台風も怖いし、例えば戦争なども大変な災厄をもたらすが、日本の土地すべてが同時に災いにみまわれるわけではないし、時がたてばやがて復興する希望も持てる。しかし、その日本の土地そのものが失われてしまったら。。

というわけで、これを読みながら車窓を流れる田畑や遠くの山並みを見ていると、あれが失われてしまったら・・などと考え込んだりしてしまう。。

壮大な結末を迎えた第一部の後、小松氏が20年以上にわたって第二部を書きあぐねた、というのは有名な話だが、自ら小説が書けなくなった小松氏は、チームを組んで第二部の創作に取り掛かる。執筆は谷甲州氏だが、世間的には第一部ほどには定評を勝ち得ていないようだ。

ただ、それは公平に見て仕方のないことかもしれない。それほどに第一部はインパクトが大きかった。執筆者が違うこともあり、読み手もどうしても素直には受け止めてくれないという難しさもある。数年前に最初に読んだ時も、どうしてもその違和感がぬぐえなかった。

が、今回読み返してみて、多少は評価が上がった。前回は鳥飼外相と中田首相の討論に盛り上がりが欠ける点などが気になったし、鳥飼氏の主張そのものもあまりピンと来なかった。だが、この鳥飼外相の主張こそが第二部のというか、小松氏の主張の核心なのだろう。

それがあるからこそ、妙に今日的な中国やアメリカの政治的な行動の描写があったり、人類滅亡につながりかねない、地球寒冷化の兆しを日本がつかむ、という設定であったりするのだろう。

わかりにくいかな。。第一部では日本と日本人だけが災いに見舞われて、国を失ったけど、第二部ではそれが人類全体の災いに広がろうとしている。もはや自国の利益を競うような事態ではなくなりつつあるのに、従来からの国土を持つ大国はそこから逃れられずにいる。しかし日本(人)は、というテーマ。このあたりは、小松氏はチームで相当議論したのだと思う。

もう少し物語を膨らませたいとか、カザフで拘束された街の描写がちょっとくどいんじゃないか、とか、色々考えはするが、そうやって色々考えること自体、こうした本を読む楽しみでもある。

写真は本文とは関係ないが、帰り道でやっていたなにかのイベント。

というわけで。

 

 

コメント
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となりの客は

2018年05月17日 | まち歩き

Tedでしょうか・・。

ちょっとご無沙汰です。ひじょうに忙しいわけではないのですが、なかなか更新できなくて。。

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