今日は知人にふぐをご馳走になりに行った。話の中で、今年ももう終わりが見えてました、なんてことが話題になった。年と共に1年が早くなる、と言う話も良く聞くが、今年の時間のたつ早さは格別だ。今年はもう、あっさりと負けを認めて、来年に備え身の回りを早く片付けてしまおうと思う。どんどん大掃除するぞ。
ベームのモーツァルトは、カラヤンの演奏を買ったとき、比較対象として興味があって、欲しいと思っていたのだが、そう次から次へと買えないので、すこし間を置いてからと思って買った。10月の中旬のことだ。そのときに聴いて色々思うこともあったが、その後身の回りにはいろんな事があり、ここに書く機会も逃してしまった。
買ったのは35番以降の後期6曲、2枚組と、別途25,29,31を収録した1枚だ。僕が最初に買ったモーツァルトの交響曲は、ジェフリー・テイト、イギリス室内管弦楽団のセットで、これが僕にとっての”刷り込み”になっている。ので、ベームの演奏は大編成の重厚さと、リズムの固い?感じ、一部の曲のテンポの遅さ(”パリ”と、あとなんだったかな?)が、印象に残った。
全体に昔のモノ、自動車とか、機関車、カメラなんかもそうだけど、同じ機能の現代のモノはより軽くて見た目もなめらかで、時に安っぽい感じなのに対し、重厚、丈夫でいつまでも使い続けられそう、だけど今見るとちょっと大げさで、使うときに身構えが必要な感じ、と、この演奏は共通するようなものを感じる。そもそも、モーツァルトは200年以上も前の作品なのだから、演奏時期によって新しく感じたり、古く感じたりするのは妙な気もするが、その辺、人のものの感じ方というのは面白い。