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うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

震災遺構を訪ねる (3)

2025年04月25日 | 旅行記


南三陸海岸というランプを降りたところは丘陵地帯で、少し走るとちょっとした集落があります。今はその先に町役場があるようです。

町役場までは行かず、海に向かって坂を下りていくと、志津川の集落が見えてきます。かつてはここが中心的な市街地で、町役場もここにありました。


町役場付近に鉄道の駅もあり、集落が展開していたようです。


庁舎はいくつかに分かれていて、鉄骨造り3階建ての建物を防災対策庁舎としていました。職員や近隣住民は3階の屋上に避難しましたが、津波は16.5mに達し、43名が犠牲となりました。


2階が放送室となっていて、若い女性職員が防災無線で避難を呼び掛けている最中、津波に襲われて殉職しました。

このエピソードは震災後、マスコミ等で何度か取り上げられていたのでご記憶の方もおられると思います。

この一連の記事の、一種の通奏低音として流れている、NHKのドキュメンタリー番組ですが、たしかご両親が取材を受けていたような記憶があります。


津波は当初6mの予想と放送していましたが、最後の放送は10mとなっていたそうです。

屋上に避難した人たちも全身濁流に飲まれて、アンテナやどこかにしがみつくことができた人だけが生き残ったそうです。酷寒の中、一夜を明かしたとか。

復興に際し土地のかさ上げ等をしたため、今は地形からして相当変わっています。先ほどの庁舎の北側には商店街(さんさん商店街)が広がり、震災の記念館と駅があります。

鉄道の駅ではなくてBRTです。
この写真で見るとただのバス停みたいですが、画面左側にはかなり大きな駅舎があり、記念館も隣接しています。

BRTは旧線路敷を専用道として走行し、一部区間はここ志津川のように一般道を通り町の中心部に停車します。

もとの鉄道駅も遺構として残っているので行ってみます。
先ほどの庁舎の南側に築堤の一部が残っていて、駅ホームが保存されています。


この駅名標自体は後からの再築のようです。
前述のようにホームは土手の上にあり、地上に駅舎がありました。乗客は階段を登ってホームに上がっていました。

気仙沼線は地方線としては比較的新しく、開通は昭和52年だった由。
この地下道ポータルに埋め込まれた建設年は1976-2となっていました。

駅と、冒頭の防災庁舎の間は公園になっていて、小高い丘ができています。

海はこんな感じで見えます。

右側にビルが見えますが、これも遺構で高野会館という建物です。次の移動先に行くときに脇を通ったのですが、見逃してしまいました。
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震災遺構を訪ねる (2)

2025年04月23日 | 旅行記
・・フランシスコ教皇が亡くなりましたね。。先日映画「教皇選挙」を見たばかりですが、なんだか未来の予習をしたような感じになってしまいました。。
全くの門外漢ですが、さて、誰が選ばれるのでしょうか。

話を戻します。

翌朝、三陸縦貫道を北上して陸前高田に向かいました。
陸前高田は津波で壊滅的な打撃を受け、岩手県では最大の被害者を出しました。国道45号線沿いの道の駅に隣接して、伝承館があります。

震災前は道の駅高田松原があり、タピック45という交流館がありました。
海側が斜面になっているのはそこに階段状の客席があり、階下のステージでイベント等が開けるようになっていたようです。


この形状は津波の力を逃がす構造になっていた、という記述も見られます。津波は屋上近くまで達し、避難していた3名の方が奇跡的に助かりました。

破壊された消防自動車。

前回に続き、陸前高田で津波に遭った人を取材したNHKのドキュメンタリーを思い出します。

地元出身で居酒屋をやりながら、消防団に所属していた人が、津波警報が出る中、町の人たちを誘導していた。


やがて壁のような津波が押し寄せ、近くにあった3階建てのスーパーに駆け上って九死に一生を得た。

幸い家族は避難していて無事だったが、今まで意気に感じていた消防団としての活動も、ここまで命がけとなると複雑な思いを抱いてしまう。

消防団の人たちも相当数犠牲になったようです。

他の被災した街でも、海沿いはかさ上げの上更地にして、住宅や公共施設は高台に移転しているところが多いですが、ここはとりわけ広々とした更地が広がっています。

上記消防団の人が非難したスーパー(マイヤ)は震災時のニュース映像でよく見かけました。近くの市役所や市民会館も3~4階建てでしたが、多くの人が亡くなったそうです。

ここは鉄道(大船渡線)が復旧せずBRTになり、駅前といっても特に何も無いようです。帰りに市街地を見てみようと思ったのですが、間違えて三陸道入口に入ってしまい、仕方なくそのまま次に向かいました。


海岸沿いには高田松原が広がり、観光名所になっていました。

松の木は津波ですべてなくなってしまいましたが、奇跡的に一本だけが生き残り、奇跡の一本松として有名になりました。



じつは既に枯死してしまったとのことですが、保全作業が施されて現在に至ります。

やなせたかしさんの描いた「ヒョロ松君」。
マスコミ界で活躍するうち、いつの間にか一人生き残っていたことになぞらえ、一本だけ残った松の木に感銘を受けて描いたのだそうです。
やなせさんは松の木の保存にも多大な貢献をしています。

ユースホステル。
傍らの説明を見ると、もとはうっそうとした松林の中に建っていたようです。
偶々改装の為休館していたそうで、人的な被害はなかったそうです。
この建物があったため、奇跡の一本松は津波の直撃をある程度和らげることができたのでは、と書かれています。

かなり昔、30年以上前に東北を車で旅したことがありました。
そのときどこかのユースに泊まったと思うのですが、それがここだったのかどうか、記憶がありません。
その前の日が福島のホテルで、次が花巻のユースだった気がするんだけど。。



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震災遺構を訪ねる (1)

2025年04月22日 | 旅行記
17日、18日と東北を回ってきました。
三陸縦貫道をつかうと沿岸の都市を訪ねるのはわりと楽ですが、距離感がわからないので行き当たりばったりでした。

初日は女川を訪ねました。
天然の良港として栄えた街ですが、3.11の震災と津波では壊滅的な被害を受けました。

震災後数年間、3月ごろになるとNHKでよくドキュメンタリー番組をやっていました。当日自宅の屋根に上って家ごと海に流された人が、飛び交う海猫を見てうらやましく思った、という話や、開店したばかりの飲食店が流されたが、仮店舗で再開した、と言うお話など。

印象に残っているのは、画家と舞踊家の方のご夫婦の話。家庭の関係で熟年になるまで結婚できず、ようやく一緒になれたものの、津波でご主人を亡くされたと。山あいにある実家の無事を確認した後、奥さんを助けようと海沿いの自宅に向かい、波に飲まれたそうです。


復興に際し住宅は山あいに移転、港近くには道の駅と言う形で商店街が再建されています。
駅は温泉施設を兼ねた、とても立派なものが建っています。
震災後、多少山寄りに移転したそうです。

鉄道は再開され、一部列車は仙台まで直通しています。

震災を受けたコンクリート造りの建物は解体されましたが、この交番だけが遺構として残っています。

津波は14.8mの高さがあったそうで、近くにあった銀行支店では、屋上に避難した行員たちが波にさらわれました。上掲ドキュメンタリーの女性も、知人と駅近くのビルに上りましたが、かなり上の方まで水が来たそうです。
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値上げの春

2025年04月17日 | 社会・経済

・・陳腐なタイトルだな。

インフレの話はコロナが明けかけた3年前から出始めていた。あの頃は半導体がなくて色々なものが作れないとか、ウクライナの戦争が始まって小麦が不足する、と言われていた。

あの頃の事で覚えていることがある。朝のラジオで、時事的な話題を専門家に聞くコーナーがある。戦争が始まった頃、小麦の値段が一気に上がるだろう、という見方が広がった(というか、実際に上がってきたはずだ)。日本はどうする?という話で、シンクタンクの人は「日本は米が余ってるから大丈夫。米はもう長いこと安いままだ。日本はインフレにはならないだろう」と言っていた。

別に意地悪な気持ちではなく、そういう発言はなぜか記憶に残るものだ。
平成バブルの、当時として日経平均が最高値をつけてた頃、証券会社の人が「日本の株価は戦後、凸凹はあっても一貫してずっと上がってきているんです」と言っていた。日本製鉄のUSスチール買収も、認められないはずはない、とコメントしていた。まあ、これはまだわからないけど。

うちは前は米、そんなに食べてなかった。毎日ご飯炊くようになったのは去年、弁当を作るようになってからだ。値上がりしてから急にコンスタントに食べるようになった。まあ、外食するよりは安いけど。

卵もいま300円超える時もあるし、鳥インフルの余波で品薄だ。数年前は100円ちょっとのところがあったのに。ドラッグストアで、以前は卵が安いと宣伝していた店があったけど、最近通りがかると看板を下ろしていた。

写真のココアは今1100円ぐらいだ。純ココアは森永の方が昔は安かったが、今イオンで買うと576円(税抜き)する。先月から大幅に上がった。バンホーテンの大きい方は、以前はただ多いだけで単価に直すと小さい方が安いくらいだったが、今は大きい方が少しだけ安い。

日経読んでて意外に思ったのは、歯磨き粉が高くなったというものだ。コロナ後の生活の変化がどうしたとか書いてあったが、どういう事なのかよくわからんかった。うちは先年歯医者通ってからシュミテクトに変えたが、こいつは確かに高い。GUMも使ってるが、こいつも高い。

ガソリンは補助がだんだん抜けたのか、やはり高くなった。原油市況を見てるとずいぶん落ち着いてきた気がするが、市況と小売価格が一致しない。まあ、政府が狙った激変緩和の効果はあったのかもしれない。

なんか辛気臭い話になってしまった。

旅にでたいぞ。
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教皇選挙(Conclave)

2025年04月16日 | 映画


ブログの話はとりあえず置くとして、通常モードに戻ります。

アカデミー賞脚色賞を受賞した佳作です。いつも訪問させていただいているブログや、その他からも情報を仕入れ、おしごとドラマ、政治ドラマ的な見方ができそうだなと当たりをつけて映画館へ。


コンクラーベの事は過去のニュースなどのときの知識としては知っていましたが、その意義などまでは考えたことはなかったです。

教皇には後継者を指名する権利だけはなく、聖職者や選ばれた者たちが話し合いで後継者を決めていました。長い歴史の中で、他国の干渉を避け秘密を保持しながら後継者を決めていく制度が、今日のコンクラーベです。

今でもウィキを読んだ程度の知識しかありませんが、映画では世界中の枢機卿が集まって投票をしていきます。先に書いたように後継者は指名されず、また立候補という制度はないそうなので、枢機卿の間で何となく有力者というのは決まってくるのでしょう。

とはいえ、そこには極めて人間的な水面下の裏工作、スキャンダルや根回し、などが入り込んできます。

映画の主人公ローレンスは、首席枢機卿(だったかな)として選挙を取りまとめる役を担っているのですが、様々な事件に巻き込まれながら苦悩していくという。。


感想を簡単にまとめるとつぎのふたつ。

・なんだか自分の職場(専門職の集まった組織)と雰囲気似てる。
・でも(上でも書いたけど)、こういうの見てると自分がキリスト教文化圏の外にいる人間だ(うさぎですけど)ってことを改めて感じるな。

という感じです。

シスターもちょっと出てくるけど、登場人物の大部分がおっさん(若い人もほとんどいない)で、はっきりいって感情移入しやすかったです。

西欧社会はこの、POPEを中心とした組織と王族、国家が影響力を争い、それぞれの今の立場を築いていったという点で、日本(と他の国々)とはまたちがう歴史の積み重ねがあります。よくG7などで価値観を共有、などと言いますが、こういう映画とか見ると、色々積み重ねてるものが違うんだろうな・と。

と言う話はともかく、映画としては波乱万丈、奇想天外な展開で、とても良くできてると思いました。

映画はむさるしいので、AI絵で締めくくりましょう。
いつものimage creatorに描いてもらった「教会での選挙」。教皇は禁止ワードらしく、プロンプトに入れるとリジェクトされます。

こちらは今流行りのChat GPTに描いてもらったもの。
ちょっとシックですね。

同じ子をシスターにしてみました。プロンプトを追加して絵をブラシュアップできるところが、一発屋のimage  creatorとの違い。
ただし、チャッピーは描画にとても時間がかかること、(無料版は)一日の描画数が限られていること(4点なのかな)が難点。
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