ウリパパの日記

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茨城県護国神社を初めて訪れる 2021.7.16

2021-07-17 18:52:42 | 茨城県

偕楽園のハス池に続いて茨城県護国神社を訪れました。護国神社は千波湖の西側に位置し、大きな鳥居が常磐線の車窓からも目立つため一度は訪れてみたいと思っていました。

まずは、護国神社の由緒についてHPから抜粋引用しておきます。

護國神社は幕末から明治維新にかけて国のために殉じた水戸藩関係の烈士等1千8百余柱の御霊を御祭神として、明治11年、現在の水戸市常磐神社の境内地に、社名を「鎮霊社」として創祀されました。明治10年の西南の役、日清戦争等による茨城県出身の戦役者の合祀がおこなわれ、広く全県下の戦没英霊の御霊を奉斎する神社となります。
日露戦争、日支事変等の戦没御祭神は日を追うごとに急激に増加し、創建当時の御社殿では狭隘となっておりました。
昭和14年4月、国の方針により各県下に英霊を奉斎する護國神社創建の事が決定し、これにより水戸桜山の現在地に建設が決定されました。昭和16年11月、常磐神社境内の「鎮霊社」から「茨城縣護國神社」と改称し、盛大な遷座祭を斎行されました。敗戦により昭和22年8月鎮座地の地名を「桜山神社」と改称しましたが、昭和29年10月「茨城縣護國神社」と復称、現在に至ります。(以上引用終わり)

 

常磐線からも見える大きな鳥居です。

 

 

狛犬(阿形)

 

狛犬(吽形)

 

みたままつり開催中のようです。階段を上ります。

 

階段の先には記念碑や像が並び、その先に手水舎があります。柄杓はありませんが水盤から水が流れているので手を清めます。

 

鳥居の先が境内となります。

 

鳥居の左側には奉納された酒樽が並びます。

 

鳥居の先には朱色の桜宮がありました。御祭神は木花咲耶姫です。

HPによると、桜宮が建立するこの桜山は景勝の地であり、古くは「白雲岡」と呼ばれていました。当初、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公(烈公)はこの地に偕楽園を造営しようとしましたが、地形が狭いため、この丘には桜山のゆえんともなる数百の桜を植え、休息所として「一遊亭」を建てて、偕楽園の好文亭と相対させました。偕楽園の前景を彩る桜山に桜宮は建立しています。(以上引用終わり)

 

 

水盤には紫陽花の水中花。涼しげで鮮やかな色です。

 

こちらは「しあわせ石(なで石)」。桜宮の御祭神、木花咲耶姫のご人徳により、願事を念じながら両手で撫でることによりどんな事でも叶えられるしあわせをもたらす石と説明されていました。

 

 

灯篭の先に御社殿が見えてきました。

 

御社殿に到着

 

参拝します

 

社殿前から振り返ります。大変広い境内です。

 

子供達が書いた絵馬の絵が飾られていました。

 

御社殿の横には古紙札納所

 

桜山の北側の崖下に下ります。玉龍泉にやってきました。水戸藩第9代藩主徳川斉昭公(烈公)が直径2メートルの丸い池を掘って噴水を作り「玉龍泉」と名付け、偕楽園の吐玉泉と対になっているそうです。

 

高低差を利用して作られた日本最古の噴水と説明にありました。

 

玉龍泉の傍にノカンゾウが咲いていました。

友部や水戸付近ではノカンゾウの花を多く見かけます。一方、高尾周辺ではヤブカンゾウの花は多く見かけますがノカンゾウはほとんど咲いていません。同じ関東地方でも地域により植生の差があるようです。

 


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