「朝」という字は草の下に日があり、そのまた下に草があって、横に月があります。
そこでこれは草の間から日が出てきて、月がまだ沈みきらないで残っている状態で、朝のことを意味しているのだという解釈があります。
この解釈だとちょうど万葉集の「東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ」という歌を思い起こさせるようで、説得力がありそうな感じがします。
図は中山正實という画家が、この歌が歌われた情景を描いたものです。
実際に狩が行われたという大和の阿騎野へ行き、歌の時期と同じ12月17日の朝を見たうえで描かれています。
この絵で見れば東の空が明るくなっていますが、山は見えますが、草の間に日が見えるなどということはありません。
野というのは草原というわけではないので、当然なのですが、日本の風景のなかでは草の間から日が見えるというような大草原はないので、草の間に日が見えるという説明はピンときません。
もちろんこの歌は「朝」の字源解釈とは関係ないのですが、この歌自体にも不自然なところがあります。
12月の17日ごろといえば冬の寒いときで、野宿をしながら狩をする、しかも狩の主人公が10歳の軽の皇子というのですから、現代人には理解できないところがあります。
具体的な状況を想像しようとすると、この字源解釈はこの歌とは結びつかないのですが、このようにして結びつければ「朝」という字を覚えやすいということが出来ます。
別の字源解釈では「月は月の字でなく水を表わす形の文字で、潮がみちてくる状態を示し、草の間から日が出て潮が満ちるときで、朝を表わす」というのもありますが、覚えにくく分りにくい説明です。
あさ」を表す漢字としては「旦」という字もありますが、これは下の横線が地平線で、太陽が地上に現れることを示すというのですから、「朝」よりはストレートで分りやすくなっています。
ただし、日本の場合はたいていの場合山が見えてしまって、地平線の上に日が出るということが無いので、感覚的にあわず、むしろ水平線のほうが経験しやすいと思います。
地平線でも水平線でもいいのですが、この造字法なら朝でなくても日が沈む前の夕方でも同じになるのですが、なぜか朝の意味だけになっています。 つまり字源解釈というのは論理的ではないのです。
日という字を使っても「昌」は日がふたつなので「あかあかと輝く」意味だとしていますが、日が三つの「晶」になるとなぜか日は星を表わすことになっていて「きらきらひかる」という意味になっています。
「木」なら林、森と木が増えるにしたがってボリュームが増える感じですが、「日」も同じように考えるととんでもない解釈になってしまいます。
漢字の字源解釈は首尾一貫しているわけではなく、ケースバイケースでかなり場当たり的なので、学者でもない限り、本当にどうなのかということを追求しても意味が無いのです。
漢字の字源解釈は記憶術のようなものであると割り切ったほうが実用的であるように思えます。