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漢字の解字と論理性

2008-07-01 23:39:17 | 言葉と文字

 漢字の解字というのはなぜそのように書くのかという説明をして、漢字の意味をあきらかにしようとするもので、解字ができるということから漢字は透明性があるなどといわれることがあります。
 漢字を見ると文字の構成要素から意味がわかる、つまりその文字の構造が見えるというので透明性があるというのです。
 たとえば、漢和辞典を引けば「寺」は「寸(手)+之(シ)(あし)」という構造の文字で「時」という字は「日+寺」で日が進行することだとなっています。
 この場合は寺が「いく(進行する)」という意味で、日が進んでいくのが時だというふうに解釈されます。
 なるほどと分ったような気になりますが、日中は日が進むのはよいとして、夜は日が進まないのでどう考えるのだろうかと心配になります。

 それは良いとしても、寺のつく字では待、持、恃のように「ジッと止まる」という意味を持つ字があって、この場合は寺は「進む」という意味と反対の意味になっています。
 待は「じっと止まってまつ」という意味ですし、持は「ジッと手にとめる}とか持ちこたえるという意味です。
 痔はヤマイダレに寺で、ジッととまってとれないという意味だとかで、持病の代表が痔だったとでも言うのでしょうか。
 特はオウシの群れの中でジッと直立して目立つ種牛のことで、そこから特に目立つ、特出するという意味だといいます。

 さらに寺の部分は心の進むままを表わしたもの(叙情詩)、心の中に留まった記憶を言葉にしてとどめたもの(叙事詩)の両方の意味を含むものとして「詩」という文字があると説明されています。
 また手足を動かして使われる人という意味の侍もあります。

 これらの字は文字の意味に関連して文字の構成が説明されるのですが、文字を見ただけでは「寺」の部分がどの意味となるのか分りません。
 「いく」の意味か「止まる」の意味かそれとも他の意味か、文字自体の中には手がかりがありません。
 持のときは「止まる」の意味だということは「持」の意味が分かっているからわかるのであって、「持」ということばを知らないで字だけを見たのでは分りません。
 ヤマイダレに寺で、寺の部分が進むという意味だと考えれば、痔はガンのことかと考える人もいるかもしれません。
 ガンではなくてジつまり痔だということは、痔ということばを知っているから「寺」の部分は止まるほうの意味だと解釈できるのです。
 
 さらには音として使用されていて寺の部分自体の意味を持たない塒、等のような字もありますから、解字というのはあまり論理的なものではないということが分ります。
 漢字は一人の人が一時期に完成させたものではないので、首尾一貫性はないのですが、字源解釈などはあとからこじつけたものが多いようです。
 字源解釈自体には意味があるかもしれませんが、全体的な一貫性はないので、こうしたものを鵜呑みにすることは、論理的な思考力を失わせるので子供には勧められません。
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