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音読みの読みわけ」

2008-07-15 23:33:58 | 言葉と文字

 漢字の大部分はいわゆる形声文字と呼ばれるもので、意味を表わす部分に加えて音声を表わす記号が組み込まれているので、知らない文字でも読み方の見当がつくといわれています。
 たとえば「戔」を」センという音符と知ると、淺、踐、賤などを音読でき、さらに付箋、附牋といった字も音読は出来ることになります。
 ただし棧橋はサンバシ、殘念はザンネンで一筋縄ではいきません。
 読み方が二通りぐらいならば、まだ良いのですが何通りもある音符があるので、日本人にとってはとても厄介です。

 圭という字は「玉器」という意味の字で、基本的にはケイと読むのですが、これを音符として使った字はケイと読めばいいのかと思うとそうはいかない例があります。
 佳作、佳人、佳境などという熟語を思い出せばわかるように、佳はケイでなくカと読むことになっています。
 桑田圭祐、小椋佳などの「佳」はは「カ」と読ませずに「ケイ」と読ませていますが、これを間違いだときめつけられても納得は出来ないでしょう。
 桂馬とか罫線という用例を見ていれば、「ケイ」という読み方が確かにあるのだから既成の熟語から外れた単独の漢字としては「ケイ」と読んでもいいのではないかとも考えられるからです。
 圭を音符に使った読みかたの例としては他に占いの卦(ケ)、蛙はの音読みで「ア」というのがあります。

 矜持という言葉は「キョウジ」と読むのが正解とされ、「キンジ」と読むのは百姓読みとして軽蔑する人もいます。
 音符の「今」が「キン」と読め、衿(襟)の字に似ていることから「キンジ」と読んでしまったのが一般化したのでしょう。
 矜持の矜は衣偏ではなくて矛(ほこ)ですが、形が似ているので衿と勘違いしたのでしょう。
 矜という字じたいは「キン」という読み方があるので、「キョウジ」と読むのだと学習しない限り、「キンジ」と読んでもしかたがありません。
 「今」を音符とした字はほかに「ネン、ガン、ギン、タン、イン」など何種類もあってどういう場合はどのように読むか見当がつきませんから、個別に読み方を覚えるしかありません。
 
 漢字の読み間違いとしてよく挙げられるのが、「垂涎」(スイゼン)ヲ「スイエン」と読んでしまう例です。
 延は「延期」という熟語がポピュラーなので、「延」が入っている熟語を見れば「エン」と読んでしまうのは無理からぬことです。
 しかし誕生という単語は「エンショウ」と読まず「タンジョウ」と読めるのですから、垂涎はなんと読むのだろうかと踏みとどまっても良いはずです。
 ただ「涎」をみて「ゼン」と読むというのは思いつくものではなく、奈良って覚えるしかありません。
 それにしても「よだれをたらす」というのは「強くほしがる」という表現としてもよい表現とは思えません。
 いまどき「垂涎の的」などと表現されても、イメージを浮かべるとだらしが無い感じで感心しません。
 
 漢字の読みは、訓読みの場合は漢字の和訳になるので、いくつもあることは当然なのですが、音読まで何通りもあるので、記憶の負担が大きく、間違いが多いのも当然です。 
 中国語の発音の変化につれて日本でも読み方の変化が起こっていれば、それほど混乱は無かったかもしれませんが、日本に漢語が入ってきた時期の発音が残ってしまったりsいているので、新旧ごちゃ混ぜの読み方が並存しています。
 したがって読み方の正当性を厳格に決めることには無理があるのです。